ここはひとつ、彼女を信じてみよう
洞窟の奥の鉄格子のなかに囚われていた人、それは大分やつれてはいたものの貴族然とした服装をした中年の男性だった。
「君は……パンテのアンスス。助けに来てくれたのか……」
その男性はアンススの方を見て確かにそう言葉を発した。
俺はアンススの方を見て、こくりと頷く。彼女の方も俺に対して頷き返した。
「……知り合い?」
「知らない」
オーケー。なんとなくそうなるような気はしてた。じゃあなんで頷き返したんだよ。
こいつの記憶力には最初から期待なんかしていないけどな。とはいうものの、俺もフェルネッド伯の顔なんか知らん。
「た……助けに来てくれたんじゃないのか?」
「いえ」
「え?」
う~ん、どうしたもんかな。多分こいつを救出すれば終わりだとは思うんだけど、確信がないんだよな。
ここでもう一度おさらいすると、俺への依頼内容は「フェルネッド伯の豹変の真相を突き止める事」、そしてアンススへの依頼だが、これがわからない。
フェルネッド伯夫人から上書きされた依頼は「洞窟内に囚われている伯爵の救出と屋敷にいる現伯爵の殺害」なんだが……そもそもこいつはフェルネッド伯なんだろうか。
いや少なくともアンススは普通に考えれば伯の顔は知ってるんだろうけど、こいつは「知らない」と言っている。彼女の意見は尊重したい。
だって自分が住んでる町の領主だぞ? 普通知ってるだろ。ナンバーワン冒険者と全く面識ないってこともないだろうし。その上で「こんな奴知らん」と言ってるんだぞ?
「そ、その……私、フェルネッド伯。フェルネッド伯なの。分かるでしょ?」
聞いてもいないのに名乗り始めたぞ。なんか怪しいなコイツ。アンススは腕組みをしたまま考え込んでいる。俺は彼女の自主性を尊重しようと思う。
「お前なんか知らん。フェルネッド伯は、もっと、こう……なんだろうな」
どうやら何かを思い出そうとしているようだ。がんばれアンスス。
「アンスス、お前はフェルネッド伯と会ったことがあるんだよな?」
「うん」
「で、こいつはお前の記憶の中の伯爵と違う、と」
「うん」
ほらな。やっぱり面識はあって、その上で「違う」と言ってるんだ。ここはひとつ、彼女を信じてみよう。
「お前がフェルネッド伯だというなら、証拠を出してみろ!」
「えっ!?」
狼狽えてる狼狽えてる。こいつはますます怪しいな。
「きゅ、急に証拠と言われても……あいにく今この服以外何も持ちものがないし、証明するようなものは……」
「だったら答えてみろ! フェルネッド伯の夫人の名前はなんだ?」
「フェンネだ」
即答。俺は質問をぶつけたアンススの方をちらりと見る。
「…………」
彼女は伯爵の答えを聞いても腕組みをしたまま黙していた。どうなんだ? 今の問答でなんか分かったのか? 名前自体はあってると思うが、それ以外に何かの反応を見ていたんだろうか。最高ランクのハリネズミ級冒険者ならこういったやり取りも慣れているんだろう。何か怪しいところがあったという事だろうか?
(フェンネ……そんな名前だっけ? ビンゴじゃなかったっけ?)
考え込んでるな、アンススの奴。次の質問を考えてるんだろうか?
(こんなことなら答えの分かる問題を出せばよかったな……)
「二人とも、ちょっといいか?」
アスタロウに後ろから小声で話しかけられて俺たち二人は振り向いた。
っていうかよく考えたらここに先代国王がいるじゃん。
「儂は、フェルネッド伯とも面識がある」
そりゃそうだな。去年まで国王やってたんだから。
「その上で言うんじゃが、こいつはやっぱりフェルネッド伯だと思うぞ。アンススはこいつの何がいったい気になるというんじゃ?」
沈黙の時が流れる。
アンススさん、まさかとは思うけどフェルネッド伯の顔忘れてるとかないスよね?
「いや、覚えてる。もちろん伯爵の顔は覚えてるわ。ただね、こう、なんて言ったらいいのかな?」
雲行きが怪しくなってきたぞ。
「このフェルネッド伯は……顎に髭が生えている。私の記憶の中の伯は、口髭しか生えてなかったと思うのよ」
生えただけでは?
……いや、え?
「え? そんだけなのアンスス? 髭だけ? そんなん監禁されてる間に手入れできなかったから生えたに決まってるやん?」
「いや、でも、私が前に見た時は確かに口髭しかなかったはず……」
「だから生えたんだって!!」
なんでだ? ちゃんと説明してるのになんで分かってもらえないんだ? フェルネッド伯の人格が豹変したのって昨日今日の話じゃないだろう? だったら監禁してるうちに髭が生えたに決まってるだろうが。
……いや、まさかこいつ……
「あのさあ、男の人って手入れしてないと、そりゃ人にもよるけど、口とかあごまわりとか髭だらけになるもんなんだけど……もしかして今髭が生えてるところ以外は生えないと思ってる?」
「え?」
嘘だろコイツ。どこまでアホなんだよ。
「ハハハハッ、何をバカな。じゃあケンジくんも手入れをしなければ髭だらけになるっていうのかい?」
「なるよ」
「えッ!?」
アンススは俺の顔を両手でがっしりと掴んで超至近距離でまじまじと見つめてくる。鼻息がかかるほどの距離だ。顔だけは可愛いんだからそういうのやめてほしい。緊張する。汗っかきなせいか、こう……ジトッとメスの香りが鼻につく。
「う……うそでしょ?」
嘘なんかつかねえよ、毎日髭剃ってんだよ。今までコイツ男のいない世界で生きてきたのか? もし髭剃ってるところをたまたま見たことがなかったとしても普通ちょっと注意して見てれば分かるだろ?
「ケンジくんも髭が……? イメージ崩れるわぁ……」
そろそろ顔放してくんない? 近すぎるんですけど?
「も、もう分っただろう? 私がフェルネッド伯だ。早く助けて!」
その声とほとんど同時だったか、ズシンズシンと重量感のある足音がダンジョン内にこだました。すっかり忘れていた。既に俺達の存在はブラックモアたちにバレていて、追跡されてる可能性があるんだった。
「まずい、アンスス、とりあえず伯爵かどうかは保留してこいつを助けるぞ!!」
とはいうものの、よくよく見れば牢屋には鍵がかかってる。当たり前だけど。ここは一発アヌスカリバーで格子を真っ二つにしてやるかと思って剣を構えたが、しかしアンススの方が早かった。
両手で格子をがっしりと掴む。力ずくで破壊しようというのか。しかしさすがにアヌスカリバーの方が早いだろうと思ったのもつかの間。二、三回ぐいぐいと引っ張ると床と天井に突き刺さっていた格子がすっぽ抜けて一枚の板のように格子が外れてしまった。
「とりあえず逃げるわよ、暫定伯爵!」
「暫定じゃない!」
「アスタロウ、道が分かるか!?」
すぐに地図を確認するアスタロウ。しかし通路の向こうから来る足音の主が近づいてくる。その巨体がはっきりと見えてきた。フードを被った骸骨に引かれて重そうな体を引きずってくる巨人。
「おやおや、伯爵が見つかってしまいましたカ。仕方ない。あなた達にもこのフレッシュゴーレムの素材になってもらうとしましょウ」




