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愛しのあの方を思い慕って十五年 〜婚約者エヴァンの秘め事〜  作者: 夕凪ゆな
第2章

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8.幼き日の記憶:すべての始まり


 それはまだアナベルが四つか五つの頃のこと。

 幼い彼女がエヴァンに恋心を抱くようになったのは、きっとこの日の事件がきっかけだった。



「おにーさま! エヴァンが来てるんでしょう?! わたしもいっしょに――」


 その日もアナベルは、エヴァンが遊びに来ていることを聞きつけ兄サミュエルの部屋を訪れた。

 その頃の彼女はまだほとんどを屋敷の中で過ごすような年齢で、つまり友達と呼べるような間柄の相手はいなかった。


 だからもっぱら彼女の遊び相手と言えば兄のサミュエルと、その友人であるエヴァンの二人だけ。つまりそんな二人に、幼い彼女が懐くのは当然のことだった。



 ――そう言うわけで、その日もエヴァンの来訪を知ったアナベルは急いで兄の部屋へと走り……そしていつもそうしているように、返事も待たずに部屋の中を覗きこんだ……のだけれど。


「……?!」


 そこにあったのはいつもと様子の違う言い争いをする二人の姿で、彼女はその予想していなかった光景にその場で思わず立ち竦んでしまったのだ。



「わかったぞエヴァン、お前怖いんだろ! そんなに嫌がるなんて怖いからに決まってる! この弱虫!」

「なっ――その言葉、そっくりそのままお返しするよ! サムの方こそ僕と一緒じゃなきゃ怖いんだろ! だからそんなにムキになるんだ!」

「はっ……はああ!? そんなわけないだろ!? 馬鹿にするな!」

「だったら一人で行ってこいよ! 何と言われようと、僕は絶対行かないからな!」

「~~ッ、この……っ、石頭!」

「石頭はどっちだよッ!」


 覗き込んだ部屋の中で押し問答を繰り返す兄たちの姿。そしてそれは次第にヒートアップし、二人はついにお互いの胸倉を掴み合い取っ組み合いの喧嘩を始めてしまった。


 それは今まで一度だって見たことのない二人の荒っぽい姿で――そのことに恐怖を感じたアナベルは、気づけば泣き出してしまったのだ。


「けっ……けんかしないでぇ」


 その頃の彼女には、二人が一体どんな理由でそうなってしまったのかなんてわかるはずもなく。絨毯の上で転げまわってお互いの身体を殴り合うその姿は、ただただ恐ろしいばかりで……。


 けれどあるとき、そんな彼女の泣き声が届いたのか二人は不意に動きを止めた。


「あっ、え……アナ?」

「――いつから、そこに」


 サミュエルがエヴァンに馬乗りになり、右腕を振り上げたままの状態で驚いたように口を開ける。対してエヴァンはサミュエルの胸倉を引きよせ頭髪を引っ張った状態のまま、顔を蒼くした。


 その隙を見逃すまいと、アナベルは声を張り上げる。


「……けんか……しないっ……で!」


「――ッ」

「……!?」


 すると今度こそ我に返った様子でお互い距離を取り合う二人。そうして彼らは自らの服の埃をパッパと払うと、何かを取り繕うように彼女の方へと駆け寄ってきた。


「け、喧嘩なんて……してないよな!? エヴァン」

「あっ……ああ、ちょっと遊んでただけだよ。大丈夫、僕らは喧嘩なんてしてない。だから泣かないで、アナ」


 二人はそんなことを言いながら、どういうわけかドアの外の様子を伺う。そうしてそこに誰もいないことを確認すると、安堵したような顔で扉を閉めてアナベルに向き直った。

 そうして、傷だらけの顔に無理やり笑みを浮かべる。


「ほんとに喧嘩なんてしてないから」

「そうだよ、アナが気にするようなことなんて何もないからね」


 けれど、幼い彼女にだってそれが嘘だと言うことくらいわかった。

 それに、なんとなく悟ってしまった。二人が何か隠していることを。


 だから彼女は、二人に疑わしい視線を向ける。


「おにいさま、うそついちゃいけないのよ」

「――う、嘘? なんのこと……」

「ねぇエヴァン、ふたりはなんでけんかしたの? おにいさまがエヴァンになにかわるいことをしたの? だからエヴァンはおこったの?」

「……そ、……それは」

「それはだれかにきかれちゃいけないことなの?」

「――っ」


 刹那、驚いたように目を大きく見開く二人。

 そんな彼らの姿に確信したアナベルは、二人を精いっぱいにらみつける。


「おしえてくれなきゃ、ふたりがけんかしてたことおかあさまに言いつけちゃうから」

「……ッ!?」


 瞬間、絶句する二人。

 彼らは気まずそうにお互い視線を送り合うと、今度は大きく溜息をつく。

 そうしてどこか諦めた素振りを見せると、仕方ないなぁと呟いて、こんなことを説明してくれた。



 ことの発端は二週間前に(さかのぼ)る。


 兄のサミュエルとエヴァンはここ最近、暇を見つけては身分を隠し(それでもお守り役のハロルドを連れ添って)街の子供たちと川や林で遊んでいると言うことなのだが――そんなある日、子供たちのうちの一人がこんなことを言い出した。


 街の中心部から少し離れたところにある、元は貴族が住んでいた屋敷――そこに幽霊が出るらしい、と。


 詳しく聞けば、その屋敷は二年前に火事が起き、逃げ遅れた病気の娘が死んでしまったとのこと。以来心を痛めた貴族夫婦は領地のカントリーハウスに引っ込んでしまい、屋敷自体は取り壊しも建て替えもなくそのままになっていると言う。

 そして近所の住民の話では、最近その屋敷の窓に幼い少女が立っている――と言うのだ。


 そんな噂が立ってからと言うもの、管理者のいないその屋敷は子供たちの肝試しの場となっている。

 勿論大人たちは危険だからと立ち入りを禁止しているしロープも張ってあるのだが、何のことはない。子供たちはそれらを超えて入っていってしまうのだ。


 そしてその肝試しとやらに、エヴァンとサミュエルも誘われたのである。


 だが勿論、二人はその場で断った。当然のごとく両親が許すはずがないし、もしも許可を求めようものなら今後一切街での遊びを禁じられてしまうだろうことがわかっていたからだ。


 それに例え内緒で行こうにも、二人にはいつだってハロルドが着いて回っている。つまり二人がその屋敷を訪れるのは実質的に不可能だった。


 ――だが街の子供たちは二人のそんな状況など知る由もない。子供たちは二人を悪気なく、弱虫と言ってからかった。


 そのときは二人は笑顔でさらりと交わしてのけたのだが、実のところサミュエルはずっとそれが引っかかっていたらしい。

 だからサミュエルは、ハロルドが所用でエヴァンに同行していない今日、二人だけで例の屋敷に行かないかと持ち掛けたのだ。


 ――が、エヴァンは当然の如くそれを断り、けれどそれに納得がいなかかったサミュエルと口論になってしまった、と。



 説明を終えた二人は、再び大きなため息をつく。


「ほんっとケチくさいよな、エヴァンは。ハロルドはいないんだし、黙ってればわからないのにさ」

「サム。言わせてもらうけど、君はことの重大さがわかってないよ。僕らだけで外出ってだけで駄目に決まってるのに、そんな危険な場所に行くなんてもっと駄目に決まってるだろ」

「駄目駄目ってさっきからそればっか。お前の意志はどうなんだよ! 弱虫って言われて悔しくないのか!?」

「悔しいとか悔しくないとか、そういう次元の話じゃないって言ってるんだ」

「あああもう! 屁理屈ばっかだな! 俺はお前の気持ちを聞いてるんだよ!」


 そうして再び不毛な言い争いを始める二人。彼らはアナベルの姿など視界に入っていないかの様子で口論を続ける。


 そんな二人の姿を目の当たりにして――幼いアナベルは……。


「……ずるい」

「――え?」


「ふたりとも、ずるい!」


 その声に、二人は再び目を丸くする。


「ずるいって……何が?」

「そうだよ、いったいどうしたの、アナ」


「ふたりともお外であそんでるなんて……わたし、しらなかった」


 ――そう。事もあろうに、「ずるい」などと(のたま)ったのだ。

 

 確かに今考えれば、エヴァンの意見が全うであるとアナベルにもわかる。けれど当時の彼女にはわからなかった。


 それどころか幼い彼女は、このときの二人の話を聞いて羨ましくてしょうがなかった。


「えっと……それはつまり、お前も外出したいっていう……」

「そういうこと?」


 アナベルがこくりと頷けば、再び顔を見合わせる兄とエヴァン。

 二人はようやくその意味を理解したというように眉をひそめる。


「いや……お前はまだ小さいし」

「そうだよアナ。外はとっても危ないんだ。それに君は女の子だろう?」


「危ないなんてウソ! もしそうなら、おにいさまとエヴァンだってだめじゃない!」

「……いや、だけど」

「僕らはもう大きいし……」


「ずるいったらずるい! アナもお外に行くのー!」

「……や、それはほんとに無理」

「ごめんねアナ。君は連れていけないんだよ。せめて君があと二つ大きくなったら……」


「~~ッ!」


 二人の言葉に、彼女の中で怒りが増大していく。

 そうしてついにその怒りは最高潮に達し――こう叫んだ。


「連れてってくれなきゃ、さっきのことおかあさまに言いつけちゃうんだからああああっ!!」


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