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3.ダンスホールにて


 子爵邸のダンスホールは、赤を基調とした重厚感のある落ち着いた空間だった。

 天井の手前から奥に向かって並ぶ三つの巨大なシャンデリアが、ホール全体を暖かな光で照らしている。ホール内には美しい楽器の音色が流れ、中央では既に何組かの男女がワルツを踊っていた。


「遅めに来て正解でしたわね」

「ああ」


 ホールに足を踏み入れたアナベルは、扇で口元を隠しながら呟く。

 そこには既にざっと五十組――約百名ほどの招待客らが揃っていた。彼らは既に各々の会話を楽しんでいる様子である。


 つまりアナベルの予想通り、遅れて到着した自分たちに注視する者はいなかった。――まぁ注目されたところで特段都合の悪いことがあるわけではないのだが、慈善家の集まりの中にそれと全く関係のないエヴァンが居ては、少々目立ちすぎるというものだ。

 それにただでさえ人目を引く容姿のエヴァンを、少しでも目立たないようにしようというアナベルの配慮でもあった。


「まずはお兄様と合流しましょう」


 無事に会場に溶け込んだ二人は、真っ先にサミュエルのもとに向かう。エンバース子爵の顔を知らない二人は、サミュエルを通して子爵に挨拶をせねばならないからだ。


 サミュエルはワイングラスを片手に、婚約者のシャーロット――彼女は優美な雰囲気をまとった線の細い女性である――とその他四、五名の男女と共に談笑していた。


 二人はサミュエルに近づく。

 すると二人が声をかけるより先に、サミュエルの方が二人の存在に気付いたようだ。


 彼はアナベルにそこで待つよう目配せすると、隣に立つシャーロットの耳元に唇を寄せる。


「シャーリー、アナが来たようだ。私は少しの間ここを離れるが、かまわないかな」

「ええ、サム。心配ございませんわ」

「では失礼するよ」


 サミュエルはシャーロットに優しく微笑みかけ、その場を離れた。

 三人は無事合流する。


「お兄様、わたくし、シャーロット様にご挨拶申し上げなくてもよろしいのですか?」

「事情は説明してあるからな。構わないさ。――さあ、まずは子爵だ。行こう」


 こうして彼らはエンバース子爵への挨拶を済ませるため、会場の中ほどへ進んで行った。


「いいですわね、エヴァン。わたくしたちは本日、急病(・・)のキッドレー子爵夫妻の代理で参りましたのよ」

「ああ、わかっている」


 二人はサミュエルの後を追いながら、夜会出席の辻褄合わせを行う。

 キッドレー子爵とはシャーロットの伯父のことである。アナベルがサミュエルに頼んで手に入れた招待状はもともとキッドレー子爵に送られたものだったが、シャーロットが頼みこんで譲ってもらったのだ。


 サミュエルによれば、主催のエンバース子爵には既にキッドレー子爵から話を通してあるとのことで、実際その話の通りエンバース子爵への挨拶は滞りなく終わった。


 挨拶を終えた三人は一旦会場の端へと移動する。

 アナベルはその間にも、会場を横目で見渡してウィリアムの姿を探していた。けれども、どうも彼らしき面影は見つからない。


「お兄様、ファルマス伯爵はどちらに? お姿が見えないようなのですが」


 アナベルは尋ねる。

 するとサミュエルは、どういうわけか薄っすらと微笑んだ。

 

「ああ、彼なら左前方に――ほら、奥から二つ目のテーブルだ」


 アナベルはサミュエルの視線を追った。――すると、そこには確かにウィリアムがいる。

 ウィリアムは前から二つ目の、長方形のローテーブルを挟む長椅子の片方に腰かけ、グラスを片手に招待客数名らと語り合っていた。


「……確かに、ファルマス伯爵ですわ」


 栗色の髪に緑色の瞳。整った顔立ちに穏やかな笑顔、洗練された仕草、柔らかな物腰。確かにそれはアナベルの知るウィリアムで間違いない。


 けれどだからこそ、彼女は驚かずにはいられなかった。なぜなら、サミュエルに言われるまでそれがウィリアムであると全く気付けなかったからだ。

 

「驚いただろう? 俺も最初は気付かなかった。今夜は若い女性客が少ないからな。――まあ、夜会の名目上当然と言えば当然だが」

「ああ……成程。確かに今日は女性に囲まれていませんわね」


 アナベルはサミュエルの言葉に妙な納得感を覚える。


 そう――サミュエルの言う通り、今日のウィリアムの周りにはいつもなら群がっている筈の女性の姿が一つもないのだ。だから、それがウィリアムだとはわからなかったのだろう。


 ――こうやって見るとやっぱり、容姿はエヴァンの方がよっぽど……。

 アナベルは無意識のうちに、隣に並ぶエヴァンを見上げていた。

 けれどその視線が合うことはない。


 エヴァンはアナベルに見つめられても気付くことのないまま、ただじっと……遠く離れた場所に座るウィリアムに鋭い視線を向けていた。


 ――やっぱりあなたは気づかないのね……。

 だがそれはどうしたって仕方のないことだということを、アナベルはよく理解していた。


 アナベルはエヴァンを愛している。そしてエヴァンも少なからずアナベルのことを大切に想っているだろう。


 けれど所詮は親同士の決めた婚約。

 アナベルはそれ以前からエヴァンに想いを寄せていたが、エヴァンはそうではない。それにエヴァンはアナベルが自分のことを、婚約以前からそういう意味(・・・・・・)で好いていたことを知らないのだから。

 つまり二人の間には、明確な温度差があるのだ。


 アナベルはそのことをよく理解していた。そしてそんな自分の想いが、決してエヴァンの重荷にはならないように(つと)めていた。

 それはエヴァンのためと言うより、保身のためだったが――。


 昔から妹アメリアを溺愛するエヴァン。本人は「兄として至って普通の感情だ」と断言しているが、周りからすればその溺愛っぷりはどう見たって異常である。


 だが本人が普通だと言い張る以上それを否定するわけにはいかないし、それに否定したところで何かが変わるわけでもない。


 アナベルはエヴァン見つめる。自分の視線に気付きもしない婚約者を、ただじっと……。


 ――家族を愛するのは当然のことよね。私だってお兄様を愛しているもの。……でも。

 もしもアメリア様と私、二人のうちどちらかしか助けられない状況になったなら、あなたはどちらに手を差し伸べるのかしら……。


 その答えを知る者はエヴァンただ一人。だが、少なくともアナベルはこう考えていた。

 エヴァンが助けるのは、妹のアメリアである――と。


 だからアナベルは自分の感情を表立ってエヴァンに伝えることはしなかった。


 五年前に婚約者という関係になってからも、エヴァンとの付き合い方はそれ以前――つまり幼馴染だったときのものと何ら変わりがないのは、アナベル自身がそう決めたからでもある。エヴァンが妹アメリアへの感情に区切りをつけるその時まで、幼馴染の関係のままでいよう……と。


 そんなわけだから、婚約を結んでから五年の月日が流れた今も、二人の間に恋人らしき行為は一切ないのだ。それは軽い口づけ一つさえ。


 だからアナベルは、アメリアの婚約成立の話を聞いたとき、これはチャンスかもしれないと思った。

 アメリアとウィリアムの仲が上手くいけば、流石のエヴァンも諦めるのではないか……と。



「……そう言えばお兄様、ファルマス伯爵はお一人でいらっしゃったのですか?」


 アナベルは視線をウィリアムへと移して、兄サミュエルに問いかける。

 別に一人での参加でも何らおかしくないのだが、一応確認しておくべきだろう。


「いや、男の連れがいた筈だ。今は席を外しているようだが、見慣れない顔だった。どうも変わった毛色でな」

「変わった毛色……? 外国の方ですの?」

「うーん。顔はこの辺の顔なんだが……髪と瞳が黒いんだ」

「黒……? それは珍しいですわね」

「ああ。見たらすぐにわかるぞ。何てったって目立つからな。エヴァンより目立つ」


 確かに話通りなら、燕尾服と合わせて全身真っ黒である。目立たない筈がない。


 アナベルは、その連れの男とは一体どういう人物だろうかと考えながら、ウィリアムの様子を伺っていた。

 そうして十五分ほどが経過したとき、ウィリアムの周りに座っていた数名が同時に席を立つ。――どうやら話が終わったらしい。


「行くぞ」


 真っ先に動いたのはエヴァンだった。彼は二人に目もくれず、近くにいた給仕の銀盆(サルヴァ)からワイングラスを取り、ウィリアムの方へ真っすぐに歩きだす。


 アナベルとサミュエルはそんなエヴァンを心配に思いながら、急いでその後を追いかけた。


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