12.幼き日の記憶:少女、ミシェル
屋敷はどこもかしこも荒れ放題だった。
家具は倒れ窓ガラスは粉砕し、家主が残していった価値無き物たちがあちらこちらに散乱している。
それは決して火事の痕跡だけではなかった。この荒れ方は人の手によるものである。
「……酷いな」
「本当だね。よくここまで荒らせるよ」
家主無きあと、浪人か何かにでも漁られたのだろう。
高価な調度品や絵画でなくとも、庶民にとってはスプーン1本、毛布1枚でも価値あるものだ。そういうものを探すために部屋を荒らしまわった形跡が、屋敷のいたるところに残っていた。
三人は途中の部屋の扉を順番に全て開けながら進んで行く。部屋の窓から入る日の光を、少しでも廊下に取り入れて明るくしようという作戦だ。
そうしてしばらく進んでいくと、彼らは屋敷の中央――玄関ホールへとたどり着いた。
そこは吹き抜けになっていて、外からしっかりと陽光が降り注いでいる。二階へと続く大階段もそれは同じで、足元も確認できるし二階に上がるには最適だろう。
そう考えた二人は、アナベルを真ん中に挟んで慎重に上っていく。
「アナ、念のため壁側を上るんだよ」
「手すりは崩れるかもしれないから、あんまり体重かけるなよ」
二人は口々に注意する。しかしアナベルはどういうわけか先ほどから黙ったままだ。
いったいどうしたのだろうか。
階段を上りきったところで、サミュエルがアナベルを振り返った。
「お前、さっきから黙ってどうしたんだよ? 今頃怖くなったのか?」
しかしアナベルは顔を俯き首を振る。
「じゃあ疲れたのか? おぶるか?」
けれども彼女は頷かない。
「なんだよ。言えよ。言ってくれなきゃわからないだろ?」
ここまで聞かれて、アナベルはようやく答えた。「トイレ」――と。
「――っ!?」
瞬間、顔を見合わせるエヴァンとサミュエル。
なるほど、アナベルが先ほどからずっとおとなしかったのは尿意を我慢していたからだったのか。
「そういうことは早く言えって! エヴァン、さっきトイレあったよな!?」
「うん。階段降りて左にまっすぐ――。でも2階で探したほうが早いかも……」
エヴァンは左右に続く廊下を見渡す。が、そのときには既にサミュエルはアナベルを抱えていて……。
「いや、探すより走った方が早い。俺、ちょっとアナベル連れて行ってくるわ」
それだけ言い残し、階段を駆け下りていってしまった。それも、エヴァンにランプを持たせたまま……。
「ちょ――サム! ランプ持ってけよ! 危ないだろ!?」
「無理! 両手ふさがってるから! エヴァンはそこで待っててくれ! すぐ戻る!」
「――なら、僕も一緒に」
エヴァンは言いかけるが、そのときにはもうサミュエルの姿は見えなくなっていた。当然、声も届いていないだろう。
「ったく、サムの奴」
彼は諦めて小さく息を吐く。一息つこうと、ランプを自分の足元に置いた。――そのときだった。
突然何かの視線を感じ、ハッと背後を振り返る。
すると――誰もいないはずの廊下の向こうに――何かがいた。暗がりの向こうから、自分をじっと見ている……少女の姿が。
その少女は音もなくエヴァンの方へ近づいてくる。それは決して気のせいなどではなかった。
「……っ、誰だ」
もう数メートルのところまで近づいた少女に向け、彼はようやく呟いた。だがそれと同時に、無意識的に気づく。
自分は既に、彼女が誰か知っているではないか。
「……君は……この屋敷の」
『あなた……わたしが視えるのね?』
言いかけたエヴァンの頭の中に直接響く、少女の声。
「……。――視えるよ。僕には、君が視える」
――そう、彼女は幽霊だ。火事で亡くなったという、少女の霊。
『ああ、嬉しい。わたし、ずっとあなたのような人を待っていたの』
「それはつまり……君のことが視える人間ってこと?」
『そう、そのとおりよ。ときどきいるの。わたしが視える人。……でも、わたしを怖がらないのはあなたが初めて』
少女はそう言って、その青白い手をエヴァンの方へ向けた。その指が今にも頬に触れそうになる。
――けれどそれでも、エヴァンは少しも怖がらなかった。その理由は様々だったが、一番の理由は……。
エヴァンは少女を受け止めるように大きく両手を広げ、にこりと微笑む。
「怖くないよ。だって――君はこんなに綺麗じゃないか」
『――っ』
刹那――少女の碧い瞳が見開かれた。エヴァンの頬に触れた少女の指先に生気が宿り、ススで薄汚れていたはずの髪は生前の輝きを取り戻す。
「綺麗な金髪だね。青い瞳も……ほら、僕と一緒だ。君は僕の妹によく似てる」
『……妹? あなた、妹がいるの?』
「いるよ。アメリアって言って、まだ3歳なのにすごくしっかりしてて……でもとっても可愛いんだ」
エヴァンは笑みを深くする。
すると少女は驚いたような顔をしたあと、寂しそうに眉を下げた。
『……そう。いいわね。うらやましい。……わたし、ずっとおにいさまが欲しかったの。ねぇ、あなた名前は? 少しでいいから、わたしと遊んでくれない?』
その言葉に嘘はなかった。少なくともエヴァンはそう感じた。
――自分よりいくつか年の幼いその少女。その寂しさを少しでも癒してあげられるならばと、エヴァンは決意する。
「いいよ。少しだけだけど。僕と遊ぼう」
エヴァンは頷いて、ゆっくりと右手を差し出した。
するとヒマワリのようにパッと顔を輝かせる少女。――彼女は嬉しそうにエヴァンの右手を取る。
「僕の名前はエヴァン。君の名前は?」
『ミシェルよ。エヴァン、まずは屋敷の中を案内してあげる! 来て!』
――そうしてエヴァンは、ここが暗闇であることなどすっかり忘れてしまったかのように、ただ一人廊下の奥へと駆け出して行った。




