9.幼き日の記憶:子供だけの外出
「いいか、アナ。絶対に帽子を取るんじゃないぞ。絶対にだ」
「アナ、いい? 僕の手をしっかり握って。何があっても放しちゃ駄目だからね」
――平民姿のエヴァンとサミュエルは、同じく平民の少年姿に変装したアナベルにそんな言葉をかけながら、重い足取りで街の通りを歩いていた。
「見ておにいさま! おみせがこんなにたくさん!」
「ああ……そーだな」
ここは街の中でもそれなりに大きい通りなだけあって、帽子や時計、宝石と言った装飾品店から、レストランや喫茶店などの飲食店まで、数々の店が軒を連ねている。
街歩きが初めてのアナベルはにはそのどれもが目新しく、エヴァンやサミュエルとは正反対に軽やかにスキップしては、目をキラキラさせてショーウィンドウを覗き込んだ。
「あっ、あのくつかわいい!」
「走っちゃ駄目だよアナ! ちゃんと僕の手を……!」
「だいじょうぶよエヴァン! ころばないから!」
「そういう問題じゃなくて……っ、ああもう!」
エヴァンとサミュエルはアナベルに振り回されつつも通りを進んで行く。
ときおり投げかけられる些細な問いかけに答えながら。
*
「おにーさま! あそこでがっきをえんそうしてる! ききにいきましょうよ!」
「駄目だ。あれはお金がいるんだぞ」
「……? おかねないの?」
「あるけど……子供だけなのに金持ってると思われたら、目をつけられて面倒だろ」
「ふーん?」
*
「ねぇエヴァン、あの子はたくさんのお花をもってどこにでかけるのかしら?」
「あれはね、アナ。お出かけじゃなくて、お花を売ってるんだよ」
「おみせやさんなの? でも、エヴァンやおにいさまとおなじくらいのとしなのに」
「うん……そうだね」
「……?」
*
けれどアナベルには、エヴァンやサミュエルの言っていることの半分も意味がわからなかった。
自分の問いにときおり難しい顔をしたり、面倒くさそうにため息をついたり、顔を見合わせたりする――二人のいつも見せない表情や態度を、アナベルはとても不思議に思っていた。
だがそれ以上にアナベルにとっては初めての街歩きが楽しすぎて、疑問など一瞬でどこかへ飛んで行ってしまう。
そんなこんなで30分ほど進んだところで、サミュエルがふと立ち止まる。
「なぁアナ、もういいだろ? あそこにお菓子屋さんがある。キャンディー買ってやるから、それ持って帰ろう。な?」
そう言ったサミュエルが指さした先には、可愛らしい色の看板のかかったお菓子屋さんがあった。
透明なガラスの向こうの棚には、カラフルなキャンディーやチョコレート、クッキーやマフィンなどが並んでいる。
それを見たアナベルは、パッと顔を輝かせた。
「かわいいっ!」
「お前、ああいうの好きだろ? キャンディーだけじゃなくて、何なら全種類買ってもいい。帰るまでに食べきればばれないだろ」
「ぜんぶ!? ぜんぶって、あれぜんぶよね!?」
「ああ、そうだよ。だからあれ買ってもう帰ろう」
「……」
だがしかし、アナベルはどういうわけか頷かなかった。なぜなら彼女は、その瞬間思い出してしまったからだ。外出を兄らに無理強いした、一番の目的を。
「やっぱりいい。ゆうれいやしきにいきたいから」
そう。なんとアナベルは、幽霊屋敷に行きたいと言い出したのだ。
サミュエルとエヴァンは、当然のごとく驚愕する。
「はあ? 冗談だろ。まさか本気じゃないよな? お前、夜一人でトイレにだって行けないじゃないか。昨日の夜だって俺お前に起こされて……」
「――っ、でもいきたいの!」
「いや、幽霊屋敷ってお化けが出るって言われてるんだぞ? 俺たちの屋敷みたいに綺麗じゃないんだぞ?」
「そうだよ、アナ。それにあのお屋敷はとっても遠いんだ。アナが歩いて行くのは無理だよ」
「むりじゃない! あるけるもん!」
「いや、でも」
「いくったらいくの! い、く、のー!」
「…………」
赤い顔をして声を張り上げるアナベルに、エヴァンとサミュエルは困り果てた様子で顔を見合わせた。
少し連れ出してやれば満足するかと思っていたのに、こんなところで駄々をこねられたら溜まったものじゃない、と。
だがまだ幼いアナベルが、二人の気持ちに気付けるはずもなく。
二人が一瞬黙りこんだその隙に「ゆうれいやしきはあっちね!?」などと言いながら再び走り出そうとする。――と、そのときだった。
「あれっ、エヴァンにサムじゃねーか。何やってんだこんなとこで」
更にタイミングの悪いことに、二人に声をかける者が現れたのだ。
「――ギル」
「君こそ、どうしてここに……」
ギルと呼ばれた少年はまさに平民だった。
お世辞にも白いとは言えないシャツにやや丈の足りないズボン、キャスケット帽をかぶる姿は一般的な労働階級の装いだ。
つまり彼は、エヴァンとサミュエルの今の姿――平民――の知り合いなのだ。
「俺? 俺は見ての通り、親父のお使いだけど」
彼は二人よりもいくらか年上なのか、身長は卵二つ分ほど高く大人びた顔つきをしていた。
グレーの瞳と茶色の短髪に特徴はないが、それゆえに彼の口調の強さはかえってそれを印象づける。
そんな彼は確かにその言葉どおり、いつもなら持っていない大きすぎる鞄を肩から斜めにかけていた。
サミュエルはそんなギルの鞄を見つめ、吹き出る冷や汗を誤魔化すようにからかいの笑みを浮かべる。
「お使い……へぇ。お前、お使いとかする奴だったんだな」
「そりゃ俺だってやりたくねーよ。ああ、お前ら代わってくれる?」
「はっ、やなこった」
サミュエルはギルに向かって軽口を叩きながら、側にいるエヴァンの様子をちらりと伺った。
エヴァンはギルがサミュエルに気を取られている間に、アナベルを物陰に隠そうとしていたのだ。
だが、さすがにそれには無理があった。当然のごとくギルはアナベルの存在に気付き、わざとらしく首をひねる。「ところでそのチビ、誰?」と。
瞬間、顔を強張らせる二人。もしもアナベルの本当の性別を知られれば、さぞかし面倒なことになるだろう。
そう考えた二人は、今にも自己紹介を始めてしまいそうなアナベルの口をぐわっとふさぎ、早口で話し始めた。
「こ……っ、こいつは俺の親戚で。えーと……そう、従弟なんだよ!」
「そうそう、サムの従弟で田舎から出てきたばかりなんだ! 名前は……アn……アントニー!」
「へえ? アントニーか」
ギルは何か珍しいものを見るかのように少年姿のアナベルを上から下までひとしきり眺める。そうして、アナベルに直接尋ねた。「年はいくつだ?」と。
するとアナベルは、サミュエルとエヴァンの様子を伺いながら「5さい」とそっと答える。
その答えに、カッと目を剥きサミュエルの方を振り向くギル。
「5ォ!? これでか!? ガリガリじゃねーか! これなら俺んとこの赤んぼのがまだマシだぞ! もっと食わせろって親に言っとけ!」
「……あ、ああ」
「こんな細くちゃ立ってるだけで倒れそうだ。――で? 結局お前らはこんなところで何してんの?」
「え?」
「こんな大通りで、お前らもお使いかなんか?」
「……それは」
ギルの容赦ない言葉と質問に、流石のサミュエルもタジタジになる。
――と、そのときだ。
「ゆうれいやしき!」――そう叫んだのは勿論アナベルだった。
「あ? 幽霊屋敷?」
尋ね返すギルに、アナベルは――エヴァンとサミュエルの顔が蒼くなったことに気が付かず――満面の笑みで答える。
「これからみんなで、ゆうれいやしきにいくところなの!」と。




