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妹が妹じゃなくなった日

作者: 墨江夢

「新婦、入場」


 扉が開くと、父親に連れられて花嫁が式場の中に入ってくる。

 俺の好みに合わせたウェディングドレスは、言うまでもなくよく似合っていて。

 彼女がいつもより綺麗だと思えるのは、きっとドレスや化粧のお陰だけじゃない。心底幸せそうなその表情が、彼女の美しさをより際立たせているのだ。


 花嫁が俺の横に到着する。

 花嫁の手が、父親から夫へ移る。それは娘から妻になるという意思の表れでもあった。


華奈子(かなこ)


 俺は花嫁・霜田(しもだ)華奈子の名前を呼ぶ。

 すると華奈子も応えるように、俺の名前を呼んだ。


大翔(ひろと)さん。……やっぱりこの呼び方は慣れないね」


 頬を人差し指でかきながら、華奈子は言う。

 普段華奈子は俺を名前で呼ばない。初めての名前呼びに、照れを隠し切れないのだろう。

 

「俺だってそう呼ばれるのはこそばゆいさ。でも、俺たちは今日から夫婦になるんだ。名前で呼び合うのにも、慣れていかないと」

「そうだね。……私たちは夫婦になる。だから、最後にもう一度だけ呼ばせて。――「兄さん」」


 一瞬だけ、華奈子は花嫁から妹に戻る。

 そう、俺と華奈子は新郎新婦であると同時に、兄妹なのだ。





 思えば華奈子は昔から、俺を慕ってくれていた。

 高校時代、早起きが苦手で寝坊ばかりしている俺を、華奈子はほとんど毎朝起こしに来てくれた。

 

「兄さん、起きて」

「んー? もう朝なのかー?」

「朝だよ。早く起きないと、遅刻しちゃうよ」


 俺の体を軽く揺らしながら、華奈子は俺を呼ぶ。

 目を開けると、すぐそばにやたら唇を尖らせた華奈子の顔があった。


 最初は寝ぼけて見間違えているのだと思った。しかし目を擦ってみても一向に華奈子の顔は消えない。それどころか、徐々に近づいてきている。

 つまり目の前の光景は、事実だということで。

 事実だと判明するやいなや、俺の眠気は瞬時にどこかへ消え去った。


「……お前、何してんだ?」

「えーと……おはようのチュー?」


 いや、質問してるのはこっちだっての。

 華奈子を退かし、俺自身も上半身を起き上がらせる。

 寝坊した俺が悪いわけだし、こうして遅刻しないよう起こしに来てくれるのは非常にありがたいんだけど……俺は妹の悪ふざけに、溜め息しか出なかった。


「お前な、近親相姦って知ってるか?」

「警視総監の親戚みたいなやつ?」

「全然違えよ。後で調べとけ、高校生」


 俺はスマホを手に取り、今の時刻を確認する。

 これから制服に着替えたり朝シャワーに浴びたりするとなると、正直朝飯を食べている時間はないな。


「なぁ。朝飯のことなんだけど……」

「ゆっくり食べている時間がない? そう言うと思って、おにぎりにしといたよ」

「サンキュー」

「どういたしまして。……その代わりと言うわけじゃないんだけどさ、一緒に登校してくれる?」


 おねだりするように、華奈子は尋ねる。


「今日は荷物が多いから、兄さんに手伝って欲しいなーって」

「俺は荷物持ちかよ。別に良いよ」

「やった! じゃあさ、じゃあさ! 手、繋いでも良い?」


 ……成る程な。

 荷物持ちというのは表向きの理由で、本命は手繋ぎ登校だったか。

 一緒に登校するという言質を既に取っている以上、手を繋ぐことに対する許可を得るのはそう難しいことじゃない。華奈子はそう考えたのだろう。


 ……仲の良い兄妹なら、手を繋いで登校してもおかしくないよな?

 そう判断した俺は、「別に良いよ」と答えた。


「本当!? 因みに腕を組んだりとかは……」

「調子に乗り過ぎだ」


 手繋ぎまでは許容出来るが、腕組みは兄妹の域を越えてしまっている。

 俺たちは兄妹であり、恋人同士じゃない。どんなに仲が良くても、越えてはいけない一線というものが存在する。

 その一線を越えないように妹を静止するのが、兄としての役割なのだ。


「着替えるとするかな」


 俺はベッドから降りると、クローゼットの中からワイシャツを取り出した。

 その様子を、華奈子はジッと見ている。


「……華奈子。俺は着替えるって言ったよな?」

「早く制服に着替えないと、遅刻しちゃうからね」

「うん。わかってるなら早く出てけ」


 妹に自分の着替えシーンを見せて興奮するような、そんな性癖は有していない。寧ろ上半身だけとはいえ華奈子相手に半裸の姿を見せるのは、恥ずかしいとさえ考えている。


「ちぇーっ」と言いながらも、華奈子は立ち上がる。

 ドアに向かう途中、俺の目の前を通り過ぎようとしたところで……いきなり華奈子が抱き着いてきた。


「隙あり!」


 飛びかかってきた華奈子を、俺は反射的に引き離す。

 その力がいささか強くなってしまったのは、言うまでもない。


「……兄さん?」

「そういうのは……ダメだろ」


 俺たちは兄妹なんだ。恋人同士じゃない。

 ましてや、一人の男と一人の女でも。





 どこにでもいる一般的な兄妹。そんな俺と華奈子の関係性に変化が訪れたのは、華奈子の20歳の誕生日だった。

 乾杯をした直後に、父さんは衝撃のカミングアウトをする。


「華奈子ももう20歳か。大人になったお前たちに、伝えなければならないことがある。大翔、華奈子。お前たちはーー本当の兄妹じゃない」

「……え?」

「華奈子は養子なんだ」


 19年前、父さんは孤児院を運営している友人から「華奈子を育てて欲しい」と頼まれたらしい。

 その頃には既に俺という実の息子がいて、「果たして自分たちに二人も子供の面倒が見られるだろうか?」と不安もあったそうなのだが、友人に押し切られ、結局華奈子を引き取ることにした。


 俺も華奈子も成人して、子育てに区切りがついた。二人の子育ては、成功だ。息子の俺が言うのだから、間違いない。


「養子だからと言って、華奈子を蔑ろにしたことは一度もない。大翔と同じくらい愛情を注いだつもりだ。血の繋がりなんかなくたって、お前は俺たちの自慢の娘だ」

「うん。実の娘じゃないからって、お父さんとお母さんから受けた愛を疑う気なんてないよ。でも、やっぱり動揺は隠せないというか……」

「わかってる。気持ちを整理する時間は、必要だよな」

「きっとそれは、兄さんだって同じ筈……って、え?」


 そこまで言ったところで、華奈子は俺が全く驚いていないことに気付いたようだった。


「兄さん、随分と落ち着いているね」

「まぁな」

「もしかして……兄さんは知ってたの? 私が本当の妹じゃないって、知ってたの?」

「……まぁな」


 今度は両親が驚く番だった。

 そりゃあ、そうだろうな。華奈子が実の妹じゃないと知ったのは、偶然のことだったし。


 両親に対して、華奈子は今度は驚きを見せていなかった。それどころか、どこか納得した様子で「そっか」と呟く。


「華奈子?」

「兄さんは私が本当の妹じゃないと知っていたんだね。だから兄さんも、本当の兄さんじゃなくなった」


 華奈子の言っている意味が、よくわからなかった。

 そしてその真意を確かめることすら出来ない。なぜなら……華奈子は言い終えると同時に、家の外に飛び出して行ってしまったのだから。





 華奈子が泣いていた。

 言葉の意味はわからなくても、彼女が悲しんでいることだけは俺にだってわかる。

 気付くと俺は雨の町中を、傘も刺さずに走っていた。


 血の繋がりはなくたって、俺は華奈子の兄さんだ。物心ついた時から、お前の兄さんをしているんだ。

 だからこういう時彼女がどこへ行くのか、よく知っている。


 俺は近所の神社へ向かう。

 社の軒下では、予想通り華奈子が座っていた。


「華奈子……そっちへ行っても良いか?」

「……」


 華奈子は答えない。俺はその沈黙を、勝手に肯定と捉えた。


 俺は華奈子の隣に座る。

 追ってきたは良いものの何て声をかけたら良いのかわからず、黙ったまま境内を眺めていると、華奈子の方から話しかけてきた。


「……何で来たの、兄さん?」

「そりゃあ、大事な妹だからな。心配にもなるだろう」

「……血の繋がりがないのに、まだ「妹」って呼んでくれるんだ」

「お前だって、俺を「兄さん」って呼んでるじゃねーか」

「だって、私にとって兄さんは兄さんだし」

「俺も同じだよ」


 俺は華奈子の手を握る。

 すると華奈子は涙を浮かべたまま、「えへへ」とはにかんだ。


「兄さんの方から手を繋いでくれたのは、初めてだね」

「……かもな」


 妹が兄に甘えるのは、当然のことだ。だから華奈子が「手を握ろう」と言ってきても、拒んだりしなかった。

 だけど俺が華奈子の手を握ろうとしては、それは兄妹の一線を越えてしまう。そう思っていたのだ。


「華奈子の言う通り、俺はお前が実の妹じゃないって知っていた。中学に上がる前に、偶然父さんが口を滑らしたのを聞いていてんだ」

「中学に上がる前って……そういえば、その頃からだったよね? 兄さんが、私に壁を作り始めたの」

「壁、か。確かにお前に対する態度が変わったのは、それが原因だな」

「やっぱり! 私が実の妹じゃないからなんでしょ!?」

「それは違う! お前を遠ざけたのは、異性として愛してしまいそうになったからだ!」


 ずっと溜め込んできた思いが、押さえ込み続けていた理性が、胸の内から溢れ出す。

 俺はとうとう越えてはいけない一線を、越えてしまったのだ。


「兄さん、それって……」

「……」


 踏み越えてしまった以上、もう後戻りすることは許されない。一方通行だった。


「華奈子が俺に兄妹以上の感情を抱いているのは知っていた。だから俺に優しくしてくれたり、頼ってくれたりしたんだろ? そんなお前を好きにならないなんて、どうかしてる。でも俺はお前の「兄さん」だから、少なくとも他のみんなはそうあることを望んでいるから、俺は自分の気持ちを見て見ぬふりし続けていた」


 本当は俺だって、華奈子の手を握りたかった。腕を組みたかった。抱き締めてみたかった。

 でもそれをしてしまえば、きっともう止まれない。俺は兄である使命を忘れて、華奈子を愛してしまう。

 そうなってしまうのが、何よりも怖かったんだ。


 俺は華奈子を抱き締める。

 もう、気持ちに歯止めをかける必要はない。


「血の繋がりなんかなくたって、俺はお前の「兄さん」だ。だけど血の繋がりがないからこそ、俺はお前の「兄さん」以外の存在になれる。なぁ、華奈子。いつか家族に戻ることを前提に、俺をお前の恋人にしてくれないか?」


 家族から恋人へ。兄貴から彼氏へ。それは俺たちが本当の幸せを掴む為に、必要な回り道だ。

 華奈子もまた、そのことをわかっている。


「私の方こそ、兄さんの彼女にして下さい」


 気付くと雨はやんでいた。


「父さんたちも心配している。そろそろ帰ろうか」

「うん」


 恋人同士となった俺たちは腕を組んで、愛しき我が家に帰るのだった。





 あの日から数年。俺と華奈子の関係性は、またも変化しようとしている。


「どうしたの?」


 今目の前にいるのは、制服姿の妹じゃない。ウェディングドレスを着た華奈子が、どこか上の空の俺に尋ねる。


「いや、昔のことを思い出していたんだ」

「昔って、私と兄妹だった時のこと? それとも私と恋人同士になった日のこと?」

「両方だよ」


 もし俺たちが兄妹として育っていなかったら、こんなに遠回りすることもなかったかもしれない。

 ……いいや、それは違うな。兄妹として育っていたから、互いの魅力に気付けたのだ。

 俺たちの二十数年を否定しない為にも、そう思いたい。


「それでは、誓いのキスを」


 神父が言う。

 兄妹だったあの頃なら、きっと躊躇っていただろう。だけど、もう迷わない。

 俺は華奈子に口付けをする。


 リーンゴーン。


 ウェディングベルが鳴る。

 今日この日、俺の妹は妹じゃなくなった。

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