第二十五話
【ハーヴェンスロウ公爵邸・地下通路入口/バーリン側】
炎はもう、視界の端でしか燃えていない。
熱は感じているはずなのに、
バーリンの意識には入ってこなかった。
あるのは――
圧。
前から来る数。
重なった足音。
盾に伝わる衝撃。
骨に響く鈍さ。
「……まだじゃ」
誰にともなく、息の奥で呟く。
盾を当てる。
体重を預ける。
前の一人がよろける。
その瞬間に斧を入れる。
感触。
肉。
骨。
床に落ちる重さ。
それを数える余裕はない。
ただ、**“前にあるものを減らす”**という単純な仕事だけが残っていた。
敵は多い。
だが、入口は狭い。
横に並べない。
振り回せない。
数は、“列”に落ちる。
だから、斬る。
押す。
崩す。
戦いではなかった。
処理だった。
岩を割る時と同じだ。
どこを叩けば崩れるか。
どこを残せば形が保つか。
一人を倒すと、次が埋まる。
次を潰すと、さらに来る。
だが、その“次”が来るまでの一拍が、確かに生まれる。
それでいい。
一拍。
半拍。
それで、仲間はより遠くに逃げれる。
背後で、足音が減っていくのが分かる。
泣き声が遠ざかる。
金属音が薄れる。
(……進めておるな)
それだけで、よかった。
盾が軋む。
斧の柄に亀裂が走る。
肩が痺れ、肘の感覚が薄れる。
だが、足だけは、まだ残っていた。
踏ん張れる。
だから、立つ。
何度目か分からない衝撃のあと、
バーリンは徐々に通路の中に押し込まれていた。
それでも、
通さない。
囲ませない。
奥へ流さない。
どこかで、骨が鳴った。
自分のか、相手のかは分からない。
だが、まだ。
盾は、前にある。
足は、地についている。
(……まだじゃ)
バーリンは、笑った。
口角が動いたかどうかは分からない。
だが、胸の奥で、確かに。
(……わしは、まだ、ここにおる)
敵の動きが、さらに変わる。
削る。
疲弊させる。
ここから先は、
勝つ負けるではない。
どこまで“場”を維持できるか。
バーリンは、深く息を吸い、
吐いた。
「……上出来じゃ」
誰に聞かせるでもなく。
盾を前に。
足を岩に噛ませ。
小さなドワーフは、
地下通路の入口で、
まだ、立っていた。
倒し切らない。
奥へも行かせない。
“ここ”に縫い止める。
だが。
足元で、小さな音がした。
砂利が、流れる音。
水。
岩の隙間に溜まっていた水が、
誰かの足で蹴られ、
入口の縁を洗った。
一瞬。
ほんの一瞬。
踏ん張っていた左足が、
「石」ではなく「濡れた何か」を踏んだ。
滑った。
大きくではない。
だが、“戻れない方向”へ半歩。
バーリンの体が、
入口の縁に、叩きつけられる。
踏み直そうとした足が、
空を踏んだ。
そこは、段ではなかった。
そこは、
削れた岩の“落ち口”だった。
地下通路は、
途中から天然洞窟に繋がっている。
入口の奥、数歩の場所に、
意図的に残された段差がある。
敵を止めるためのものではない。
人を逃がすための“落とし”だ。
バーリンの踵が、そこを越えた。
重心が、戻らない。
盾が前にある。
敵が前にいる。
だが、
足場が、ない。
「……ああ」
声にならない声が漏れた。
その瞬間、
盾にもう一度、衝撃。
バーリンの体は洞窟の底へ投げ出された。
岩が、肩を打つ。
背中を擦る。
斧が、指から抜ける。
視界が、回る。
闇が来て、
水音が、近づく。
何度か、岩に当たり、
何度か、空を切り、
最後に――
冷たい水が、
体を打った。
音が、沈む。
重さが、引きずる。
バーリンの意識は、暗い水の中へ沈んでいった。




