3.疑心暗鬼
「――はっ……、はぁっ……。お嬢様は……どこに……!」
ルイスと別れたハロルドは、全速力で森を駆け抜けていた。
――彼は、さきほどまでのルイスとのやり取りを思い出す。
*
「私は――確かにその言葉に心当たりがある。が、だからといって突然このような無礼を働く人間の言葉を、信用してやるつもりも、受け入れてやるつもりもない」
そもそも、初対面の相手に刃を向けるような相手の言葉をどうして信じることができようか。信じられるはずがない。いくらルイスが、十五年前の事件と関わりがあろうと、だ。
――ハロルドは悩んだ末、そう結論を出した。
するとルイスは、一度は驚いた表情を見せた。
けれど、すぐに先ほどまでのような薄ら笑いを浮かべる。
「……ふむ。そうですね、それはもっともです。私があなたの立場でも、きっと同じことを考えたでしょう。つまり、私の忠告は聞き入れていただけないということですね?」
「そうなるな」
森のざわめきの中、二人は静かに睨みあう。
その沈黙を破ったのはルイスだった。
「まぁ仕方がないでしょう。あなたがそういう人間であると悟ったから、私はあなた方を見逃したのです。ここで私の言葉を素直に聞き入れるような者なら、あの場に捨て置いたことでしょう」
「……何だと?」
――見逃した? 助けたではなく? それはいったいどういう意味だ。
ハロルドは動揺する。ルイスの何の感情も入っていないその声に――脳裏に過る十五年前の血塗られた記憶に――酷い吐き気を覚えながら。
「貴様が何を言っているのかわからないが、私はこの命を懸けて、エヴァン様とお嬢様をお守りする。どちらかだけを選ぶつもりはない」
「なるほど、それは頼もしい限りです。とは言えこれはあなた一人でどうこうできる問題ではない。そのことをどうかご理解ください。私とて意地悪で言っているわけではないのです」
「黙れ。貴様の意図などどうでもいい。――私が十五年間あの事件について口を閉ざしてきたのが保身のためだと思うなら大間違いだ。私はただ時を待っていただけ……。当然、貴様のことを見過ごすつもりもない。後日使いを出すから覚えておけ。今日のこと……そして十五年前の事件について、よく話し合う必要がありそうだからな」
ハロルドがそう言うと、再び驚きを見せるルイス。
まさか使いを出されるとは思ってもみなかったのか。予想外の言葉にやや目を細め、彼は小さく息を吐く。
「……いいでしょう。これも私の撒いた種ですから。では、できるだけ早いご連絡をお待ちしておりますよ、ハロルド卿」
「…………」
ルイスの返事を受け、ハロルドは身を翻す。
何一つ解決していない。むしろ面倒事が増えたこの状況だが――今は何よりもアメリアの保護が先であると判断し――彼はルイスをその場に残し、走り出した。
*
「お嬢様……! アメリア様……!」
ハロルドは森の中を駆けながら、声を張り上げる。
エヴァンの命令では尾行を気付かれてはならないとのことだったが、ルイスに気付かれた今、その命令は意味を成さなくなっていた。
〝私の言うとこを聞いた方が身のためですよ。エヴァン・サウスウェル卿の秘密を守りたければ〟
――そう言ったルイスの声が脳裏に何度も繰り返される。
〝今あなたがアメリア様を追えば、エヴァン・サウスウェル卿の未来は保証できません〟
――その言葉を思い出す度、胸中に不安が押し寄せた。
本当に自分の選択は正しかったのだろうか。少なくとも、ルイスと真っ向から対立する必要はなかったのではないか。
あの場では忠告を受け入れた振りをしておいて、こっそりとアメリアを追いかけるという手もあったのではないか。
ルイスに大口を叩いた彼だったが、今になって、そんな答えの出ない考えが堂々巡りをしていた。
――ともかく、一刻も早くお嬢様を連れ帰らなければ……。
ルイスが十五年前の事件の関係者であるとわかった今、アメリアを傍に置いておくのは危険すぎる。
あの事件でいったい何人が死んだと思っているのだ。しかも犯人はまだ捕まっていない。――いや、対外的には捕まったことになっているが、実際は捕まっていないというのが正しいか。
「――くそッ」
ああ、いったい何がどうなっている。
そもそもあの事件で生き延びられたのは自分とエヴァンだけだったはずなのに、ルイスの口ぶりは……。
そんなルイスの主人であるウィリアムが、アメリアと婚約した……そんな偶然があり得るのだろうか?
それに、どうしてルイスはアメリアを王太子と二人きりにしたのか。
本当にルイスの目的は、エヴァンではなくアメリアなのか……?
――わからない。現時点では、何一つわからない。
「……アメリア様! いたら返事をしてください!」
彼は繰り返しアメリアの名を呼んだ。けれど返事はない。
時間ばかりが過ぎ、焦りが強くなっていく。
けれどしばらくして、茂みを出た先の崖の上流約五十メートルの場所にアメリアを見つけた。崖下には川が流れていて、アメリアは崖ぎりぎりのところに立っている。
にしても、そこにいるのはアメリア一人ではない。崖の際にはもう一人、ウィリアムの従妹であるカーラの姿もあった。
「なぜあのような場所に……」
もし足を踏み外しでもしたら大変なことになる。
ハロルドは急ぎ二人の元へ向かおうとした。
けれど、再びハロルドが駆けだしたそのときだ。
「――ッ!」
突然南から突風が吹き付けて、ハロルドは立ち止まざるを得なかった。と同時に――風にさらわれた帽子を掴もうとバランスを崩したカーラと、そんな彼女を救おうと腕を掴んだアメリアの姿を目の当たりにし――戦慄した。
――落ちる!
視線の先で、アメリアはカーラの腕を掴んだまま遠心力で身体を反転させる。そのかいあってカーラの身体は無事崖上に戻されたが、アメリアは……。
「……っ」
カーラの悲鳴が上がると同時に、ハロルドはすぐさま崖下を覗き込んだ。けれどアメリアの姿はない。
水の流れは速く、ドレス姿の女性が浮かび上がるのは並大抵のことではないだろう。
――迷う暇などなかった。選択肢は一つしか残されていなかった。
「お嬢様、今お助けしますから……」
ハロルドは短刀のみを残し、わずか数秒足らずで長剣や武具を全て取り外す。
そして躊躇うことなく、崖から川へ飛び込んだ。




