Tire101 背中
虚空を見つめた瞳を揺らしながら、マノ君は危なっかしい足取りで六課を出て行ってしまった。
「……シ……っ!……」
美結さんはマノ君を呼びとめようと何かを言おうとしたけど、開いた口はすぐに閉じてしまう。
それでも美結さんは意を決したように一歩を踏み出してマノ君の後を追いかけようとする。
マノ君の姿はもう見えていないが、今すぐ追いかければ追いつけないこともないはずだ。
「待って!」
パシッと市川さんが美結さんの右手を掴む。
手を掴まれたことで美結さはそれ以上前に進むことができずに、掴まれた方の腕は伸びきっている。
美結さんは「どうして止めるの?」というように市川さんに振り返って見返す。
「……少し、一人にしてあげた方いいんじゃない? 今はそっとしておいてあげよ?」
何もいわずとも表情から何を言いたかったのかを理解した市川さんは焦った美結さんを落ち着かせるように優しく言った。
美結さんがマノ君を心配してそばにいてあげたいという気持ちもわかるし、市川さんがあえてマノ君を一人にしてそっとしておいてあげたという気持ちもわかる。
二人とも考え方は違ってもマノ君のことを心配していることに変わりはないみたいだ。
「……日菜っちが言っていることもわかるけど……ごめん」
美結さんは一瞬の躊躇いはあったもののすぐに口をきゅっと結んで市川さんに掴まれた手を振り払ってマノ君の後を追うように駆けて行った。
「美結……」
そう呟いた市川さんの振り払われた手は誰を掴むこともなく、虚しく宙に残ったままだった。
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急いでアイツの後を追ったはずなのに、六課を出た廊下にアイツの姿は見当たらなかった。
外で頭を冷やしてくるとは言っていたけど、部屋の外じゃなくて文字通り本当に建物の外でって意味なの!?
こういう時って普通、部屋の外って意味で外って使わない?
アイツって昔から、こういうとこでちょっと変なのよね。
あ、ううん。
ちょっとじゃなくて、すごく変だわ。
アタシは心の中でアイツにいっぱい文句を言いながら、焦るように下の階に降りるエレベーターのボタンを軽く連打する。
普段なら、こんなことしないはずなのに……
我ながら自分が動揺していることを思い知らされているみたいだ。
だって――
「……アイツのあんな顔、見たことなかったんだもん」
誰にも聞こえない声でアタシはつい口からそう漏らした。
アイツが乗ったばかりのせいかエレベーターは中々やってこない。
焦れったくなって階段を使おうか迷っていたところで、ポーンとエレベーターが到着したことを知らせる音が鳴ってエレベーターの扉がゆっくりと開いた。
アタシは開いたエレベーターに飛び乗って今度は連打なんかしないように、でも、素早くロビーのある一階のボタンを押して閉まるボタンを押す。
早くしてよとうずうずしてしまうようなスピードでゆっくりエレベーターの扉が閉まる。
ズンとした重みでエレベーターが下降していることが体全体に伝わってきた。
その重みがなくなって、エレベーターは一階に到着したみたいで扉はまたうずうずしてしまうようなスピードでゆっくり開く。
開くのも早々にアタシは体を横にして僅かに開いた扉の隙間からエレベーター降りて走り出した。
「きゃっ! ごめんなさい!」
外に向かってロビーを走っている途中でアタシは前から来ていた人にぶつかりそうになってしまった。
ぶつかりはしなかったけど、お互いに大きく体勢を崩してしまった。
それでもアタシは振り返ることもおざなりに、謝罪だけはして足は止めずに走り続けた。
建物から外に出ると中央分離帯のある片側二車線の広い道路が目の前に広がる。
桜並木が続くこの道路は春になると桜が咲いて、とても綺麗な景色になる。
アタシは左右をキョロキョロと見渡してアイツの姿を探す。
すると左を見た時に、遠くにアイツが歩いている後ろ姿が見えた。
たしか、あっちは「イケア」とか「ららぽ」がある方だ。
「頭を冷やすとか言っといて、本当はサボりたいだけじゃないでしょうね?」
アイツを見失わなかったことにホッとした気持ちを上塗りするようにアタシはひとり言をこぼす。
とはいえ、まだアイツに追いついたわけじゃないから早く追いかけないと。
ここまで走って来て、ちょっと疲れていたアタシは少し息を整えてから再び走り出す。
アタシはマイグレーターじゃないから身体能力が段違いに高いわけじゃないけど、これでも女の子の中では高い方だと思う。
六課にいると何気にフィジカルを使わないといけない機会とかも多いしね。
思いっきり走ったことで、歩いているアイツの後ろ姿がぐんぐんと大きくなってくる。
アイツは歩いていて、アタシは走っているんだから当然と言われれば当然なんだけど……なんか違う。
いつもだったら、アタシがどんなに頑張って走ってもアイツの背中にはちっとも届かない気分なのに……今日はそうじゃない。
あんなに遠くにいたはずのアイツの背中に簡単に追いつけてしまった。
ほんの数メートル先にいるアイツの背中は一人じゃ抱えきれないもの背負いこんで今にも押し潰されそうな、そんな弱々しいものだった。
届くはずのないその背中に今だったら届くんじゃないのかな。
今だったらその背中を支えてあげられるんじゃないのかな。
そう思った時にはもう、アタシは手を伸ばしてアイツの背中の裾をちょこんと掴んでいた。
「アンタ、勝手にどこ行くのよ!」
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