第二十三話
【地下洞口・夜】
出口の前。
岩壁の陰。
月明かりにも照らされきらない位置に、使徒は立っていた。
動かない。
構えない。
待ってもいない。
――そこにいる。
それだけで、この場所の性質が変わっていた。
背後では、地下から追撃の足音が近づいている。
前には、逃げ道を塞ぐ“存在”。
挟まれた。
完全に。
「……陣を」
ロンドリックが短く言った。
護衛が即座に動く。
盾が並び、剣を向ける。
エドランとタルヴァスが外側に立つ。
非戦闘員は岩壁際へ押しやられ、子供の泣き声が必死に抑え込まれる。
そして――
使徒が、初めて動いた。
歩いたのではない。
距離が、消えた。
次の瞬間、盾の縁が砕け、護衛が後方へ叩き飛ばされた。
「っ……!」
エドランが斬る。
確かに捉えた。
だが、刃は“当たっただけ”で終わる。
使徒の体は揺れない。
だが、エドランの腕が痺れた。
別方向から、タルヴァスが踏み込む。
喉。関節。死角。
すべて“最適”のはずの一撃。
それでも、使徒は半歩ずれただけだった。
反撃。
見えなかった。
気付いた時には、タルヴァスの体が岩に叩きつけられていた。
「……ぐっ……!」
護衛が同時に踏み込む。
一人が崩れ、
一人が転び、
一人が味方にぶつかり、
その“重なり”の中に刃が通る。
一人、倒れる。
二人目が膝をつく。
三人目が動かなくなる。
「下がれ!」
ロンドリックが声を張る。
自ら踏み込む。
北壁で鍛えた剣。
重く、正確な一閃。
使徒のローブが裂けた。
だが、それだけだ。
切った感触は、確かにあった。
だが、“削った”手応えがない。
護衛の一人が、胸を押さえて崩れた。
別の一人が肩を裂かれ、血を噴いた。
数で囲んでも、形にならない。
斬っても、止まらない。
当てても、優位にならない。
(……勝てない)
エドランの中で、結論が“感覚”ではなく“事実”として固まった。
その瞬間だった。
地面が、わずかに鳴った。
一度。
二度。
一定ではない。
だが――
重い。
人の足音ではない。
敵だけでは、ありえない密度。
(……多すぎる)
音が、層になっている。
岩を通して伝わる振動が、面で来ている。
(馬だ……騎兵……)
まだ見えない。
だが、戦場の“外側”が動いている。
「……耐えろ!!」
エドランは叫んでいた。
理由を説明する暇はない。
だが、声に力を込める。
「来る!! あと少しでいい!! 耐えろ!!」
タルヴァスが歯を食いしばり、立ち上がる。
護衛が盾を立て直す。
ロンドリックが、もう一歩、前へ出る。
その直後。
――轟音。
夜を裂く蹄。
闇の向こうから、黒い奔流が現れた。
松明。
槍。
旗。
そして、先頭を割る一騎。
「――退けッ!!」
張りのある声。
剣を振りかぶり、使徒へ突っ込む男。
ロウェル・ハーグレン。
王国軍装。
騎兵。
突撃陣形。
城塞都市ウィンターホルンの軍勢が姿を現した。
騎兵が側面を割る。
槍衾が形成される。
味方の軍勢がエドラン達と使徒の間に割って入る。
包囲。
騎兵の圧。
槍の森。
ロウェルが使徒へ斬りかかり、刃が仮面の縁をかすめた。
乾いた音。欠けた白。
その一瞬だけ、使徒の動きが“止まった”。
それで十分だった。
「エドラン!!」
ロウェルが叫ぶ。
「ここを離れろ!!
北門へ向かえ!!そこは我らが抑えた!」
「兄上……!」
「話は後だ!!
今は、公爵を連れて離脱しろ!!」
背後では、地下から敵が溢れ始めている。
前では、騎兵が押し込んでいる。
だが、決着はつかない。
使徒は、退かない。
だが、前にも出ない。
盤面が、変わっただけだ。
エドランは一瞬、使徒を見た。
仮面。
動かない体。
戦場の中心にいながら、戦っていない存在。
エドランは歯を食いしばり、踵を返した。
「行くぞ!!」
タルヴァスが負傷兵を担ぎ、
護衛が非戦闘員を導き、
ロンドリックが最後尾につく。
彼らが闇へ消える背を、
使徒は追わなかった。
ただ、仮面の奥で、何かが“更新”された気配だけがあった。




