第二十四話
【ハーヴェンスロウ市街・北門へ】
逃走ではなかった。
だが、撤退でもなかった。
三人が地下洞口を離れ、公爵と非戦闘員を導いて市街へ出た時、
ハーヴェンスロウはすでに“戦場の形”を変えていた。
遠くで、蹄の音が重なり合う。
近くで、鉄が鉄を叩く音が断続的に響く。
だが、その響きはもう、先ほどまでの無秩序ではない。
曲がり角を越えた瞬間、黒い塊が視界を横切った。
重騎兵。
全身を覆う甲冑。
長槍を構え、楔形に通りを割る。
賊の一団が、路地から溢れ出ようとした瞬間、
正面から騎兵が突っ込む。
逃げる間もない。
組み直す暇もない。
槍が突き刺さり、盾が砕かれ、人が弾かれる。
後方から別の騎兵隊が回り込み、退路を断つ。
包囲。
殲滅。
別の通りでは、すでに膝をつかされ、武器を落とした賊が並ばされていた。
その背後で、歩兵が縄をかけ、負傷者を引きずり出している。
「……制圧されていく」
タルヴァスの低い声。
火はまだ上がっている。
死体も転がっている。
泣き声も止んでいない。
それでも、街の流れは、確実に“鎮圧”へ向かっていた。
北門が見えた時、すでに門前広場は軍営の様相を帯びていた。
盾の列。
負傷者の集積。
指揮官の怒号。
伝令の疾走。
安全地帯だった。
だが――
誰の顔にも、安堵はなかった。
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【北門・臨時防衛線】
ロンドリックが非戦闘員を引き渡すと、すぐに治療が始まった。
子供は抱えられ、毛布をかけられ、水を与えられる。
負傷した護衛は担架に乗せられ、剣を持つ手だけが残される。
確かに、守られている。
確かに、生き延びた。
確かに、街は取り戻されつつある。
それでも。
誰も、「勝った」と言わなかった。
煙は、まだ見える。
剣は、まだ抜かれている。
兵は、まだ走っている。
そして何より――
“あれ”が、まだどこかにいる。
エドランは、剣を鞘に戻せずにいた。
戻す理由が、見つからなかった。
数刻後、兄ロウェル・ハーグレンの隊が臨時防衛線に戻ってきた。
ロウェルが、兜を脱いで近づいてくる。
額に汗。
頬に煤。
だが、目だけが異様に冴えている。
「よく生きていたな」
短い言葉だった。
だが、兄弟としてのそれだった。
「……兄上こそ」
それ以上は、言葉にならない。
ロウェルはロンドリックに一礼し、それからエドランを見る。
「……さっきの“アレ”だがな」
声が低くなる。
「取り逃した」
エドランの視線が上がる。
「……追わなかったのか」
エドランが言う。
「追えなかった」
ロウェルは即答した。
「兵を投じれば、崩せたかもしれん。
だが、その瞬間、何かが壊れると分かった」
それは理屈ではなかった。
戦場で長く生きた者の感覚だった。
「……あれは“敵の種類”が違う。
対策の立て方から変えねばならん」
ロウェルは、目を細めて言った。
陣営の外で、また一団が捕縛されていく。
剣を落とし、地に座らされる賊たち。
街は救われている。
だが、“問題”は一つも解決していない。
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【北門・その後】
沈黙を破ったのは、エドランだった。
「……バーリンが、まだ中にいる」
短い言葉だったが、全員に意味が伝わった。
「地下通路の入口で残った。
追撃を、食い止めて……」
その先は、言葉にしなかった。
ロウェルは即座に言った。
「探索隊を出す」
だが、エドランは首を振る。
「俺が行く」
ロウェルの視線が鋭くなる。
「状況はまだ――」
「分かっている」
エドランは、はっきり言った。
「だが、あの人は……
ここで死ぬ人間じゃない」
それは、願いではなかった。
確信でもなかった。
ただ、
“置いていく”という選択肢が、
エドランの中から消えているだけだった。
タルヴァスが、一歩前に出る。
「俺も行く」
迷いはなかった。
ロウェルが二人を見て、頷いた。
「……護衛を二名つけよう」
そしてしばらく二人を見てから、短く言った。
「必ず戻れ。
対処すべき事は多い」
エドランは、市街の奥を見る。
煙。
剣。
叫び。
軍勢。
一時的だが、勝利の光景。
だが、胸の奥で、
あの洞口に立っていた“存在”の感覚だけが、消えない。
(……終わっていない)
戦いは、終わりつつある。
だが――
エドランは、剣を握り直した。
次に向かう場所は、
“戦場”ではない。
“取り残された場所”だ。
――バーリンが立っていた場所へ。




