Tier94 減給
てっきり、僕達の会話に参加しているものと思っていた那須先輩の姿が見当たらないことに市川さんが気付いた。
言われてみれば、たしかに那須先輩の声を聞いていない。
那須先輩ならこういう話には一番最初に反応してきそうなのにな。
「波瑠見ちゃんがこんなに静かだってことは……」
フラっと向きを変えた丈人先輩が那須先輩のデスクに近づいて行く。
けど、そこには那須先輩の姿はない。
それでも丈人先輩は歩みを止めることなく近づいて行く。
那須先輩のデスクの目の前で立ち止まったかと思うと、バッと勢いよく丈人先輩が屈んだ。
「ひゃッ!」
すぐに那須先輩の驚いた声が聞こえた。
どうやら、那須先輩はデスクの下に隠れていたようだ。
「そんなとこで何してるの?」
声も表情もどこ一つとして怒っているように見える要素がないのに、丈人先輩が怒っていることがビリビリと感じられる。
「何って……もちろん、事件の映像から犯人を探してた……んだよ!」
明らかに嘘であろう、動揺した声がデスクの下から返ってくる。
「ま、どうせアニメでも見てたんでしょ」
諦めたようにため息をついた丈人先輩は、さっきとは一転して怒っているようには感じられなくなっていた。
「お、怒ってないの?」
那須先輩もそれを感じたのか、恐る恐るデスクの下から顔を出す。
「やっていることは職務怠慢以外の何物でもないけど、俺がそれを怒ったりはしないよ」
「ほ、本当? よかった〜〜丈人君、すごく怒っているのかと思ったよ」
丈人先輩から怒っていないと言質を取ったことで安心しきったのか、那須先輩は緊張することなくデスクの下から完全に出てきた。
「こういうことで俺は怒ったりしないよ。それは俺の仕事じゃないからね。あっ……でも、このことはしっかりと深見さんに報告しておくから」
「え?」
安心しきっていた那須先輩の顔がみるみるうちに引きつっていく。
「深見さん、こういうことには厳しいからな〜。減給は免れないだろうね」
「そ、それだけはやめて! 今月は出費の予定が多くて、減給なんかされたら暮らせなくなっちゃうよ!」
「その出費の八割、いや九割は生活に関係ないだろ」
「そんな〜! マノ君にはわからないかもしれないけど、推し活は私の人生そのものなの! 何でもするから深見さんには言わないで!」
那須先輩のある言葉に反応してマノ君と丈人先輩の目がギラリと光る。
「何でも?」
マノ君の鋭い眼光にさらされて那須先輩の肩がわずかに跳ねる。
「ちょっ、ちょっと、マノ君。何でもって言ってもエッチなのはダメだよ♡」
思いきりノリノリな那須先輩がわざとらしく頬を赤く染めて自分の胸を両手で隠す素振りを見せる。
「……深見さんに報告するか」
パカッと開いたガラケーを素早く操作してマノ君は深見さんに連絡を取ろうとする。
「待って、待って! 嘘! 嘘だから、冗談だから! 深見さんに電話を掛けるのはやめて下さい!」
マノ君の腰の辺りに抱きついて羽交い締めにする那須先輩へ上から軽蔑した眼差しが向けられる。
そんな視線を向けられても那須先輩は気にすることはなく、むしろマノ君の手が止まったことで余裕すら出てきていた。
「せっかく私が人生に一度は言ってみたいことランキング13位を言ったんだからマノ君も、もう少しノッてくれてもよくない?」
「あ?」
「ひっ、すみません!」
見せつけるようにガラケーに映った深見さんへの発信画面をキレ気味のマノ君は那須先輩の眼前に突きつける。
おまけに手は電話の発信ボタンの上に置かれている。
そんな脅しに那須先輩は瞬く間に屈した。
あと、那須先輩の人生に一度は言ってみたいことランキングはいったい何位まであるんだろう。
「まぁ、マノ君。ここは穏便に済ませようよ。波瑠見ちゃんがこれから頼む作業を一人でやってくれるなら深見さんには報告はしないであげるよ。マノ君もそれでいいかな?」
「よくはないですけど、丈人先輩がそういうなら致し方ありませんね」
マノ君は那須先輩に突きつけていたガラケーをパチンと閉めてポッケにしまう。
「本当に深見さんに言わないでくれるの?」
「今からお願いする作業をちゃんと一人でできたらね」
捨て犬のような眼差しを向けてくる那須先輩を丈人先輩が餌で釣るように不気味に笑う。
「うん、わかった!」
「じゃ、那須先輩にはこれをやってもらいます」
餌……というか罠にかかった那須先輩を逃がすまいとマノ君が作業の詳細を伝えて取りかかせる。
その時、マノ君と那須先輩がアイコンタクトを取ったのを僕は見逃さなかった。
そこから僕は一つの結論を導き出す。
この二人は最初からグルだったんだ……那須先輩を嵌めるための――
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