第二十話
【ハーヴェンスロウ公爵邸・内広間】
三人が斬り込んだ瞬間、戦線の空気が変わった。
背後から断たれ、賊が一人倒れる。
さらに一人。
さらに一人。
敵の列の“後ろ”が削られたことで、押し込まれていた公爵側の盾列に、わずかな余白が生まれる。
「――今だ」
低く、短い声。
公爵、ロンドリック・ファールデン。
五十を越えてなお背筋は崩れず、焼け焦げた外套の下の動きに一切の無駄がない。
「前へ。挟む」
その一言で、護衛たちが動いた。
盾が半歩押し出され、槍の角度が変わる。
受け止める陣から、潰す陣へ。
その瞬間、エドランたちは踏み込んだ。
前から公爵。
後ろから三人。
挟撃。
逃げ場を失った賊がもがく。
振り向けば斬られ、前に出れば突かれる。
バーリンが一人を叩き潰す。
タルヴァスが首を落とす。
エドランが間に入り、二人を断つ。
広間にいた敵は、抵抗しながらも、確実に数を減らしていった。
最後の一人が、公爵の剣に貫かれ、膝を折る。
金属音が止んだ。
残ったのは、荒い呼吸と、炎の爆ぜる音だけだった。
公爵は剣を下げ、初めて三人を正面から見た。
煤と血に汚れたその顔に、かすかな驚きが走る。
「……エドランか」
戦場に似つかわしくない、だが確かな呼び方だった。
「助太刀、感謝する」
「この場を保てたのは、貴殿らのおかげだ」
形式張らない、だが重い言葉。
その背後には、守るべき人が固まっている。
負傷した臣下達。
血のついた袖を押さえる使用人。
そして、公爵の子供を抱いた侍女達。
「街の様子は?」
「ひどい有様です」エドランは即座に答える。
「門前、通り、倉庫区画。至る所で戦闘。
敵は外から来たというより、“中から湧いた”」
ロンドリックの表情が、わずかに硬くなる。
「……やはりな。兄の仕業だろう」
怒りよりも、責任を引き受ける声だった。
「市内に潜ませていた。兵も、人も。
わしの目の届かぬ場所で、時間をかけて」
そう言ってから、短く息を吐く。
「だが、まさか、ここまでやれるとはな」
その時だった。
別の通路から、複数の足音。
一つではない。固まっている。
「……来る」
タルヴァスの低い声と同時に、左右の廊下から新たな賊が流れ込んできた。
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火の爆ぜる音の向こう。
煙の奥。
床を打つ足音が、重なり合って膨れ上がる。
一つや二つではない。
列だ。
隊だ。
人の塊が、いくつも動いている。
「……来るぞ」
タルヴァスの声が落ちた瞬間、左右の廊下と、奥の吹き抜け階段から、同時に影が溢れ出した。
賊。
さっきまでと“数”が違う。
間隔がない。
個ではなく、群れだ。
盾がぶつかる。
槍が突き出る。
最前列が倒れても、その背後から即座に次が踏み込んでくる。
「……チッ」
エドランが一人を切り倒す。
だが、その横をすり抜けて別の刃が入る。
護衛の一人が脇腹を刺され、膝をついた。
すぐに引き上げようとした兵の盾に、三本の槍が同時に突き立つ。
防ぐ。
斬る。
押し返す。
だが、減らない。
減っているのに、前が埋まる。
一人倒す間に、二人出てくる。
二人落とす間に、三人分の間合いが詰まる。
「下がれ!」
ロンドリックの声が響く。
盾列が半歩引く。
だが、その半歩に、敵は三歩詰めてくる。
「数が……多すぎる……!」
誰かが叫んだ。
守備兵は精鋭だ。
動きは崩れていない。
連携も取れている。
それでも――
前に立つ敵の“総量”が、それを上回っている。
斬っても、斬っても、
“前列”がなくならない。
血が床を滑り、足を取る。
煙が目を焼き、距離感が狂う。
熱で息が浅くなる。
「……このままじゃ、削り殺される」
エドランの中で、はっきりとした結論が出た。
その瞬間だった。
彼の視界に、戦場とは関係のない“歪み”が入った。
音が、少ない。
熱が、薄い。
人の気配が、異様に“抜けている”場所。
広間の奥。
崩れた装飾壁の裏側。
(……空間が、ある)
しかも、それは偶然の空洞ではない。
人が通れる幅。
奥に“流れ”がある。
(隠し通路か!)
エドランは、反射的に声を出していた。
「公爵! この奥です!」
斬り合いの中で、ロンドリックが一瞬こちらを見る。
「……何だと?」
「壁の裏に通路がある!
熱が来ていない、人の気配が抜けてる!」
一拍。
ロンドリックの目が、明確に見開かれた。
「……なぜ知っている」
声に、はっきりとした困惑が混じった。
「知らない。だが、ある」
言い切った瞬間、エドラン自身が一番驚いていた。
だが、迷いはなかった。
ロンドリックは即座に判断を切り替えた。
「……地下通路だ。
だが、位置までは誰にも教えていない」
一瞬の沈黙の後。
「……向かうぞ」
エドランは頷き、斬り払いながら進路を切った。
だが、その背後で、護衛の一人が吹き飛ばされる。
別の兵が喉を押さえて倒れる。
陣は、明確に押され始めていた。
「……もう、持たんぞ……!」
誰かの声。
それは、誇張ではなかった。
今この瞬間、均衡は“技量”で保たれている。
だが、時間が敵に味方している。
斬れば斬るほど、
こちらが減る。
ロンドリックが低く命じた。
「非戦闘員を優先して下げろ!
第二線を形成しながら移動する!」
守備兵が即座に動く。
子供を抱える。
負傷者を引く。
盾が円を作る。
だが敵は、それを見逃さない。
突っ込んでくる。
間合いを詰める。
“逃がす形”を崩しにくる。
エドランは歯を食いしばった。
(……すり潰されてたまるかっ!)
剣を振るたびに理解が深まる。
勝てない。
そして、持たない。
この戦力差の中で、ここに留まるという選択肢が、すでに消えている。
「……下がる!」
彼の声に、護衛たちが合わせる。
炎の中、血の床を踏み、
彼らは“戦う陣”から“逃がす陣”へと形を変えながら、奥へと押し込まれていった。
その背後で。
敵は、まだ、増えていた。




