7.十五年前の事件
翌日の正午を迎えた頃、ハロルドはウィリアムと共に昨日の森を訪れていた。
昨夜ウィリアムが帰り際「明日、共に剣を取りに行こう。スペンサー侯爵家の許可は取っておく」と提案したからである。
なお、アメリアは一応無事だと言うことが判明した。
ルイスが昨夜のうちに居場所を突き止め、直接その目で無事を確かめたという。
とは言え万全というわけではなく、事故のストレスからか声が出せない状態であるということだった。
エヴァンはその報告にショックを受けた顔をしていたが、命があっただけ良かったと思ったのか、あるいは尾行の負い目があるのか、ウィリアムを責める態度は見せなかった。
そして今、ハロルドはウィリアムと共に昨日の森を訪れている。
二人はまず、アメリアが川に転落した場所に向かうことにした。
ウィリアムの話では、その場所は森の入口から十五分ほど歩いた距離だということだった。
昨日は色々と走り回っていたために距離を感じたが、実はそれほど離れていなかったらしい。
その言葉通り、昨日の現場まできっかり十五分で辿り着いた。
*
「ここから少し下った辺りだったか?」
「はい。五十メートルほど下流かと……」
ハロルドはウィリアムの問いに答えながら、改めて崖下を覗いてみる。
昨日は無我夢中で気付かなかったが、水の流れはそこそこ早く、よく自分はアメリアを見つけられたものだと思ってしまう。
――とは言え、結局連れ去られてしまったわけだが……。
崖下の川をじっと見下ろすハロルドに、ウィリアムは何を思ったのだろうか。
ハロルドの背中に声をかける。
「卿は凄いな」――と。
「……?」
それはあまりにも意外な言葉だった。
いったい急に何を言い出すのか。
そう思ったハロルドが振り返ると、ウィリアムがどこか後悔の色を滲ませて、じっと自分を見つめていた。
そんなウィリアムの表情に、ハロルドは困惑を隠せない。
なぜならハロルドの知るウィリアムは、決して他人に隙を見せない人物であるからだ。
社交場でのウィリアムは、いつだって穏やかかつ冷静。誰が相手であろうと毅然とした態度を崩さない。
けれど同時に、下々の者には慈悲を与える。
その姿は貴族の模範だ。ウィリアムはいつだって貴族らしくあろうと努力している。
そんな彼が一介の騎士である自分に対して不安気な顔を見せるなど、考えられないことだった。
驚きを隠せないハロルドに、ウィリアムは独り言のように呟く。
「私は、昨日何もできなかったんだ」――と。
「カーラの叫び声を聞いてこの場に駆け付けたとき、私は何もできなかった。ただ立ち尽くすばかりで、何もできなかったんだ」
「…………」
「もし目の前で彼女が川に落ちたとしても、きっと私は飛び込めなかった。卿のような勇気も、覚悟も……私には……俺にはないんだ。こんなことを君に話しても仕方がないかもしれないが、昨夜俺はエヴァン殿の言葉に、頭を殴られたような気がしたよ」
「……ファルマス、伯」
懺悔するようなウィリアムの声。
昨夜あれだけエヴァンを煽っていたウィリアムが、目の前で自身の情けなさを悔いている。
ハロルドは、そんなウィリアムをただ茫然と見つめることしかできなかった。
自分は今、どうしてこんなことを聞かされているんだ? と、そんな気持ちで。
「君は俺を軽蔑するだろう。だがそれも仕方のないことだと思っている。昨夜はああ言ったが、俺は内心とても不安だったんだ。本当に彼女は無事でいるだろうかと。だが、それだって彼女を愛する心からくるものではなかった。俺はただ保身のために……。最低な男だろう」
「…………」
――ああ、確かに最低だ。最低には違いないが……。
「なぜ……私にそのようなことを……?」
躊躇いがちに尋ねると、ウィリアムは困ったように眉を下げる。
「そうだな……。自分でもよくわからないんだが、君にはどうしても謝っておきたかったんだ。君は昨夜、エヴァン殿を庇って騎士を辞そうとしただろう。そのとき、俺は君の忠誠心というものに心を動かされた。俺には到底理解できないことだったから……尚更な」
「……そう、ですか」
正直、どう言葉を返したらいいのかさっぱりだった。
相手は貴族で、アメリアの婚約者。騎士である自分に不用意な発言は許されない。
それをわかっていて、ウィリアムはこんなことを言うのだろうか……?
そもそも、ハロルドの頭の中は昨夜からずっとルイスのことでいっぱいだった。
十五年前の事件の関係者であるルイス。
そして今回、アメリアを連れ去ったアルデバラン公爵家の騎士。
そこには何らかの繋がりがあるのではないかと。
だとしたら、いったいどんな関係があるのだろう、と。
だからハロルドは、昨夜ウィリアムに嘘をついたのだ。
アルデバラン公爵家の騎士が万一ルイスの関係者だったとしたら、ウィリアムも無関係ではない可能性が高い。
とするなら、何も知らない振りをするのが安全であると判断した。
だが目の前のウィリアムを見ていると、彼は無関係に思えてくる。
もしかしたら自分を油断させる作戦――ということも有り得るが、もしここで襲われたとしても、ウィリアム相手なら負ける気はしない。
そう考えたハロルドは、ウィリアムに問うてみることにした。
「ファルマス伯……一つ、質問することをお許しいただけますか」と。
するとウィリアムは一瞬驚いたような顔を見せたが、「ああ、許す」と静かに答える。
それを受けてハロルドは、肺からゆっくりと息を吐きだして……ウィリアムを睨むように見据えた。
「ファルマス伯はご存じでしょうか。あなたの付き人ルイスが、十五年前の連続児童誘拐及び殺害事件の生き残りであることを」
「…………、は?」
刹那、ウィリアムの両目が大きく見開く。
寝耳に水だ――そう言わんばかりの表情で。
その様子から、ハロルドは悟った。ウィリアムは何も知らないのだ――と。
「どうやら何もお知りにならないご様子……。簡単に説明いたしますと、十五年前の冬から春にかけて、王都周辺で連続児童誘拐及び殺害事件が起こりました。被害者数は五十とも百とも言われておりますが、誘拐された子供のほとんどは身寄りがなく、そのせいで正確な数は不明。生きて戻った子供はゼロ。犯人グループは十三名のうち十二名が死亡し、残り一名は捕縛された後に服毒自殺。当時の新聞にはそう記されております。――けれど、実際には生き残った子供が存在したのです」
「…………ルイスが、そうだと? だがなぜ、卿がそんなことを知っている?」
「昨日、この森で彼から直接聞かされたからです。私もその事件の生き残りですから……。どうやら彼は私の顔を覚えていたようで」
「……っ」
瞬間、ウィリアムは絶句した。
右手で口元を抑え、二、三歩ゆらゆらと後退る。もはや言葉を発することすらできないと……。
そんなウィリアムを前にして、ハロルドは続ける。
「私はこれまで、あの事件の生き残りであることを隠して生きてきました。知られればきっと良くないことになる……そういう予感がしたからです。ですが今になって同じ過去を背負う者に出会えた。これは運命だと思っております。ですからどうか、私に彼と話す機会をいただきたく」
「…………」
「――何卒」
地面に片膝を付き、ウィリアムに頭を下げるハロルド。
その姿にウィリアムは「わかった」――と、震える声で呟いた。




