1.エヴァンの再訪
エヴァンの突然の訪問からちょうど一週間が経った日の午前中、再びエヴァンがやってきた。
「アナ! アメリアの婚約についてなのだが……!」
エヴァンは部屋に入るなり、開口一番にそう言った。それはまさしく前回と同様の内容で、アナベルは内心呆れかえる。
――が、今回は突然の訪問ではない。先んじて一応手紙を貰っていたし(内容は一方的なものだったが)、時間帯はやや早い気もするが常識範囲内だ。
それに今日はちゃんとハロルドを連れている。つまり、婚約者の正式な訪問だ。
だからアナベルは小さく溜息をつくのみで、エヴァンを咎めることはしなかった。
「エヴァン、あなたの話はわかってるからそれ以上はもういいわ。とにかく座って。クレア、お茶の用意は後でいいから、先にお兄様を呼んできてちょうだい」
アナベルの冷静な口調に、エヴァンは少々面食らったような顔をする。
けれど何か思うことがあったのか、言われるがままソファに腰かけた。
付き添いのハロルドはそんなエヴァンの後方で、立ったまま待機する姿勢を取る。
アナベルはクレアが出ていくのを見届けると口を開いた。
「エヴァン、わたくしもこの一週間いろいろと考えたのだけど……。はっきり言って、アメリア様の婚約を白紙に戻すのは現実的じゃないわ。家の評判にも関わるし、何より本人たちが望んで結んだ婚約をあなたがどうこう言うのはお角違いだと思うのよ」
「そんなことは百も承知だ! だから俺はお前に――」
エヴァンはアナベルの常識的な意見に、それでも――と物申す。が、アナベルはそれを遮った。
「いいから最後まで聞いて」
「……っ」
決して反論を許さない。そう言いたげな強い口調に、エヴァンは狼狽える。
「わたくし、少しファルマス伯爵について調べてみましたの。ほら、彼って今まで浮いた話の一つもありませんでしたでしょう? 縁談も全て断っているようですし。でも、それっておかしいのです。侯爵家の跡取りとあろうものなら、大抵は幼少期のうちに婚約者を決め、遅くとも成人前には婚約、成人後はそのまま結婚――というのが自然な流れですわ。事実、他の侯爵家の跡継ぎの方々はみんなそうですもの。そう。ただ一人、ファルマス伯爵を除いては……」
「……つまり、どういうことだ」
「これはわたくしの想像に過ぎないのですけど、もしやファルマス伯にはずっと好いた相手がいらっしゃったのではないかしら。それも、公には出来ないようなお相手が……」
「――!」
「それなら、申し込まれた縁談を断り続けていたことに説明がつくでしょう?」
「……まさか、そんな。――なら、アメリアとの婚約は……」
エヴァンは顔を蒼くする。
「確証はございませんのよ。調べてもそれらしき女性の影は出てきませんでしたし、女性用の装飾品を注文した形跡もありませんでしたから。――でも、これだけはわかりましたわ。今回の縁談、ファルマス伯は乗り気ではなかったそうなのです。話を進めたのは父親のウィンチェスター侯だったそうで……せめて婚約だけは済ませて欲しいという親心……というか、当主としてのお考えだったのではないかしら」
「…………」
エヴァンは何か考えるように視線を伏せ、じっとアナベルの言葉を聞いている。
「わたくし、この前のエヴァンの言葉がずっと気になっておりましたの。アメリア様が“誰とも結婚する気はない”と言っていたのに、急に態度を変えたこと。もしかしたらアメリア様は、ファルマス伯より何か提案を受けたのではないでしょうか。例えば“期間限定の婚約”、あるいは、“形だけの結婚”などの」
「…………」
「もちろん、想像の域を出ませんのよ。繰り返しますが、何の証拠もありませんから」
アナベルはそこまで話すとエヴァンの顔色を伺った。
エヴァンは青白い顔のまま両手を膝の上で組んで黙り込んでいる。そこには先ほどまでの感情的な彼の姿はどこにもない。
余程ショックだったのか、あるいは逆に、婚約を破棄できる可能性を見出し安堵しているのか……。
二人の間に沈黙が続く。
しばらくすると、部屋の向こうから声が聞こえた。
「入るぞ、アナ」
それはアナベルの兄、サミュエルの声だった。
アナベルが返事をすると、サミュエルがクレアと共に入って来る。
「来たな、エヴァン」
「……サム」
「何だ、今日は随分大人しいじゃないか。この前はもの凄い騒ぎ様だったと聞いたが」
――アナベルの兄、サミュエル・オールストン。エヴァンとは寄宿学校入学以前、幼少期からの付き合いだ。
容姿はアナベルと同じく両親譲りの赤い髪と赤褐色の瞳で、目鼻立ちはくっきりしている。性格はいたって穏やか、常識人で、広い交友関係を持つ社交性の高い男――。
サミュエルはエヴァンのすぐ側まで歩み寄ると、エヴァンの肩へ遠慮なく腕を回した。
「アナから話は聞いてるぞ。お前は本当に相変わらずだな。アメリア嬢の婚約を潰したいんだって?」
サミュエルはニヤリと微笑む。
するとエヴァンは鬱陶しげに眉をひそめた。そうして、「悪いか」と呟く。
するとサミュエルは途端に表情を一変させた。
「そりゃあ悪いだろ。アメリア嬢にも先方にも……それに、アナにもだ」
「……アナだと?」
サミュエルの表情は真面目を通り越して怖いほどで、二人は少しの間、至近距離でじっと睨み合う。
それを破ったのはアナベルだった。
「お兄様、その話は今することではありませんわ。それで、手に入ったんですのよね、招待状は」
アナベルはごほんと大きく咳払いをし、兄サミュエルに問いかけた。
するとサミュエルは再び顔に笑みを浮かべ、エヴァンの肩に回した腕を解く。
「ああ。お前の頼みだ。抜かりないさ」
サミュエルは懐から一通の封筒を取り出し、アナベルへと手渡した。
「さすがお兄様ですわ」
「それほどでも」
そんな二人のやり取りに、エヴァンは不可解な視線を送る。
「招待状だと? 一体何の……」
エヴァンが尋ねれば、アナベルはにこりと微笑んだ。
「何の変哲もない夜会の招待状ですわ。――ただ、この夜会にはファルマス伯が出席されるそうですの」
「――何?」
「ねぇ、エヴァン。わたくし、お兄様と相談して決めましたの。もしも先ほどのわたくしの予想が当たっていたら――つまり、お二人の間の婚約が“愛の欠片もないものだったのなら”、わたくし、あなたに協力するつもりですわ。その時は婚約を白紙にする為に、兄のサミュエルともども尽力しましょう。あなたはわたくしの婚約者、そしてアメリア様はその妹。たとえ悪女と噂されようといずれわたくしの妹になるお方。不幸な結婚はしてほしくありませんもの」
アナベルは続ける。
「けれど……けれどね、エヴァン。わたくしの想像が杞憂のものだったならば……ファルマス伯とアメリア様の間に愛や、もしくはそれに当たる尊敬や信頼の念が確かに存在していたら……どうかアメリア様のことはきっぱりと諦めて、お二人を見守っていただきたいのです。この招待状は……その為のものですわ」
アナベルは言い終えると、エヴァンをじっと見つめた。
動揺を隠せないエヴァンの視線を捕えて――決して放さないように。
エヴァンはしばらく何も言わなかった。
アナベルの方も、何も言わずエヴァンの言葉を待ち続けた。
サミュエルやハロルド、そしてクレアも何も言わない。部屋は沈黙で満たされていた。
そうして数分が経過してようやく、エヴァンが答えた。「わかった」――と。
彼は繰り返す。
「わかった。君の言う通りにしよう。恩に着る、アナ」
*
こうして、彼らの方針は決まった。
夜会は三日後。果たしてエヴァンはファルマス伯爵――ウィリアム・セシルからこの婚約の真意を聞き出すことが出来るのか。
二人の接触は近い。