7.それぞれの目的
いったいいつの間に戻ってきたのだろうか。全く気配を感じなかったけれど……。
そう考えるアナベルの横で、ルイスは高圧的とも取れる態度でアルバートを見下ろした。
「そうですよね? ――じゃありませんよ。余計なことをペラペラと」
「おや、何か問題が? アナベル嬢はあなたが元孤児だからと差別なさるような方ではありませんよ。ね、アナベル嬢?」
「――えっ、……ええ」
突然同意を求められ、アナベルの声が裏返る。
「“ね?”とかやめてください。そもそも、アナベル様は貴族のご令嬢。急に孤児だとか言われたら反応に困ると言っているんです」
はあ――と大きく溜め息をつくルイス。
そんなルイスを、表情一つ変えずに見返すアルバート。
それはアナベルにとって、不思議以外の何物でもない光景だった。
中産階級の生まれのアルバートと、元孤児のルイス。
そんな二人が、しかも元家庭教師と生徒が、このような対等な関係を築くというのは並大抵の信頼感では難しい。
けれど、二人はこうしてお互いの気持ちを隠さず言い合うことができている。
「アナベル様、先生が申し訳ございません。驚いたでしょう? ですが、この際ですからお伝えさせてください。私は自分が孤児だったことを卑下したりはいたしません。確かにかつては己の過去を疎ましく思ったこともあります。けれどそんな私の弱さを、ウィリアム様は受け入れてくださいました」
ルイスは微笑む。
「だから、私はウィリアム様に恩をお返ししなければならないのです。ウィリアム様に幸せになっていただくことが、今の私の全て。そのためには、ウィリアム様とアメリア様の関係を良いものにしていく必要があります。ですから……アナベル様、あなたにはどうかサウスウェル卿と添い遂げていただきたく。それがあなたの幸せだと言うのなら、それは私の願いも同じ」
「……ルイス」
――それはあの日夜会で告げられた言葉と同じだったけれど、彼が孤児だったと知った今、さらに重く心に響いてくる。
それは決して私を想ってだけの言葉ではない。私を助けたいという思いだけからの言葉ではない。
彼はただ、彼の願いの為に――。
けれど、だからこそ信じられると思った。
私とルイスの利害は一致している。それはただの親切心と言われるよりも、何十倍も信用に値する。
――それならば、もう一度だけ頑張ってみよう。もう一度だけ……エヴァンとぶつかってみよう。
自分を応援してくれる人がいる。それならば……と。
アナベルはそう、一人密かに心に決めた。
*
結局、この日はそれでお開きとなった。
ルイスに届いた手紙……それがウィリアムからの急ぎの用だったからだ。ルイスが今すぐ屋敷に戻ると言うので、アナベルも退席することにした。
アナベルはアルバートに丁寧に礼を述べ、ルイスと、そしてクレアと共に部屋を出る。
すると部屋を出る間際、アルバートに呼び止められた。
振り向いた彼女に、アルバートは今日一番の優しい笑みを投げかける。そしてこう言った。
「サウスウェル卿をよく観察してご覧なさい。――彼の目に映る景色は、あなたの目に映るそれとはきっと違っている。あなたに見えている物が彼にも見えているとは限らない。そしてそれは逆も然りなのですよ」――と。
その時の彼女には、アルバートの言葉の意味はわからなかった。けれど、彼女はその言葉をしかと心に刻み込んだ。
アナベルはルイスにエスコートされて辻馬車に乗る。そうして、扉を閉める間際にルイスに革手袋を手渡した。
彼女がこのタイミングを選んだのは、まともに渡そうとしても受け取ってもらえない可能性を考えたからだった。
そんなアナベルの予想通り、ルイスはそれがデンツ製であることにすぐに気が付いて受け取ることを躊躇した。
けれどプレゼントを突き返すのはマナーに欠ける。それに革手袋を所望したのは自分自身だ。
屋敷内ならいざ知らず、人の往来のある……しかも御者に話を聞かれてしまうこの状況で女性に恥をかかせるわけにはいかない。
結局受け取らない選択肢は見つけられず、ルイスは「この贈り物と今日のお詫び、いつか必ず倍にしてお返しいたします」と言って革手袋片手に微笑んだ。
――馬車が動き出す。
結局この日、エヴァンについて自分がどうするべきか――という点において明確な結論が出ることはなかった。
けれど収穫がゼロだったわけではない。
少なくとも、アナベルは悟ったのだ。
まだ一度たりとエヴァンに「自分の気持ちを伝えていない」ことを。
エヴァンに自分の気持ちが伝わっていないとは思っていない。エヴァンが自分よりアメリアを大切に想っている――それが間違いだとも思っていない。
けれど、きっとそれが全てではない。まだ自分の知らない何かがあるはずなのだ。
エヴァンがアメリアをどう思っているのか、エヴァンが自分のことをどう考えているのか。
――アナベルは馬車に揺られながら、ゆっくりと目を閉じる。
伏せた瞼の裏に、エヴァンの笑顔を思い浮かべながら……。
懐かしいエヴァンの笑顔。もう何年も見ていない、屈託のない彼の笑顔。
木々の隙間からこぼれる春の日の光のような、温かくて……優しい笑顔。
そんな彼の顔を最後に見たのはいつだっただろうか。いつからエヴァンは笑わなくなったのだろうか。
もしもそこに理由があるとしたら、それは一体どうして……? と。
――それがわかれば……もしかしたら……。
彼女は瞼を伏せたまま物思いにふける。
そうしていつしか、束の間の夢の中へと落ちていった。




