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5.婚約の真相(前編)


 数秒か、数十秒か――張り詰めた沈黙が続く。

 その間、ウィリアムは目を大きく見開いて、自分を睨みつけるエヴァンの視線を黙って受け止めていた。

 そんな二人の様子を、アナベルは膝の上で扇を強く握り締めながら伺っていた。


 ――さすがにこれは不味いわね……。


 アナベルは焦る。

 どう考えても今のエヴァンの態度は失礼だ。いや、失礼どころの話ではない。

 これはサウスウェル家がウィリアムを、そして侯爵家を侮辱している――と取られても文句は言えない状況だ。


 確かにエヴァンはウィリアムの義兄になるかもしれない人間である。

 けれど伯爵家のエヴァンが侯爵家の人間であるウィリアムに向かって、〝アメリアの意向を無視して〟、〝アメリアを侮辱している〟などとは決して言ってはならなかった。なぜって、エヴァンの発言にはまだ何の証拠もないからである。

 つまり今の時点でこれを言ってしまうということは、そのこと自体がウィリアムを(あなど)っているということに他ならない。


 それに今のエヴァンには、初対面の相手に欠かしてはならない最低限のマナーすらない。このままエヴァンを放っておけば、話はもっとおかしな方向に進んでいってしまうだろう。


 そんな未来を容易に想像出来てしまったアナベルは、襲いくる頭痛に堪えかねて左手で自身のこめかみを押さえた。


 このままでは当初の予定であった、婚約成立の経緯やウィリアムの心境を聞き出すどころの話ではなくなってしまう。それどころか、本当に破断になる可能性すら出てきてしまった。アメリアではなく、エヴァンの無礼な態度のせいで……。


 ――とにかく謝罪よ……、まずは一旦、謝らなきゃ……。


 だからアナベルは、エヴァンの婚約者である自分がどうにかフォローしなければと思った。

 けれどそうするよりほんの少しだけ早く――いや、ようやくと言うべきか。今まで何の反応も見せなかったウィリアムが、やっと動きを見せる。


「……ふっ」


 だが――ウィリアムの見せたその反応は、幸か不幸かアナベルの予想を大きく外れていた。


「……はっ、……ハハハハハハ!」


 そう――なんとウィリアムは、突然声を上げて笑い始めたのである。


 それは決して品を欠いた笑い方ではなかったが、先ほどまでのウィリアムからはとても想像できない姿だった。

 そのことに驚いたアナベルは、身体を硬直させる。


「――な」

「……は、伯爵?」


 これにはサミュエルのみならず、エヴァンも驚いたようだった。


 エヴァンは急に笑いだしたウィリアムを怪訝そうに睨みつけているし、サミュエルにおいては先ほど同様、既にお手上げ状態で視線をどこか遠くに向けている。

 そんな中でウィリアムはひとしきり笑い――しばらくしてようやく視線を上げた。


「いや、これは申し訳ない。確かに子爵は彼女の兄君で間違いないようだ。本当によく似ていらっしゃる。こうして見れば顔立ちもよく似ているのに……どうして私は最初から気付かなかったのか、自分が不思議でなりません」


 ウィリアムはそう言ってニヤリと微笑む。


 そこには既に、先ほどまで彼が見せていた穏やかな笑顔はどこにもなかった。

 そこにあるのは、どこか自虐的で、尚且つ色気をまとった妖しい笑顔。


 急に態度を一変させたウィリアムに、エヴァンは眉をひそめる。


「それはいったいどういう意味だ」


 訝し気に尋ね返せば、ウィリアムは一瞬真顔に戻り――今度は片方の口角だけを上げた。


「まどろっこしいのは嫌い、単刀直入に――私は彼女からそう言われたものですから……やはりご兄妹なのだな、と」


 ウィリアムは何かを思いだしたようにクスリと笑う。


「それに、尋ねられたその内容まで全く同じだったものですから。……そうですね、彼女の言葉を借りるなら、なぜ私に縁談を、私の評判はご存じの筈、私を妻にする覚悟が本当におありか……と」


 ウィリアムはそう言って、興味深そうにエヴァンを見つめた。「お二人は本当によく似ている」と、繰り返しながら。


 アナベルはそんなウィリアムの態度の変わり様に驚くと同時に、腑に落ちた(・・・・・)ような気がした。

 やはりウィリアム・セシルという人間は、ただの品行方正な完璧人間ではなかったのだ。

 先ほどまでのウィリアムは決して彼の全てではなかった。今目の前にいるウィリアムこそが、真の彼に近い姿であるのだろう、と。


 そんなアナベルの考えを見透かすように、ウィリアムはにこりと微笑みかける。

 そして再びエヴァンに向き直ると、やれやれと言った様子で話し始めた。


「別に隠すことでもありませんし、正直にお答えしましょう。まず――縁談を申し込んだのは私ではなく父です。私は縁談に興味などなかった。こう言っては失礼ですが、彼女には何の興味もありませんでした。ですから、彼女の方が断る意志を見せるなら、私はそれに従うつもりでいたのです。――ですが、彼女は断らなかった。一度目のお茶会でも……二度目、私が結婚を申し込んだ際も」


 ウィリアムは続ける。


「子爵、あなたは先ほどこうおっしゃいました。彼女は縁談を断ったと言った――と。だが、私にはその覚えはありません。つまり、私は決して婚約を強行したりはしてはいない、と言うことです」

「……そんな、馬鹿な。私は確かにあいつから――」

「そう聞いた? ならば、それは彼女があなたに嘘をついたと言うことでは?」

「――っ」


 ウィリアムの鋭い切り返しに、エヴァンは口ごもる。アメリアが自分に嘘をついていた――それを否定する自信がなかった。


「確かに夜会で求婚した私に落ち度がないとは言えません。彼女は縁談を断りこそしませんでしたが、私のことを好いてはいなかった。ですが私の方は、実際に彼女に対面し……彼女に興味が沸いてしまった。つまり彼女に振られたくなかった私は、敢えて公衆の面前で彼女に求婚するという暴挙に出た。これは疑う余地もなく、完全に私の下心です」


 ウィリアムはよどみない口調で語る。まるで開き直ったかのように……。


 けれどそんな、いっそ清々しいまでに堂々としたウィリアムの口ぶりに、アナベルの心は途端にざわめき始める。

 その理由は彼女自身にもよくわからなかった。

 けれど、ウィリアムの言葉をこれ以上聞きたくないと、そう思ったのは疑いようのない事実だった。


 確かにウィリアムの言葉に嘘はないのだろう。アメリアに興味が沸いた――それはきっと彼の心からの言葉。けれどそこに愛はない。アメリアの方もウィリアムを好いてはいない。にも関わらず、ウィリアムはアメリアに求婚した。それも、完全な下心から。


 この事実を、エヴァンはどう捉えるのだろうか。


 アナベルは恐る恐るエヴァンに視線を向ける。

 するとそこには、怒りに肩を震わせるエヴァンの姿があった。


 エヴァンはウィリアムの語った内容に、悪びれもしないその態度に、「言わせておけば……」と声を低く(うな)らせる。

 そしてその場に立ち上がったかと思うと、再びウィリアムを睨みつけた。


「つまり、卿はアメリアが婚約を望まないことを知っていながら、自らの欲を満たすためだけに公衆の面前で求婚したと――そういうことか」

「言い方は少々気になりますが、(おおむ)ねは」

「ハッ、言い切るか。なる程その心意気だけは認めてやる。――だがな、私はこの婚約を決して認めんぞ。卿のそのやり方は無作法だ。誠実さの欠片もない。いくら卿が侯爵家の人間だろうと、礼儀に(のっと)ってもらわなければ。

 それにな、アメリアに興味が沸いた――その程度の気持ちなら、婚約など一刻も早く解消してしまった方が身の為だぞ。あいつは大人しく夫人の座に収まっているような女ではない。卿のような高貴なる者には想像もつかないほどの、じゃじゃ馬なのだからな」


 エヴァンはウィリアムを疎まし気に見下ろし、高圧的に吐き捨てる。

 そこにはもはやウィリアムを敬う態度など少しもなかった。

 が、ここまで言われては、ウィリアムの方も黙ってはいられない。


「ご忠告痛みいります、子爵。けれど心配は無用というもの。興味が沸いた――確かに最初はその程度の気持ちでしたが、今は彼女にそれ以上の感情を抱いていますから。それに彼女の兄君であればご存じの筈。彼女の真の姿は決して悪女などではないことを」

「……何だと?」

「おや、それを知っておられるからこそ、このように私をお試しになられているのではないのですか?」


 ウィリアムはそう言って、自分を見下ろすエヴァンの顔を覗き込んだ。

 けれどエヴァンの方は、ウィリアムの言葉の意味がまるでわからないと眉根を寄せる。


 それはアナベルも同じだった。


 ――どういうこと? アメリア様の真の姿は悪女ではないですって?


 そんな話は初耳だ。アメリアの素行が悪いのは社交界では周知の事実であるし、実の兄であるエヴァンだってそれを否定しなかった。それなのに、本当はそうではないと……?


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