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6.婚約の真相(後編)


 ウィリアムの言葉に強い違和感を感じたアナベルは、その正体を確かめるべくエヴァンへと視線を向けた。

 けれどやはりエヴァンは、思い当たる節などない、と言った顔をしている。


「まさか本当にご存じない? ――では彼女が婚約を受け入れた本当の理由も……?」

「本当の理由だと? 卿の手前断り切れなかっただけではないのか」


 エヴァンの眉間に深いしわが寄る。

 対してウィリアムも、そんなエヴァンの反応が予想外だとでも言いたげに顔色を曇らせていた。


 ――いったいこれはどういうことなの?


 アメリアは悪女ではない……それだけでも驚きなのに、ウィリアムはどうもそれ以上のことを知っている様子だ。そしてその理由のために、〝自分はエヴァンに試されている〟と勘違いしたと言うことだろうか。


 アナベルは考える。

 大前提として、エヴァンは絶対に嘘をついていない。それに隠し事もしていない。

 彼は嘘のつけない人間だ。だからエヴァンは絶対に〝アメリアが婚約を受け入れた本当の理由〟など知りはしない。


「おい、いったいどういうことだ。あいつの素行の悪さは私が一番よく知っている。それが偽りだと? あいつは嫌々婚約を受け入れただけではなかったのか? 卿はいったい何を知っている」


 エヴァンは苛立ちを抑えきれない様子でまくし立てる。――だがウィリアムは答えなかった。


「グレイ子爵、申し訳ないが先の私の言葉は忘れてください。どうもこれは私が考えていた以上にプライベートな問題のようだ」

「何?」

「まさか実の兄君すらご存じないとは……さすがに思ってもみなかったものですから」


 ウィリアムは笑みを取り繕う。

 けれどエヴァンがそんな半端な答えで納得するわけがなかった。


 エヴァンの顔が赤く染まる。


「卿は私を馬鹿にしているのか!?」

「そんなまさか。滅相もありません」

「ならば言いかけたことは最後まで言いたまえ! アメリアが婚約を受け入れた本当の理由とは一体なんだ!」

「混乱させてしまったことはお詫びします。けれど、それは彼女の名誉の為に申し上げられません」

「――な」

「私がこの場で申し上げられるとしたらただ一つ。私は周りに何と言われようと、この婚約を破棄するつもりはないと言うことです。彼女本人から申し入れがあるなら別ですが」

「――ッ!」


 ウィリアムの言葉はどこまでも冷静だった。その笑顔も、態度も――全てが落ち着き払って見えた。


 けれどだからこそ、エヴァンは怒りをつのらせる。アメリアとの婚約を反対されようと全く動じることのないその態度に、悪びれもしないその言葉に。


 そうだ、もしもウィリアムがアメリアを愛する気持ちが少しでもあるのなら、婚約を反対されて動揺しないわけがない。だがウィリアムはどこまでも冷静沈着な態度を崩さない。

 確かにウィリアムはアメリアに対し、興味以上の感情を抱いていると言った。けれどウィリアムの態度から考えれば、それが決して〝愛〟ではないことは明白だ。


 エヴァンにはそれが許せなかった。ウィリアムの本音を見せない態度がどうしても気に入らなかった。アメリアを愛してなどいないくせに、〝彼女の名誉の為〟などと言い切る偽善的な物言いに腹が立って仕方がなかった。


 それを裏付けるかのごとく、エヴァンは呟く。「ふざけるな」――と。

 そして次の瞬間には――アナベルが止める間もなく――エヴァンはウィリアムの胸倉を掴んでいた。


「あまり調子に乗らない方が身の為だぞ。()は人目を気にするようなできた人間ではないからな」


 エヴァンは低い声で威嚇する。焦りと怒りで酷く顔を歪め、全身に殺気を纏わせて、彼はウィリアムの顔面目掛けて今にも右腕を振り抜こうとしていた。


 ――エヴァン……!


 止めなければ――アナベルは今度こそそう思った。

 ここは夜会だ。人の目もある。そもそも正当な理由もなく他人の胸倉を掴み殴りつけるなど決して許されないものだ。

 それにもし本当に怪我でも負わせてしまったらどうするのか。相手は侯爵家の人間だ。社交界を追放される恐れだってある。


 だがそんな焦りとは裏腹に、アナベルは声を出すことが出来なかった。どれだけエヴァンの名前を呼ぼうとしても、喉から出るのは掠れた空気だけ……。


 ――そんな……、どうして。


 エヴァンに手を伸ばそうとしても、腕が震えて言うことを聞かない。足先は冷たく、ほんの一歩も動けない。それどころか、視線を動かすことすらできないのだ。


 アナベルはただ、怒りに震えるエヴァンの横顔に釘付けになって、その場に立ち尽くすのみ――。


 ああ、もう駄目だ。

 アナベルは両目をつぶった。震える両手を握りしめ、これ以上は見ていられないと……。

 ――が、その時だった。


「〝男〟か――」と、張り詰めた空気に似つかわしくない程冷静な声で、兄サミュエルが呟いたのは。

 

「――え」


 瞬間、その場の空気が静止する。

 突然聞こえてきた「男」と言う単語に……不穏な空気はそのままに、ただ時の流れだけが止まった。


 ――男……ですって?


 アナベルにはその意味がわからなかった。

 それはまた、エヴァンも同じようだった。


「……男、……だと?」


 エヴァンの顔が驚愕に歪む。今の今までウィリアムの胸倉を掴んでいた左腕から一瞬で力が抜け、その鋭い視線が一瞬のうちにサミュエルへと向けられた。


「サム……どういう意味だ。まさかあいつに男がいるとでも言うのか」

「…………」

「言え、サム。お前は俺に一体何を隠している?」

「そうですお兄様。わたくし、そんな話初耳ですわよ」


 〝男〟――それがアメリアとウィリアムの婚約についてどう関係があるかはわからない。

 けれど今まで沈黙を通し続けていたサミュエルが、このような状況になってようやく口にしたことを考えれば、決していい意味ではないのだろう。


「落ち着け二人とも。あくまで可能性の話だ」

「可能性だと? 嘘をつくな」

「嘘なんかじゃ……。俺はただ、卿の話を聞いてもしやと思っただけで……」


 ――ああ、焦れったいわね……!


 アナベルにはわかっていた。兄の言葉には確かに裏付けがあるのだと。でなければ、慎重な性格のサミュエルがこのような危ない橋を渡るはずがない。


 その証拠に、ウィリアムはサミュエルの言葉を否定しようとしなかった。ウィリアムはエヴァンの責めるような視線を受けても、ほんの少し眉根を下げるのみ。

 それが意味するものは即ち、肯定だ。


「……ッ」


 刹那、エヴァンの顔から一瞬で血の気が引く。彼はショックを隠しきれず、その場で身体をふらつかせた。


「……馬鹿な、ありえない……。あいつに……男だと……?」


 エヴァンは力なく椅子に腰を落とし、頭を抱えて項垂れる。

 その姿は先ほどとはまるで別人のようだった。彼は、最愛の恋人に捨てられでもしたかのように、悲嘆に暮れる。


 そんなエヴァンの姿を目の当たりにし、アナベルは今更ながら酷い敗北感に襲われた。


 ――本当に酷い人……。


 いったい自分は何度この男に振られれば気がすむのだろう。自分はエヴァンにとって所詮は妹以下の存在だと、何度自覚させられればこの想いに諦めが付くのだろう。いっそ嫌いになれでもしたら楽なのに。


 だがどれだけ惨めな思いをしたとしても、一度やると決めたことを投げ出したりはしたくない。この先コトがどう転ぼうと、ここは最後までやり遂げなければ――。

 アナベルは自分の正義感と自尊心を守る為だけに……必死で自身を奮い立たせる。


 とにかく今は詳しい話を聞いてみなければと、再び口を開けようとした。――そのときだった。


「――帰る」


 それはあまりにも突然だった。


 エヴァンは何の前触れもなく、挨拶もなしに立ち上がる。

 そして三人に背を向けると、振り向きもせず会場の出口へと去っていったのだ。


 そのあまりにも突拍子のない且つ身勝手すぎるエヴァンの行動に、残された三人はただ唖然とするばかり。


「エヴァン……! ちょっと……!」


 我に返ったアナベルがようやくエヴァンを呼んだときには、既にその背中は遠く――エヴァンの姿は廊下へと消えてしまった。


「……なんてことなの」


 彼女は立ち上がる。


「申し訳ございません、ファルマス伯爵。わたくし彼を追いかけなければ――」

「え……ええ、そのようですね」

「お兄様、わたくしの代わりに詳しい話を尋ねておいてくださいませ」

「……あ、ああ。わかった」


 こうして短い挨拶だけを残し、アナベルは急いでエヴァンを追いかけた。


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