タロットカードと私
トランプ占いに夢中になったのは、確か小学校三年生の頃。
「今日のうんせいは100点まんてん中76点、まあまあだね!」
「ええー、じゃあこくはくしてみようかな!あいしょううらなってー!」
「うーん、あいしょう46パーセント、やめた方がいいかも!」
子供って、占い好きになる時ってあるじゃない?
いつも私の周りには、友達が集まってきて、毎日愛用のトランプで占いをしてあげていた。
「あいしょうとかうんせいとか、すうじでしかわかんないの?」
「ラッキーアイテムとか教えてよ!」
「なにをしたらあいしょうよくなる?」
トランプ占いは、数字で運命を見る事しかできない。
占える範囲が限られていることに気が付き始めた、五年生。
図書館に行って占いの本を読みあさるようになり、タロットカードなるものがあることを知った。
神秘的なイラストが描かれた78枚のカードが導き出した、運命を表す、人生の指針。
それを伝える、占い師にあこがれた。
タロットカードは神聖なものであり、信頼関係を築くまではその真価を発揮しないことがあると知った。
カードには相性があり、適当なものを購入するのではなく、手に取ってビビッと来たものを選ぶことが大切だと知った。
生涯のパートナーとなるカードに出会い、自分を信じてもらわなければならない。
迷うものに道を示し、運命を動かす神聖な儀式。
カードは己の持つ力を占い師に託し、運命を読ませる。
その資格を得るために、カードに認めてもらわなければいけないのだ。
お年玉を貯め、運命のタロットカードに出会うためにいろんなお店を尋ねてまわった。
書店、イベント会場、量販店にカードショップ。
やがてとあるセレクトショップで外国産のタロットカードと出会い、我が家に迎え入れた。
「なに、このキレイな…カード?」
「これはね、タロットカードっていうんだよ。」
ようやくカードが手に馴染んできたころ、幼馴染の茜ちゃんが遊びに来て、占ってあげることになった。
幼馴染の茜ちゃんは、少し変わった子だった。
あまり占いを私に頼むことはなく、いつも黙って占いの様子を見ていた。
たまに運勢を占ってあげようかというと、うんというのだけど…なぜかいつも、おかしな結果が出ていたので気になっていた。
最後にジョーカーがやたら出やすかったし、明らかに出るカードが…おかしかった。
茜ちゃんが校内写生大会で最優秀賞を取った記念に運勢占いをしてあげたら、スペードの1が出た。隣はジョーカー、こんな悪い数字は見たことがなくて驚いた。
…トランプじゃなくて、このカードで占ったら、詳しい事がわかるかもしれない。そんな事を考えつつ、タロットカードの説明をしたら、興味深そうにわたしの話を聞いていた。茜ちゃんは、好奇心旺盛な子だったのだ。
占ってみると…イマイチ、よくわからない結果になったのを覚えている。
カードの訴えたいことが、私には読み取れない感じがひしひしと伝わった。
…ここでごまかして伝えたりしたら、きっとカードは私を信頼してくれないに違いないと思った。
きちんと占えなかったことを謝り、素直に口に出した。
「カードに認めてもらえたら、きっとあーちゃんの事占うよ、それまで待っててね!」
「あいちゃんの占いはよく当たるからなあ…、ちょっと怖いけど、楽しみにしておくよ、うん。」
毎日カードと向き合い、誰かを占い、世を占い。
友達を占っては、喜ばれたり恨まれたり。
相性がいいと伝えて喜ばれたあと、告白してうまくいかなかった時の責任を追及され。
テスト範囲を占ってヤマが外れて、さんざんブーイングを喰らい。
大きな地震を予知できなかったと声高々に攻め立てられ。
ずっと占い師になりたいと思ってきたけれど、人の人生に介入する怖さを知って、夢を手放すことにした。
占いは、自分とカードの絆を確かめるためだけにするようになった。
時はあっと言う間に流れ、私は地元を遠く離れてとある大学に勤めることになった。
引っ越しの準備を済ませ、あとは身の回りの細かいものを持って現地に行くばかりとなったある日、私は久しぶりに茜ちゃんと顔を合わせた。
茜ちゃんは中学に入ってからクラスがずいぶん遠くになってしまって、ほとんど会う事もなく、高校で別れてしまって以来丸六年会っていなかった。
久しぶりに見る幼馴染は、少しほっそりとしていて、少し印象が変わっていた。
もう四年も我が家のすぐ横のコンビニでアルバイトをしていたと聞いて驚いた。まもなくこの地を遠く離れ、一人暮らしをするのだと聞いて、さらに驚いた。
「ねえ、良かったら遊びに来ない?私も就職で九州に行くことになってるの、もう会えないかもしれないからさ、ね!」
「もうじき上がりだから、ちょっと寄らせてもらおうかな。」
同じ県内に住んでいて六年間合わなかった人だ。私が引っ越せば、恐らくもう会う事はない、そう思った私は、久しぶりに幼馴染を家に呼んで…占いをしてあげることになった。
タロットはお守りがわりに毎日持ち歩いていたので、まだ引っ越し先には送っていなかったのだ。
茜ちゃんがベッドサイドのタロットカードに気が付いたときに、昔占うという約束をした事を思い出したのだ。
茜ちゃんは一度だって……、私の占いを馬鹿にしたり、おかしいと声をあげたり、否定するようなことを口にしなかったことを思い出したのだ。
タロットを手に取り、目の前の茜ちゃんの、運命を展開する。
……幼い日に、カードの示す未来を読み取れなかったことを思い出し、少し緊張した。
……今の私ならば、きっと読み取れるはず、必ずカードの言葉を伝えることができるはず。
「あ、このカード。昔占ってもらった時に出たやつだ。見た覚えがある。」
そうだ、あの時も確か、吊るし人が出ていた。周りをすべて逆位置のカードが取り囲み、カードを切らなかったせいかと疑ったのだ。
その不信感が、カードたちの不信感につながるとは、微塵も思わなかったけれども。
十年分の信頼で結ばれたカードが示す、茜ちゃんの、運命。
今まさに、悪い運命を断ち切ろうとしているのが読めた。遠くで狙う悪魔がいるが、女神がそれを阻止しようとしている。
大きな運命の輪が、回り始めている。おどけながらも、しっかりとした足取りで…ステップを踏んで…。
守っているのは、遠い位置にいる女帝…味方がいる、祝福が降りてきている、なんとかなりそうだ。
今何か悩んでいることがあるんだろうか、詳しい背景がわからないから、具体的にアドバイスができなくてもどかしい。
さりげなく悩みを聞いてみたけれど、微妙にはぐらかされて、連絡先を聞かれてそのまま別れることになった。
……占いは、求められて与えるものであって、無理やりするものでは、ないから。
いつでも力になるよと告げて、私は生まれ育った土地を後にした。
いつでも力になると言ったのに、なかなか連絡をよこさない幼馴染が心配で、時折電話をしては様子を伺った。
直接占えないので、私の心配を通して少しだけ状況を探ってみた。
私の心配はどんな結果になりますかと問い、幸先のいいカードを引いては喜ぶような日々。
そうこうしていたある年、教え子の一人が卒論でタロットカードをテーマに選んだ事をきっかけに、占いサークルの指導員になった。
毎日嬉々として、カードの読み方を討論した。
毎日嬉々として、占いについて討論した。
私は結局、占いが大好きだったのだ。
隙あらば、迷っている人にこえをかけて、指針を表したくなってしまう。
カードたちとの共同作業が、楽しくてならないのだ。
カードたちのささやきを拾うのが、楽しくてならないのだ。
カードたちと過ごす時間が、とても…、とても好きなのだ。
私は、占い師には、なれなかったけれど。
今、とても充実した毎日を、送っている。
……そういえば最近、電話してなかったな。確か、孫が生まれたとか言っていた。そろそろ電話しても、大丈夫かな?
私は短いメールを送って、長年の親友の電話を、待つことにした。