6.秘匿
午後九時を過ぎた頃、ウィリアムを見送ったエヴァンは、ハロルドと共に自室にいた。
「――なぜ、あの男に話さなかった?」
エヴァンは窓から暗い庭園を見下ろし、背後に立つハロルドへと問いかける。
――結局ハロルドは、アルデバラン公爵家の騎士に襲われたことをウィリアムに言わなかった。それどころか、アメリアを抱えて岸に這い上がったことすら伝えなかった。
ハロルドはウィリアムに「お嬢様を助けようと水に飛び込んだが、結局助けることはできなかった。その後のことはわからない」と、嘘の内容を報告したのだ。
「ハロルド……俺にはお前の考えていることがわからない。お前を襲ったのが本当にアルデバラン公爵家の騎士だったと言うなら、どう考えても俺たちには手が余る。あの男に頼るのは癪だが、侯爵家の力を借りない限り、解決するのは難しいのではないか? 真実を知らないあの男に、アメリアを任せられるのか?」
アルデバラン公爵家は王家に連なる血筋だ。当主は現王妃の兄であり、宮廷の実質的な権力を握っている。伯爵家など足元にも及ばない。
つまりこの件を解決しようと思ったら、ウィリアムの協力を仰がなければならない――エヴァンはそう考えた。
けれどそんなエヴァンの考えとは裏腹に、ハロルドは全てを隠し通した。
主人である、伯爵家当主リチャードの命令を無視して……。
「答えろ……ハロルド。お前はいったい何を考えている?」
ハロルドの方を振り返り、睨むように見据えるエヴァンの瞳。
ハロルドはその視線を受け、小さく息を吐く。
「エヴァン様。私は先ほどのファルマス伯とのやり取りで気付いてしまったのです。――お嬢様をアルデバランへと連れ去った者は、私を襲った者とは別人であると」
「何……? それはいったいどういう意味だ?」
ハロルドを襲った相手はアルデバラン公爵家の騎士。それにウィリアムも、アメリアが連れ去られたのはアルデバランであろうと推測した。――となれば当然、それを行った者は同一であると考えるのが自然であるが……。
それに、そのこととウィリアムに事実を伝えなかったことに、いったいどんな関係があると言うのか。
エヴァンが眉をひそめると、ハロルドはエヴァンを見つめ返す。
「最初に違和感を覚えたのは応接間に入る前……扉の前で中の話を盗み聞きしていたときです。ファルマス伯は、お嬢様が何者かによってアルデバランに連れ去られたと仰った。けれど私には、どうしてそう予想できたのかわかりませんでした。私がお嬢様を抱えて這い上がった川岸は、もといた場所からかなり距離が離れておりますし、アルデバランに続く街道とも距離のある森の中腹だったからです」
「…………」
「それに時間的に考えて、陸路で川を下ったファルマス伯らが、私を襲った者と遭遇する確率はゼロと言わざるを得ない。そもそも剣の紋章を見なければアルデバラン公爵家の者であるとはわからないような相手の素性を、その行き先を、どうやって知ることができましょうか」
「確かに、あの男はお前を襲った者と出くわしはしなかっただろう。もしそうならもっと大ごとになっているはずだからな。だがアメリアが連れ去られた先がアルデバランであろう理由については、あの男が説明していたではないか。〝川岸から土手にかけて水痕が続いていた。加えてアルデバランへ続く街道に、真新しい馬の蹄の痕があった〟と――」
そう口にして、エヴァンはようやく気付く。
ウィリアムは先の話し合いで、アメリアが流れ着いたであろう川岸がアルデバランへ続く街道のすぐ脇に面していたと言っていた。けれど実際にハロルドがアメリアを引き上げた場所は森の中腹。
それにアメリアのみが連れ去られたとするなら、川岸には意識を失ったハロルドが残されていたはずだ。だがウィリアムらが駆け付けた先にハロルドの姿はなかった――となると……。
「ハロルド……わかるように説明しろ」
エヴァンが低い声で命じると、ハロルドは再び口を開く。
「つまり私を襲った何者かは、わざわざお嬢様を街道沿いの川岸に移動したのです。そしてその後、そこを通りかかった善意の第三者に発見させた。――ファルマス伯は仰っておりましたよね。お嬢様を連れ去ったのは騎士、あるいはそれに準ずる者だろうと」
「あ……ああ。確かにそう言っていた。人間を抱えて馬に乗れるのは訓練された者だけ。なおかつ単騎で移動するのは騎士くらいだと」
「そうです。だからファルマス伯は終始冷静だったのです。相手が騎士なら悪いことにはならないだろうと、彼は最初から考えていた。私を襲った者の存在を知らないのですから、それは尚更でしょう」
「……だが、それとお前が襲われたことを秘密にするのとは何の関係もないだろう? それに、そもそもどうしてアメリアを移動する必要があったんだ。いったい何のためにそんなことをするのか、お前には見当がついているのか?」
「理由はわかりません。ですが犯人にとって私の存在が予想外だったのは間違いないでしょう。もし私がお嬢様を川から引き上げなければ、きっとその者が引き上げていたはず。お嬢様が川に落ちたのも、あらかじめ計画されていたことだったのかもしれません」
「――なっ!? だが、それは事故だったと――」
エヴァンは声を荒げる。「お前自身が、事故だったと証言したではないか!」――と。
すると、ハロルドは視線を揺らした。
「ええ、確かにそう言いました。あれは間違いなく事故だった。けれど偶然あの事故が起きていなければ、そのときは意図的に川に突き落とされていたのではと……私はそんな気がしてならないのです」
「――ッ」
ハロルドの言葉に、とうとうエヴァンは絶句した。
意図的に突き落とされていた――その内容に、放心せずにはいられなかった。
「な……なぜ……、お前は……いったい何を根拠に……そんな恐ろしいことを……」
エヴァンは青い顔で、肩を小刻みに震わせる。
アメリアが川に落ちて行方不明という状況だけでも発狂してしまいそうなのに、まさかそれ自体が計画されたものだったとしたら……そう考えると、あまりの恐ろしさに吐き気を覚えた。
「……アメリア……どうして……」
エヴァンはハロルドの横を通り過ぎ、ベッドに腰を下ろすと力なく項垂れる。
いったいどうしてこんなことになってしまったのか。いったい誰がどんな目的でこんなことをしでかしたのか。もしもハロルドの言うように、これが計画されたものだったとしたら……。
そう思うと、全身の震えが止まらなくなる。
けれど、そんなエヴァンに語り掛ける、ハロルドの冷静な声。
「エヴァン様、お聞きください。もし今回の件が計画されたものだったとしたら、それこそお嬢様はご無事なはず。もし殺害が目的なら、このような回りくどいことはしないですから。私がこうして生きて帰ったのが何よりの証拠」
「……っ」
「だから私はファルマス伯に何も伝えなかったのです。私が口を閉ざしさえすれば、お嬢様は無事に帰ってきてくださるはず……。そう考えたから、私は何も言わなかったのです」
「……その言葉……信じていいのか……?」
「ええ。――ですからエヴァン様も、この件は決して口外なさらぬように。殿下らを尾行したこと、私が襲われたこと、そこにアルデバラン公爵家が関わっていること……その全てを、決して誰にも話してはいけませんよ」
「…………」
低く重いハロルドの声。
まるで否定を許さないその圧に、エヴァンはごくりと喉を鳴らした。
本当にそれでいいのか、と。この件を無かったことにしてしまっていいのかと、強い不安に苛まれながら――。
それでも結局エヴァンはハロルドの言葉を受け入れる他なく、「わかった」と小さく頷いた。




