罠にハマろう
「なんだかんだでもう一週間待ってんのよ。分かる?」
ドアの向こうの廊下から、イルウにダメだしするカルアミルクの声が聞こえてくる。
「はぁ? そもそもこの仕事に納期があるって今初めて聞いたんだけど? 私はちゃんと私の仕事してるわよ」
イルウも負けじと言い返してるな。この二人だったらどっちかといえば俺はイルウの肩を持つ。なんかカルアミルクの方は、色黒で高身長細マッチョの魔族のエリートってんで、陰キャオタクの俺としては受け入れられない人種だ。
「そもそもあんたがこの間姿を見せたせいで警戒されてんだからね。罠だって勇者にバレちゃったのよ。あんたのせいで」
「え? ケンジに罠ってバレてるってこと? それもう失敗じゃん!」
「だから! あんたの失敗を今私が挽回してるとこなのよ! 邪魔しに来ないでよ」
この話、俺聞いてていいのかな? 思いっ切り俺を罠に嵌める話をドア一枚挟んで向こうでしてるんだけど。
「いやまあ俺も悪かったけどね? 『いつまで待たせるんだ』って先方もカンカンでね? そろそろなんか結果出してもらわんと……」
「先方? 先方って誰よ」
「召喚した悪魔」
え? もう悪魔召喚して待ってんの?
まあ、召喚されて一週間も待たされたら、そら怒るわなあ……もうちょっとこう、ジャストインタイムで仕事してくれないと。
アスタロウと二人で聞き耳を立てているとドアが開いてイルウが戻ってきた。それにしてもカルアミルクもこらえ性のない奴だよな。そもそもお前が待ちきれずに三日前に確認しにきたせいで罠がバレたのに、また様子を見に来るなんてな。
「あ~、聞こえてた? ケンジ」
こくりと頷く。もうイルウの方も隠す気は全くない。
「じゃあ……そろそろ罠の場所に移動したいんだけど、いいかな?」
「しょうがねえなあ」
「え、そんな感じなの」
最後に聞こえてきたのはドアの向こうのカルアミルクだが、無視だ。こっちがせっかく罠に嵌まりに行ってやるっていうのに文句なんか言わせるもんか。
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「ハイ、ということで罠に嵌まりに来ました、と」
「えらい軽いカンジじゃのう」
そもそもお前が「罠に嵌まりに行こう」って言ったんだから文句は言わせねえよ。イルウはなんか準備があるらしく先に行っているので、俺とアスタロウだけで指定された朽ちるままに放棄されている砦に移動した。
元々は小高い丘の頂上にあって見晴らしも良かったんだろうけど、ここ数十年は使われていないようで木も生えて見通しも悪くなっているし、城壁もボロボロで蔦が絡まっている。ちょっと風情があっていいね。異世界みたい。
とはいうものの、どんな罠が待ち受けているのか分からないというのは恐怖がある。今のうちにアスタロウから聖剣を引き抜き、戦いの準備をする。もうアナルから聖剣を引き抜くのにも随分と慣れちまったな。俺はもうダメかも知らん。
しかしイルウが準備で先に行ったって事は俺と戦うって事なんだろうか。
「準備があるから先に言ってるよ」なんて誕生日会の準備でもしててくれそうなセリフだけど、イルウは「仕事とプライベートは別」とも言ってたしな。まあ、お互いの立場があるから仕方ないか。
とりあえず城壁の中に入ってみるか。堀はないものの、城壁にはかなり大きな立派な門が設えられている、ものの、やはり放置されていたためか蝶番が腐食して自重を支えられずに崩れて解放されている状態だ。
中に入ってみると、いた。イルウだ。周りに手下を引き連れている様子もない。
「いらっしゃい、ケンジ。悪いけど容赦はしないよ?」
薄く笑みを浮かべると同時に目がギラリと妖しく光る。しかし何度やろうとも無駄な事だ。お前の『麻痺』の魔眼は俺には効かない。たとえ意識的に視線を外しても、目線を引き付ける能力もあったみたいだが、それは俺には効かないんだ。
そして逆にお前の弱点はよく分かっている。
短刀を鞘から抜いてイルウは突進してくる。お前の弱点は、基礎的な戦闘能力の低さだ。魔眼に頼りきりで戦闘技術が低い。
俺は大きく振りかぶって切りかかってきたイルウの攻撃をかわし、すれ違いざまに肋骨の背後側の一番下、腎臓を狙ってボディブローを……
「んがっ!?」
よたよたとたたらを踏み、俺は後退した。一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに鼻血が溢れてきて、イルウの攻撃を受けたのだと悟った。
あれ、おかしいな。こんなはずじゃ……
どうやらイルウの背後に回り込んだ俺の体勢を体当たりで崩し、そのまま鼻っ柱に頭突きをかまされたようだ。
まずい。余裕ぶって素手で傷つけずに倒そうなんて考えてたら逆にやられる。聖剣を使うべきか。そう逡巡しているうちに足払いを受けて俺は尻餅をついた。
おかしい。こんなはずじゃなかったのに。俺はすぐに体勢を整えてイルウと距離を取る。
イルウはたしかに、接近戦の能力が低かったはず。一体どんなからくりをつかったのか?
「明らかになってる自分の弱点を、放っておくわけないでしょ」
え……もしかして、あの戦いの後白兵戦の訓練をしてたって事? そこを克服されちゃったら俺に勝ち目ないじゃん。
普通四天王とかボス格のキャラって一度倒したら次出てくるときはもうザコ扱いじゃん? 強くなるにしても、なんか膨大なリスクと引き換えにとか、何かを犠牲にして生まれ変わるとかそんなんじゃん。何普通に努力して強くなってんだよ。少年漫画の主人公かよ。
とにかく、本気で勝ちに来てるみたいだ。これはまずい。一旦サイドキックで距離を取る。
確かに前回は白兵戦で勝利したけど、俺の「強さ」ってのは本来そこにはない。卑怯と言われればそれまでかもしれないが、せっかくある武器は使わせてもらう。聖剣を使えば勝てない相手じゃない。
「やっぱりそう来るか。そうじゃなきゃね」
結構イルウはまだ余裕そうな表情をしている。こうなることも分かっていたのか? しかしこれ以上に策があるんだろうか。魔眼が使えない以上いくら体術を鍛えたと言っても限度がある。聖剣に勝てるはずがないと思うが。
ニヤリと笑みを浮かべるとイルウは羽織っていたマントをばさりと被った。
いったい何のつもりなのか。確かにあんなマントは前には使っていなかったが。しかしすぐにその意図は分かった。
マントを被ったイルウは、エジプト神話のメジェドのように白い布を頭から被って切り抜いた穴から目だけが覗いている状態になっていたのだ。




