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首塚たたりの世迷言

作者: 夜中 光

 首塚たたり。


 そんな笑えない冗談みたいな言葉の羅列が、然りとてぼくの名前なのだと認識したのは、物心が付くよりもずっと前の事だと思う。

 後に「首塚」「祟り」の語意を知った時には、それだけで生まれの不幸を感じたし、改名を真剣に考えた事もある。

 父と、親戚と、その他大勢色々諸々の嘆願を受けて、現在は保留しているけれど……商店街にある肉屋のおばちゃんに満面の笑みで「たたりちゃん」なんて呼ばれる度、ぼくの脳裏では理想の名前についての検討会議が繰り広げられるのであった。


「はい、じゃあコロッケ三つね」


 店頭のカウンター越しに手渡されたレジ袋の中に片手を突っ込む。硬い感触。手触りから推測して、コロッケは一つ、二つ、三つ……四つ。


「一つ多くない?」


 ババア、ボケて数も数えられなくなったか。

 ぼくのような親切な客はこうして確認してくれるけれど、世の中は善人ばかりで回っているわけではない。「ラッキー、黙っとこ」などと胸の内で嘲笑を浮かべながら、そそくさと立ち去る小狡い輩だって居る。

 そういう小さな損益の積み重ねが、今日の商店街の惨憺たる閑散ぶりを招いたのだと何故気付かないのか。愚かだね、人類は。


「オマケだよ。たたりちゃんにはいっつもお世話になってるから、ね!」


「おばさま……」


 やはり現代社会に不足しているのは、こういう(ささ)やかな心遣いであろう。

 全国チェーンのコンビニやデパートの店員、大手企業に飼い慣らされた奴隷の如き浪費社会の犬どもは、今すぐこの脂肪という名の羽衣を纏った天女の爪垢を煎じて飲むべきだ。因みにぼくは絶対に飲みたくない。

 ともあれ、感謝の意を述べつつ店頭に背を向けたぼくは、西部劇ならタンブルウィードでも転がってきそうな野分(のわき)の風を右頬に受けながら、商店街のアーケードを後にした。


 毎年毎年、決まりごとのようにやって来ては、当間(あてま)市の建築物全般の老朽化促進に一役を買う大型台風が、今年は徘徊老人よろしくの軌道を描いて街を逸れた。

 受けて、安堵の空気が広く揺蕩う住宅街に足を運ぶと、ごみ捨て場の前で数人の奥様方が井戸端会議に興じていらっしゃる。


「あら、たたりちゃん。おはよう。こんな時間に珍しいわね」


「そうそう、たたりちゃん。あの話聞いた?」


「たたりちゃん、右手(みぎて)町高校の辺りに不審者が出たんですって」


 暇人共が、働け。


「怖いわよねぇ。こっちにも出たりしたら……たたりちゃん、なんとか出来ない?」


 あといちいち名前を呼ぶな。生きたくなくなってくる。


「ぼく、そういうのじゃないので。無理っす」


 淡白に返したら、暇人共が心から残念そうな顔をするので、何故かぼくが悪い事をしたような気分になった。

 仕方なく「気を付けて見て回っとくっすよ」なんて社交辞令を口にする。

 すると彼女らは付け入って口々に「お願いね」「心強いわ」「たたりちゃん」等々、矢継ぎ早に言葉を浴びせてくるのだった。辟易。


「じゃあ、ぼく行くんで。用事あるんすよ」


 話し足りなさそうな雰囲気をピシャリと遮る、斜め四十五度の一礼をかましてぼくは青空会議場の席を立つ。元より座ったつもりも無いのだが。


「あらそう、呼び止めちゃってごめんなさいね」


「別に。失礼しゃっす」


 背中に感じ続ける視線。それはさして気にならない。

 然しながら、どうだろう。セーラー服の女の子がこんな時間に、コロッケを頬張りながら往来を彷徨(うろつ)いている件について、微塵も糾弾する素振りを見せないあたりは、ご町内の常識や倫理的価値観に懸念を覚える。


 まぁ、どうでもいいんすけどネ。


「……あの。たたりちゃんっていうんですか、あの子?」


 だから、というわけでもないけれど。

 少しずつ遠くなっていく話し声が、未だ頻繁にぼくの名前を呼んでいる件についても、触れないでおく事にした。


「あぁ、芦屋さんは最近越してきたばかりだから知らないわよね」


「はい」


「そう、首塚(くびづか)さんの所のたたりちゃん。あの子にも、首塚さんのお宅にも、この街の人はみんなお世話になってるのよ」


「そうなんですか? えっと、凄い地主さんとか……?」


「違うわよ。いえ、違わないんだけど、それだけじゃない」


「えぇ。首塚さんの所はね。祟りを受け継いでくれてるの」


「祟りを……? 受け継ぐ?」


「そう。その祟りがあの、たたりちゃんなのよ」


 あー、生きたくないなぁ。



――――――



 当間(あてま)市を端的に表すのなら『山間の地方都市』である。

 四方八方、空の下に描かれた稜線は地図上、つまり上空からの視点でなぞると、そこそこに綺麗な円になる……と地域観光課お手製ガイドマップに書いてあった。もっとマシなアピールポイントは無かったのだろうか。

 ともあれ。斯様に陸の孤島じみた環境にあって、けれど交通やインフラ設備がわりかし整っている当間市は、都会の恩恵を是としながらも喧騒に馴染めなかった人々の移住先として、悪くない選択肢なのであった。

 それを指して、観光課の職員から街のキャッチコピーを考えてくれと頼まれた際に、ぼくが作ったキャッチコピーがこれである。


 負け犬の街、当間市。


 最近は特に陰気な顔が増えたように思う。特に市内に点在する各駅周辺はそうだ。

 社会人も学生も、どこか負を纏っている。もっと楽に生きればいいのに。因みに考案したキャッチコピーは二秒で却下された。


 件の住宅街からやや離れた、廃墟のような無人駅。コンクリートのひび割れからぼうぼうと生えた雑草が、生意気にも鮮やかな黄色い花を咲かせている。雨ざらしの青いベンチに腰掛けたぼくは、入道雲から視線を下ろして、欠けた防護プラスチックに守られた掲示板を眺めた。

 日焼けで変色したポスターが一枚貼り出されている。細かな内容を遠目で確かめる事は難しかったけれど、どうやら数ヵ月前に催された夏祭りの折、街の随所に貼り付けられていた物と同様の代物らしかった。撤去しなよ。


「首塚さん」


 どうでもいい事に思考を費やしていると、ふと真横から声を掛けられる。振り向けば、ぼくと同じ黒いセーラー服に身を包んだ少女が何故か所在なさげに立っていた。長髪、垂れ目、左手首の包帯。見るからに大人しそうな女子である。


「隣、いいかな」


「だめ」


 まさか断られるとは思っていなかったようで、彼女は「え」と驚いた顔をして固まる。それから、眉の端を下げて悲しげな表情を浮かべた。


「冗談、いいよ別に」


「ありがとう」


 複雑そうな笑みを見せながら、隣までやって来る。律儀な子だなぁと思った。

 ところで、誰だったろうか? 隣に並んだものの、その後特に話しかけてくる事も無い様子だったので、ぼくは思考を巡らせた。

 どこで会ったっけ? 学校? いや違う。家で見た事がある。いつ? 何故? あぁ、夏祭りの前だ。準備の為に、幾人かの偉そうな連中が顔を出しに来たけれど、その内の一人が娘さん、つまり彼女を連れてきたんだったと思う。名前。なんだっけ。ええと、確か。


顔無(かおなし)さんだっけ」


「……えっと、私の事なら、爪崎(つまさき)だよ」


 文字通り、爪の先にも掠っていなかった。


爪崎故子(つまさきゆえこ)


「あー、思い出した。そうだったそうだった。ごめん」


「思い出してくれたんなら良かった。気にしないで」


 実を言えば思い出せたわけではなく、名前を聞いた今も正直ピンと来ていない。が、わざわざ口にする必要もないだろう。事実は時として人を傷つけてしまう物である。沈黙は金なり。


「首塚さんもこれから学校?」


 「も」。という事は、彼女はこれから学校に行くらしい。セーラー服を着て、鞄を持っているのだから当然と言えば当然か。けれど、ぼくは。


「違うよ。ちょっと用事を足しに行くんだけど、気乗りしないから遠回りしてるんだ。あ、コロッケ食べる?」


 何気なくコロッケを差し出すと、爪崎さんはおずおずとそれを受け取った。たぶん、断れないタイプの子なのだろう。


「ごめんね」


 ぼくがそう言うと、彼女はコロッケから顔を上げて怪訝そうな顔をする。


「えっと……何が?」


「一緒に学校行きたかったんでしょ? 何ヵ月ぶりの登校かは知らないけどさ。そりゃま、仲間がいたら心強かったろうね」


 唾を飲む音が聞こえた。爪崎さんは目を見開いて、心底驚いた顔をする。少しオーバーではなかろうか。とっくに始業のチャイムが鳴り響いているであろうこんな時間に、列車待ちをしている女学生の事情を推測すれば、選択肢はそう多くない。秋だというのに革靴も鞄も傷一つ無くピカピカで……なんかそういう顔もしてるし。


「やっぱり首塚さんって特別な人なんだね」


 違う。少し考えたらこのくらい誰にでも分かる。ぼくが特別な人間なのは否定しないけれど、この程度の事で凄腕の霊能力者でも見るかのような眼差しを向けられたら困る。居心地が悪い。


「そっか。爪崎さんもぼくをそういう目で見るんだ」


「え、あ、いや」


 わざとらしく沈んだトーンで、顔を伏せる。見てもいないのに分かるくらい、慌てた雰囲気がひしひしと流れてきた。立ち上がって、ぼくの顔を覗き込もうと屈んだり、気後れして出来なかったり。肩に触れようとして、手を引っ込める。何か言おうとして、黙り込む。真面目だなぁ。


「冗談」


「えっ」


 込み上げた笑いをそのままに、顔を上げて見せる。半分泣きっ面の爪崎さんはぽかんと口を開けた。


「爪崎さん、からかいやすいってよく言われない?」


「うぅ……」


 不満げに唸る彼女の容貌を観察すると、やはりどこか違和感を覚えた。いや、既視感の方が近いかもしれない。ずっと前から彼女の姿に見覚えがあるような、ないような。


「ね、ねぇ。首塚さん?」


「ん」


 そうこうとぼんやり考えている内に、いつの間にか隣に座り直していた爪崎さんが、申し訳なさそうにぼくの顔色を窺っていた。


「なぁに」


「訊いてもいいかな」


 もう一度「だめ」と言ってみたくなったけれど、なんとか加虐心を抑え込む。


「いいよ、なに?」


「祟りとして生きるって、どういう感じ?」


「おおう」


 いきなり凄い所に踏み込んできたな。

 推理小説でいうなら、探偵がいきなり容疑者に向かって「人を殺すのってどういう感じ?」と訊くようなものだ。


「ご、ごめん! やっぱり失礼っていうか、こういうの訊いちゃうのってよくないよね」


「そんな事ないけど」


 ないけど、あるんだろうか。礼儀だとかモラルだとか、そういう一般的価値観にはちょっと自信がないぼくである。

 なにせ齢十三の誕生日を迎えたばかりの娘に、「お前は祟りを受け継ぐのよ」などとわけの分からない事を申しながら、自分の生首を裏山まで埋めに行かせるような女の股座から産まれてきたのでありまして。斯様にロックンロールなエックス染色体を受け継いでいる以上、正気も狂気も同じ沙汰に見えている感は否めない。


「答えにくい、かなぁ。あぁ、言いたくないとかそういうんじゃなくてさ」


 生まれてこの方ずっと、そうなるべくして育てられたものだから、それが「並の人生ではない」という事を知として認識してはいても、感覚的には分からないのだ。普通に育てられた、普通の人の普通の価値観、普通の感性に伝わる形で言語化するのは難しい。

 ただ、言える事があるとすれば。


「街から出ようと思いさえしなければ、そう悪いもんでもないかなって思うよ」


「そう、なんだ」


「そそ。学校だって行かなくてもいいしね」


「それは羨ましいかも」


「でしょ」


 サボり放題だぜ。


「私はね、この街を出たいんだ」


「……ふーん?」


 まるでとっておきの秘密を打ち明けるみたいに、爪崎さんは呟いた。


「知らない場所で、知らない人達と、今の私じゃない私になって生きてみたい」


「それは……」


 たぶん、彼女には無理だろう。

 私じゃない私。彼女の言うそれは恐らく、俗にいう「ありのままの自分」「本当の自分」というヤツの事を指しているんだと思う。

 けれど、無理だ。それをするには強い自我だとか、決断力が必要で、彼女にはそれが無い。学生の身分である今が正にそれを培い、スキルとして自らの内に養っていく時期だというのに。


「いつか、いつかね」


「……」


 沈黙は金なり。事実は時として人を傷つける。

 そもそも現状に甘んじているぼくには、街から出ようなどと思っていないぼくには、彼女の将来設計図にケチをつける資格なんて無い。


「うん。いいんじゃない、そういうのも」


 だから、ぼくは嘘を吐いた。

 爪崎さんは何故か「ありがとう」なんて言いながら、ぎこちない笑みを浮かべた。それからコロッケを一口齧って、また驚きの声を上げるのだった。


「これメンチカツだったの?」


「え、うそ」



――――――




 爪崎さんと別れて後。ぼくはふらふらと当間市を巡り歩いた。

 市内四十八ヶ所に存在する『首塚崇命ノ人柱碑』を一応の目的地に設定して、十三番目の碑石を検めたところで陽が傾き始めた。

 西南西、都市郊外の林中。獣道を辿った先にある小さなお堂の片隅に、ぽつんと建てられた碑石の頭は僅かに欠けている。足元の欠片を拾い上げ、溜息を吐いた。やはり、木工用ボンドでは無理があったか。


 ぼくは観念して、用事を足しに行く事にした。来た道を戻り、住宅街まで引き戻った頃にはすっかり日が暮れていた。冷え切った最後のコロッケ……もといメンチカツを頬張りながら、目的の場所まで最短経路で進む。

 夜風が冷たい。やがて冬がやって来るのだと思うと、少し気が滅入る。寒いのは平気だが、雪というヤツがぼくは嫌いなのである。

 あれはどうにも、あざといように思うのだ。真っ白な粉雪が景観を一緒くたに染め上げ、日照りを反射させて輝く様を人は綺麗だなんだと囃し立てるわけだが、それが良くない。

 四季あれど冬の一季に勿体ぶって、これ見よがしに降るのを眺めれば吐き捨てたくなる。たかが水蒸気如きが、着飾りやがって。

 着飾るといえば昨今の住宅もそうだ。流行なのか知らないけれど、やたら外観のディティールにこだわった物が見受けられる。この住宅街に並ぶ家々も、御多分に漏れずそういった代物が大方を占めていた。

 これは個人的な好みを大いに含んだ見解なのだけれど、家というのは少々武骨なくらいがイチバン良い。昔ながらの職人が、頑丈さを追求して柱の一本一本に技術の粋と魂を込めたような。なんか、そういう感じのやつ。

 そういった意味では、目の前の大きな平屋はぼくの理想に近い。

 時代の流れに逆らった木造瓦屋根の古屋敷は、どう見たって周囲の軒並みから浮いている。広い建物、広い庭。それを守る四方のブロック塀は、敷き詰められたように並んで縮こまる他の家々を嘲笑っているかのようだ。

 鉄柵で閉じられた門前のインターホンを鳴らして数秒待つと、予想よりもクリアーな音質で壮年の男声が聞こえてきた。


『どちら様でしょうか』


「どうも、祟りです」


 応えてすぐ、インターホンがブツッと音を立てる。それから少し待つと、鉄柵が自動で開いていった。


『どうぞ』


 インターホンが口数少なめにぼくを招き入れる。遠慮なく足を踏み入れ、芝生の踏み心地を確かめつつ、玄関前の呼び鈴を鳴らす。今度は殆ど待たなかった。


「こんばんは、たたりさん。月が綺麗ですね」


 玄関のドアを開き、姿を現した痩身の男性は丸眼鏡を押し上げながら、無機質な口調で社交辞令をこちらに向ける。社交辞令、というか。ぼくの記憶が正しければそれは口説き文句だったような。まぁいいか。


「こんばんは」


 返し、一礼をする。斜め四十五度。一応、こういった礼儀作法は教わったので、自然な所作でマナーを敢行する。晩方過ぎのお邪魔は避けるのが本来は筋だ。

 ぼくは祟りである。祟りが家人の都合を考えるとはこれ如何に、とも思う。()れど、祟りである以前に一人の人間として、礼節はあって然るべきなのだ。

 頭を上げれば、男性と目が合った。何かを期待するかのような眼差しを向けられ、暫し思案を走らせたぼくはやがて悟り、姿勢を正して前言を改めた。


「こんばんは、爪崎さん。月なんて大きな石ころですよ」



――――――




 「さて」と爪崎さんは言った。

 通されたのはイ草の匂いが香る六畳一間。天井の低さも相まって、客人をもてなすにはやや狭く感じるけれど、個人的には嫌いじゃない。こうして座っていると、ひっそり茶会でも開きたくなる心地良さだ。

 吊り下げ式の照明が、灯籠のようなデザインであるのも好印象。温白色に照らされた室内にぽつぽつと雨音が入り込む。いつの間に降ってきたのだろうか。

 

「秋の御目通りは先日に、(つつが)なく終えたはずですが」


 言いながら、急須で淹れたお茶を差し出してくる爪崎さん。


「分家も分家、宗家の目端にも留まらない末席たる私どもの所まで、わざわざ御足労頂けるとは光栄です」


「饒舌っすね」


 思わず零れた感想を置いて、湯気の立った茶碗を受け取る。習った所作をそのまま投影し、茶碗に口付けた。ほぅ、ふむ。爪崎さんはどうやら、お茶を淹れる才能を持っていないらしい。


「して、本日は何用で御座いましょうか?」


 問われて、僕は茶碗を手前横に置いた。二度と口を付ける事は無いだろうけれど、突き返すのも気が引ける。


「さっき言った通りですよ」


「はぁ」


 小首を傾げる爪崎さん。張り付いた笑顔が少し困った風にして歪む。


「言った通り、ですか。はて」


 しらばっくれている、というわけではなさそうだ。であれば、埒を開けよう。


「祟りです。祟りに来ました」


「……誰を?」


「貴方を」


「何故?」


「心当たりがあるのでは?」


 ここまで言えば、流石に伝わるはずだ。そう高を括ったのだけれど、爪崎さんの返答はぼくの見込みを下回るものだった。


「あぁ、成程。バレてしまったんですね……」


「そういう事です」


「私が妻を、睾部(さわべ)の女を殺した事が」


「……」


 惜しい、といえば惜しいのである。けれど、ニアピンというか。そこはかとなく、そこじゃない。

 然しながら、どうだろう。


「当間の地を統べるは祟命(すうめい)公の血脈。その本筋たる首塚は無論の事、血筋の者を殺めるは大罪。首塚への叛意と見なされても致し方ありません」


 どうだろう。


「であるならば、祟りの対象と見なされるは必定。是非無き事と存じます」


 どうだろう。


「然しながら、何の弁明も許されないというのは口惜しい。恩情を賜れるとは思いません。せめて聞いて頂けないでしょうか。これには止むに止まれぬ事情があったのです」


「……」


 どうだろう。ここまで愉しげに、朗々と勘違い街道を邁進されてしまっては、指摘するのもなんだか申し訳ない気がしてくる。あと、ちょっと泳がせても面白いかなぁなんて思えてくる。

 まるで演説でもするみたいに身振り手振りを加えて“事情”を語る爪崎さんは、どうやら演技の才能も無さそうだ。大げさ過ぎてつまらないのだけれど、そのつまらなさが逆に面白い。滑稽芸の一種と思えば、ナシではない。

 とはいえ、時間は有限だ。夜も更けてくるし、そろそろ帰りたくなってきた。

 爪崎さんの妻……睾部の家から娶った女がいかに性悪で、お家の格が爪崎よりも上である事を傘に狼藉千万の限りを尽くしていたのかを根の限りに力説されても、正直に言ってどうでもいい。

 それ故に殺め、死体を爪崎家管轄の林中に埋めた事も、知った事ではないのである。


「であるからして」


「爪崎さん」


 そろそろ口を挟ませて貰おう。


「どうでもいいっす。その話」


 きっぱりと告げて、打ち切る。すると爪崎さんは、性懲りもなく演技じみた悲痛の表情と言葉を並べるのだった。


「残念、残念です。宗家、首塚当代のお心に我が積年の思いは届きませんでしたか」


「いや、そういうんじゃないです」


 これ以上喋らせておくと面白さよりも鬱陶しさが勝るので、ぼくは何か言おうとする爪崎さんを片手で制し、改めて指摘を行う事にした。辟易、辟易。


「仮に爪崎さんの奥さんが、爪崎さんの言う通りの人であったとしても、そんな事はどうでもいいし、殺した事だってどうでもいいんですよ」


 そんな事はどうでもいい。


「たった今、爪崎さんが語った話が全部嘘だっていう事もどうだっていいですし」


「は?」


「本当の所……奥さんは貴方という恐怖に怯え、最期の時すら殆ど抵抗出来なかったのであろう事も、どうだっていいんです」


 どうでもいい。どうでもいい。


「爪崎さん。これは、そうっすね」


 どうでもいいのだけれど、きっちりと説明してあげなければ、彼が妙な真似をしないとも限らない。


「祟りなんてものを自称するキチガイ娘の、世迷言か何かだと思って聞いてください」


 そう前置いて。ぼくは繰り言を始める。彼にとっては初めて聞く言葉であっても、ぼくの中では何度かの反芻を重ねたものだ。

 よって、繰り言。わざわざ言語化して伝えなければならない事への不満、愚痴溢し。世迷言。


「爪崎さんは先代の首塚たたり……つまりぼくのお母さんの事が好きだったんですよね」


 まずはここからかな。どこから説明を始めるべきか悩んだけれど、順を追った方が理解は容易いはずだ。ワンチャンス、話の途中で観念して察してくれる事も期待して。


「だから、お母さんに容姿が似ていた睾部の娘さんを娶った」


 宗家とでは身分が違い過ぎる。分家同士であれば、多少の格差があってもそこまで障害にはならない。要は妥協だ。中身を似せていくのは後でいい。外見ばかりは……まぁ、整形という手もあるが、そんな分かりやすい形で示してしまうと、宗家への劣情が明るみに出て、祟りの対象にされてしまうと考えたのだろう。愚かだね。


「奥さんを恐怖で縛り、支配した。そうして先代たたりのように、いえ。貴方の中で作り上げた妄想のたたりのように振舞わせた」


 自分を愛してくれるたたりを。

 誰もが畏れる威厳と、誰もが羨む美貌を湛えながら、自分の前では奴隷の如く(かしず)き、悦んで欲望の捌け口となる。そんな妄想。たぶん、そんな所だ。けれど。


「飽きてきた……て感じなんすかねぇ」


 憤りを覚えてきたのだろう。御目通しを重ね、模倣を高める為に本物の立ち居振る舞いを観察すればするほど、所有する贋作との差異に気付く。

 その憤りは去年、先代たたりが没して過激化した。もはや実物を眺め、己を慰める事も叶わない。そうなれば、贋作に妄想を強いる手も激しくなってくる。

 上手くやれなければ罰を与える。どうして上手くやらない? 必死さが足りないのだ。懸命さが足りないのだ。ならば罰を。もっと罰を。命を賭して我が理想を体現する事を至上命題とするように。罰を。


「で、やりすぎちゃったと」


 壊れた贋作を見下ろして、彼は慌てたろうか。恐らくはそれほど。苛立ちはあっても、スペアは既に産ませてある。


「故子ちゃんを御目通しに連れてきたのは、前作の失敗を省みた結果ですか」


 前作は本物を実際に見る機会が無かった。本物は既にこの世に存在しないが、限りなく本物に近い物なら、ある。(ぼく)だ。


「そこも妥協した」


 本物を追い求め過ぎても、乖離に気付いて虚しさが勝るだけだ。

 初めから“精度の高い贋作の贋作”を作ろう。そうすれば、気休めとして悪くない程度の物は作れるに違いない。幸いにも、代替品と贋作はよく似ていた――昼間、彼女に会った時に感じた既視感。あれは鏡を見た時のそれとよく似ていた。だから分かった。彼女は、ぼくを模倣して作られているのだと。


「さて」


 この辺りで一段落。というか、ここまで語ればそろそろいいんじゃないだろうか。


「爪崎さん。ぼくはここまで悟って尚、そんな事はどうでもいいって言うんですけども」


 彼の顔色を見る。語れば語るほどに色を失っていった彼の表情は、とっくに無を通り越している。越して、訝しげな眼差しをこちらに向けている。少し待つと、彼は重い口を開いた。


「そこまで知って、それは罪ではないと?」


 は? 馬鹿ですか?


「罪に決まってるじゃないっすか」


 この場合、罪というのは宗教や何かで語られる人間の根源的罪だとか、業だとかの事ではない。


「それは白日の下に曝された時、司法によって裁かれる罪っすよ。罪状は……まぁ、なんか色々でしょうけど」


「なぁ、さっきからその「っす」ていうやつ、やめてくれないか?」


 あぁ、やはり気に食わなかったか。お母さんは公的な場だと厳粛な口調だったしね。


「それさえ無ければ、君は私が望む限り最高の妥協点足りえるんだが」


「さーせん」


 ぴくり、と眉根が動く。これも駄目か。まぁ分かっていて言ったのだけれど。


「話を戻すんだがね……それが祟りの対象とならない、というのであれば。教えてほしいものだ。私は何故、祟られた?」


 それは簡単、至極明快な理由である。


「爪崎さん。奥さんの死体を埋めたのは、林の碑石の近くっすよね」


「そうだ」


「スコップで掘るの、大変じゃなかったっすか」


 人間一人の身体がすっぽり収まるほどの穴を手作業で掘るというのは、口で言うほど簡単ではない。間違いなくそれは重労働だし、細身の中年男性にはキツい作業だっただろう。


「あぁ、骨が折れたよ」


「掘り終わった時、達成感っていうか。ちょっと感動して浮かれちゃったりしたんじゃないすか? こう、両手を挙げて、スコップなんかその辺に放り投げちゃって」


「それがなんだと言うんだッ!!」


 怒った。からかい甲斐があるのは父親からの遺伝だったんだなぁ。

 故子ちゃんの泣き顔を思い出し、笑いかけたのを堪えて、ぼくは努めて冷静な口調で説いた。


「だから、その時っすよ」


「その時?」


「はい。その時、スコップが当たったんすよ」


「……」


「碑石に。で、欠けちゃったんす。碑石」


「……は?」


 は? て言われましても。


「そんな事、で?」


 鳩が豆鉄砲を喰らったような。そんな言葉がまさしく似合う顔を、ぼくは初めて見た。ちょっと感動。けれども。


「祟りなんてそんなもんっすよ」


 そんなものである。世の一般常識や価値観で重視されるような事柄は一切考慮しない。祟り主にとって、自らの慰霊碑は謂わば手足。或いは胸とか、腹だ。それを害される事こそが、一番の有事なのだ。有体に言ってしまうと。


「癪に障った。だから祟る。そういう事です」


 言い終えて、ぺこりと一礼する。爪崎さんは呆気に取られた様子で固まり、やがて俯いて黙り込んだ。こういう所も親子で似ている。


「じゃ、祟りますけど」


「……」


 言い置いて。ぼくはレジ袋を彼の前に差し出した。彼はふと顔を上げ、無言でレジ袋を睨み付ける。


「コロッケ、じゃなかった。メンチカツです。最期の晩餐って事で、どうっすか」


 無言。長い沈黙の中で、しとしと雨音が響く。

 どれくらいの時間が過ぎたのか、爪崎さんはゆっくりと片手を上げて、レジ袋に指先を伸ばす。そして……。


「!!」


 そうして――襲い掛かってきた。

 勢いよく立ち上がり、鬼気迫る形相で両腕を広げる。血走った眼球、歪んだ口角の端から涎が飛び散る。汚い。

 飢えた野犬さながらの雄叫びがぼくの鼓膜を劈いた。きぃん、と甲高い音を聴きながら、やけにスローモーションに感じる彼の全容を観察すると、股間が膨らんでいた。あぁ、嫌な所に気付いてしまった。辟易、辟易、辟易。


「あぁ」


 青筋立った腕がぼくの首に触れんとするその刹那、室内を小さな異音が駆け抜ける。ぴしゅん。 


「え」


 レジ袋の中から硝煙の臭い。

 間抜けに鳴いて、ケダモノは動きを止める。鼻先に迫ったその顔は、何が起こったのか分からないと言いたげで、遅れて感じ始めたのであろう腹部の違和感に目を向けた。小さな穴。それは次第に赤く、黒い染みを衣服に広げていく。


「なんで」


「なんで、て言われましても」


 横に倒れる。起き上がる事は出来まい。

 レジ袋の中、消音器の先端から放たれた7.62x38mmナガン弾は、たった一発でケダモノの活動力を奪うに十分な殺傷性がある事を証明した。

 立ち上がり、欠伸をする。用事はこれで済んだ。家に帰ろう。シャワーを浴びたい。

 大きく背伸びをしたぼくの耳元に、聴きなれない音がやってくる。ひゅう、ひゅう。風かと思えば、それはケダモノの呼吸音だった。いつの間にか、雨は止んでいる。


「うーん」


 放っておいてもいいのだが。

 ぼくは懐に手を入れて、財布の中から一枚の硬貨を取り出した。財布をしまい、硬貨の表裏を検める。


「表」


 言って、硬貨を宙に放る。回転しながら落下するそれを手の甲で受け止め、片手で覆う。開くと、硬貨は裏面を向けて天井を見上げていた。


「残念です」


 ぴしゅん、ぴしゅん、ぴしゅん。




――――――




「首塚さん?」


 玄関を開けたぼくを待ち受けていたのは、故子ちゃんとの運命的な再会だった。

 いや、そんな大層なものでもないか。ここ家だし、彼女の。


「こんばんは」


 片手をひらひらさせながら挨拶すると、彼女はぼくにそっくりな顔立ちを青褪め、ぼくを押し退けて家の中へと駆けて行った。


「故子ちゃん? え、えっ?」


 背中を見送り、外の方へ振り返ると、セーラー服の女の子が困惑した様子で立っている。

 あぁ、似ている。ぼくに。そういう事だろうな。どうでもいいけれど、うーん。


「なんて言われてここまで来たのか知んないけどさ」


 切り出され、困惑したままこちらを見つめる女の子に対し、ぼくはむき出しのナガンM1895を眼前に突き付けて伝える。


「帰った方がいいよ。面倒事に巻き込まれたくないでしょ?」


 目の前の物と、言葉の意味を察してかどうか。ともあれ女の子は踵を返して一目散に走り出し、速やかに闇の中へ姿を眩ませた。綺麗なランニングフォームだ。陸上部かな。


「さて」


 と、一息。ぼくは女の子が去っていった方向と逆の道を歩きながら、爪崎家の今後について漠然と予想を立てた。


「まぁ」


 家督は彼女が継ぐ事になる。分家としての役割を果たす。その為に彼女は一生を費やす事になる。管轄する土地を見守り、子を産んで血を後世に繋げる……後継者さえ出来れば、彼女が解放される未来もあるけれど。たぶん、無理だ。そうなると、彼女の細やかな願いは今夜潰えた事になる。

 きっとぼくを恨むだろう。最も恨むべき対象が、恐れを抱いていた相手がこの世を去ってしまったわけだから、良くも悪くも精神的なゆとりを得たはずだ。そのゆとりが、崩壊寸前の精神を支える為の礎を求めて思案をさせる。代わりに憎むべき相手を悟らせる。


「まぁまぁ」


 可哀想だな、と少し思う。折角、父親が提案してくれたのだろうに。

 代わりを用意すれば、解放してやってもいい。そんな風に吹き込まれたのだろう。自ら産むか、それとも連れてくるか。

 自分で、というのは無理だったのだ。母亡き後、父親に何度も犯されながら孕む事が無かったのであれば、それは彼女が産めない身体であったという事。意思や生理的嫌悪感の問題ではなく、物理的な問題として不可能だった。であれば、連れてくるしかない。

 不審者の出没と周囲に取り沙汰されながら、杜撰な物色を行った父の示した標的が、自身の同校生であると知った時、彼女はどう思ったのだろうか。

 逡巡はあったのだろう。でなければ、遠い無人駅でふらふらと彷徨っている道理が無い。けれど結局は、父の提案に従って計画を実行した。


「まったく」


 自我も決断力も欠けた選択である。そんなものだから、もし仮に計画が上手くいって、首尾良く自由を手にしたとしても、彼女は「今の私」から変貌を遂げられなかったに違いない。何処に行って、何をして、誰と出会ったとしても、変わらない。彼女には無理だ。


「まぁ、それなら」


 案外、これで良かったのかもしれない。

 泡沫の夢は弾け、生きる理由も出来たのだ。現代の価値観からいって、復讐心や憎悪の類を糧にする状態は、あまり褒められたものではなかろうけれども。


「死ぬのはよくないからねぇ」


 現代的価値、倫理観に沿って考えればの話だが。まぁ、その辺りで。


「世迷言、世迷言」


 繰り返し呟く。何処かで猫が鳴いた。にゃーん。

 暫く続けていた思案だったけれど、ぼくは飽いてそれを放棄した。

 どうでもいいのである。そんなものなのである。

 自称祟りのキチガイ娘が、帰路の手慰み程度に儚んだ少女の行く末などは、あのうら寂しげな甲声(かんごえ)ほどにも意味なんてないのだから。

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