第十話
【使徒】
使徒の姿を目にしたことがある者は少ない。しかし、使徒がその姿を現すとき、人々は本能的に背筋を凍らせる。黒いローブに包まれた体は不気味なほど静かに動き、その足取りは音を立てることがない。仮面は人の表情が彫られており、見る者の心をえぐるような邪悪さが込められている。仮面の奥の目は見えない、だが、見つめられると血の気が引くような圧迫感を感じる。
使徒は全員で7人存在する。7人全員、もはや人ではない。彼らは一人一人、特別な能力を持つ。その能力は度重なる『洗礼』を受けた恩恵だ。だが、代わりに一切の人間らしさを喪失している。
使徒の持つ剣は、漆黒の刃に赤黒い光を放つ宝石が柄に埋め込まれている。この宝石は、呪物であると言われ、剣そのものが邪悪な存在としての威圧感を放っている。
全ての使徒は枢機卿に絶対服従をしている。死ねと命令されれば、一切の躊躇も見せずに、死ぬのだろう。
【聖都セレスティオン エドラン達が交易都市ベルカストに到着する数日前】
聖都セレスティオンの空は、いつも薄暗い雲に覆われていたが、その日はいっそう不気味な色合いを見せていた。鈍い灰色の雲が低く垂れ込み、風がひゅうひゅうと冷たい音を立てながら街を吹き抜けていく。雲間から微かな日差しが漏れることもなく、昼であるにもかかわらず、街全体が早朝のような薄闇に包まれていた。
その空気は重苦しく、まるで何者かの視線がこの場を監視しているかのようだった。
『北国の第三王子、エドラン・ハーグレンを追跡し、殺害せよ。その仲間も同様だ。』
そう枢機卿ドミナール・ラクセンから命じられた使徒は一言も発することなく立ち上がり、冷たく無感情な動きで部屋を出た。仮面の下からは、かすかに息を吸う音が漏れるだけで、どこにも感情の痕跡がない。
その使徒は「黒眼」というスキルを持っていた。
「黒眼」の能力は、知能の低い生物や弱った生物を支配することができる。使徒はその力を巧みに操り、鷹を二匹使役していた。これらの鷹は、使徒の意識と視界を共有しており、高空から地上を監視し、あらゆる動きを見逃さない。
そのため、この使徒の追跡から逃れたものは誰もいない。
使徒は厩舎に着くと黒い馬にまたがった。この馬もまた、洗礼を受けた異形の存在だった。目は血のように赤く光り、蹄が地面を打つたびに、不気味な音が響く。気付けば彼の背後には四人の部下が並び、全員が黒いローブに身を包んでいた。
空はますます暗さを増し、遠くで雷鳴が轟く。不吉な風が吹きつけ、地面の埃が舞い上がる中、使徒たちは聖都を出た。その様子は、まるで死神が馬を駆るかのようだった。
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【ベルカスト近郊 宿屋 夜】
村の宿屋は静けさに包まれていた。薄暗いランタンの灯りが古びた木の梁に揺らめき、暖炉の火は弱まり、室内はほんのりと温かみを保っていた。夜の帳が降りると共に、外では風が草を揺らし、微かに窓を叩く音が響いていた。
バーリンは机で武器の手入れをしていた。お気に入りの金槌を使い武器や防具を調整する彼の表情は真剣そのもので、動作には疲れを感じさせない。タルヴァスは窓辺で静かに目を閉じて座り、金色の瞳を薄っすらと開いて外の様子を伺っている。エドランは壁に背を預けながら、剣の柄を握りしめ、思索にふけっていた。
「前途多難だな。」エドランは苦笑いをしながら呟いた。その顔には、警戒と違和感が浮かんでいた。
深夜、宿全体が深い静寂に包まれる中、エドランは突然目を覚ました。胸の奥で、鼓動が不自然に速まるのを感じる。まるで見えない手が彼を揺り動かすような感覚だった。
「……何かが近づいている?」彼は低く呟き、立ち上がった。
バーリンはその声に気づき、片眉を上げながら問いかける。「エドラン、どうしたんじゃ。寝ぼけてるのか?」
「いや、違う。」エドランは額に手を当て、深呼吸をしながら言葉を絞り出す。「何か、嫌な予感がする。ここにいてはまずい。」
タルヴァスが窓の外を見やる。「囲まれてはいない。だが、エドランの直感はあてになる。」
エドランは決断した。「今すぐ出発しよう。ここにいるのは危険だ。」
バーリンは驚いた表情を見せたが、彼もエドランの直感の確かさを知っているため反論することなく、武器を手に取った。「わしは準備できておる。行こうかの。」
タルヴァスも頷き、剣を腰に収める。
「平原を突っ切る。街道を避ければ足跡は残らない。」エドランがそういうと、3人はすぐに出発の準備に取り掛かった。
宿屋を出るとエドランたちは馬を駆り、夜の草原を進んでいった。冷たい風が顔に当たり、夜空には雲が厚く垂れ込めていた。満月の光すら遮られ、視界はほとんど闇だったが、タルヴァスの金色の瞳は夜目が利く。彼が先頭を切り、道を切り開いていく。
草原は広がる闇の海のようだった。風に揺れる草の音と、馬の蹄が地を打つ音だけが響いている。エドランは馬の手綱を握りしめながら、後ろを振り返った。何も見えないが、彼の心は妙にざわついていた。
「急げ。」エドランは声を上げた。「嫌な予感が強くなっている……何かが追ってくるかもしれない。」
バーリンは軽く笑みを浮かべながらも、馬を走らせる脚には力がこもっていた。「エドラン、何度も言うが、こういうときのお前の勘は当たる。わしらは信じて動くまでじゃ。」
タルヴァスも振り返らずに言葉を返した。「平原を突っ切れば街道を行くより数日は短縮できる。公爵領のまで急ごう。」
馬たちは力強く地面を蹴り、草原の波を切り裂いて進んでいく。その中でエドランは心の中で祈った。何も起こらず、無事に公爵領へ辿り着けることを――だが、心の片隅では、それが叶わないと確信している自分がいた。




