15.幼き日の記憶:心の欠片
*
――マリーが死んで、この屋敷は捨てられた。住み続けるのはミシェルが辛いだろうと両親が判断したのだ。
二人はミシェルを連れ、領地に戻ることを決めた。
使用人の八割に暇を出し、残った二割の使用人で家財を運び出した。諸々の手配と荷造りだけで二週間を要した。
その間、ミシェルはずっと親戚の家に預けられていた。体調が悪く、マリーの葬儀にも出られなかった彼女は、毎日を泣いてすごすばかりだった。
そんな彼女を心配した両親は、領地に戻ることをなかなか彼女に伝えられずにいた。
結局ミシェルがそれを知ったのは引っ越し前夜――それも、直接聞いたのではない。たまたま両親の会話を聞いて知ったのだ。
ミシェルは家を飛び出した。雪の降る夜に、灯り一つ持たないで。
けれど、彼女は少しも寒いと思わなかった。
マリーに謝らなければと、ただその一心だった。
二週間前まで住んでいた我が家。その隣の教会の墓地、そこにマリーは眠っているはずだ。
彼女は走った。――雪の夜だ。人気はない。彼女を呼び止める者は誰一人としていなかった。
それは長い道のりだったが、通りの名を覚えていた彼女は無事に教会に辿り着いた。
けれど残念なことに、彼女はマリーの墓を見つけることができなかった。
街灯のある通りとは違い、墓地には灯り一つない。まさに暗闇としか言いようがないその場所で、墓石に刻まれた名前を一つ一つ確認するのはあまりにも無謀だった。
「……マリー、どこにいるの……?」
薄っすらと雪が降り積もり始めたその場所で、彼女は独り立ち尽くす。
ここに来るまでにかいた汗が、今になって彼女の体温を容赦なく奪い始めていた。
「……マリー」
彼女は寒さに凍えながら、マリーの名を繰り返す。そして、ハッとした。
ああ、そうだ。彼女はきっとまだかくれんぼをしているのだ。私が見つけてあげなければ――そう思った。
ミシェルは、火事が起きたあの日のままの我が家へと足を踏み入れた。
家財一式が運び出されたその場所は、すでに彼女の知る場所ではなかった。けれど彼女は躊躇わない。
キッチンで油とマッチを手に入れ、床に転がっていたランプに火を灯した。
それを片手に自分の部屋へと向かう。そこにマリーが居るはずだと、どうか居てほしいと――それだけを願って。
だが、当然そこにマリーの姿はなかった。
*
『それで……気付いたら……部屋が、燃えてて……』
「わかってる。君は疲れて眠っちゃったんだよ。その間に、ランプを倒しちゃったんだ」
『……わたし……怖くなって、すぐに部屋を飛び出したの。――でも……』
記憶の狭間に揺れるミシェルの瞳に、炎の陰が揺らめいた。だが、その身体は酷く冷たい。
ミシェルは炎からは逃れられたが、寒さからは逃れられなかったのだ。
もともと身体が弱く体力を使い果たしてしまっていた彼女は、それ以上動くことができずに寒さに凍え息絶えた。
それはとても寂しい最後だった。
「それからずっと、君はこの屋敷でマリーを探し続けてる。……そうなんだね?」
エヴァンの静かな問いに、ミシェルはこくりと頷く。
――いつの間にか、涙が引いていた。
「マリーに会いたい?」
再びエヴァンが尋ねると、驚いたような顔をして少しの間固まるミシェル。
『マリーに……会えるの?』
そう尋ね返せば、エヴァンは優しく微笑む。
「会えるよ。マリーはこのお屋敷にはもういないけど、空の向こうにいるはずだから。君が望むなら、今すぐにだって会いにいけるんだよ」
『……空の、向こう……?』
「そうだよ。空の向こうで、君のことを待ってるはずだ」
『…………』
ミシェルは黙って、じっとエヴァンの話を聞いている。
「ミシェル、僕はね、今まで君のような人に何度も会ったことがあるんだよ。その人たちは皆、とても大きな心配事があって、その場所から動けずにいた。でも、最後には空の上へ昇っていった。それまで泣いていた人も、怒っていた人も、最後はみんな笑っていたよ。――マリーもきっとそこにいる。だから、会いにいったらいい」
エヴァンの語る内容に、しばらく考え込むミシェル。
彼女は不安げに問いかける。
『……でも、もしいなかったら? わたし、マリーを見つけられないかもしれないわ。そしたら、わたしはどうしたらいいの?』
すると、にこりと微笑むエヴァン。
「そのときは僕のところに来たらいい。もしマリーを見つけられなくても、僕がいる。僕が一緒にいてあげる。――だから、さあ、勇気を出して」
そう言って、彼はゆっくりと右手を差し出す。
「僕と一緒に、この屋敷を出よう」
――その言葉に、ミシェルは――。
*
それは懐かしい過去の思い出。
エヴァンが自分の力を疎ましく思う以前の――記憶の底に封じられた――心の欠片の一つだった。




