1.ルイスの誘い
夜会から一週間が経過したその日の昼下がり、アナベルは侍女クレアと共に馬車に揺られていた。
行き先は二番街――王都中心部から少し離れた、医師や教師などの中産階級や、下級貴族の次男、三男らの住むタウンハウスが並ぶ地区――である。
そこには貴族の所有する――独立した土地の上に建てられた――タウンハウスとは違い、三階あるいは四、五階建ての同じ風貌の建物がずらりと軒を連ねていた。(補足すると、貴族は自らの領地にタウンハウスとは別にカントリーハウスを所有している)
彼女は今、そこに住むと言う医師アルバート・ハドソンのもとへと向かっているのだ。
事の発端は一週間前に遡る。
アナベルはエンバース子爵邸での夜会を退席する為、ルイスよりウィンチェスター侯爵家の馬車を借り受けた。そしてその際、〝医師アルバート〟を紹介された。
「良い精神科医を知っている。紹介するので、エヴァン・サウスウェル卿について相談してみてはいかがか」――と。
アナベルは、最初はその申し出を断ろうとした。
馬車を借りる以上の迷惑をかけられないというのもあったし、エヴァンのアメリアに対する感情が精神的な病であるとは考えてもみなかったからだ。
けれど最終的には、ルイスの強い推薦もあって受け入れることにした。
理由はいろいろだが、何よりこの現状を打破できる可能性が少しでもあるのなら試してみたいと思ったからだ。
そういう訳で今、アナベルは先週ルイスと交わしたした約束通り、医師アルバートが住むと言うタウンハウスに向かっているのである。
ルイスと交わした約束の時間は午後三時。時間通りに着けそうだ。
アナベルはそんなことを考えながら、馬車の外の景色を眺めていた。
王都はいつだって美しい。
レンガ調の整った街並みはそれだけで芸術さながらで、街行く人々の顔は活気に満ち溢れている。
授業を終えた子供たちの笑い声が響き渡り、貴婦人たちは日傘片手に談笑していた。
少しばかり高級な飲食店では、遅い昼食を取る年若い準貴族らの姿もある。彼らは各々数人で集まり、気兼ねなく会話を楽しんでいるようだった。
アナベルはそんな街の様子を眺めながら、三日前に届いたエヴァンの手紙の内容を思い出す。
エヴァンからの手紙には、ただただ自分への謝罪が書き連ねられていた。
その文面からは、彼が心の底から自分の行動を悔いていることが伝わってきた。
「君の立場も考えず一人で帰ってしまって申し訳なかった。反省している。謹慎が解けたら真っ先に君に会いに行く。直接謝罪させてほしい」――そんなような内容が、便せん三枚に渡って書かれていた。
だがそれは決して彼女の求めている答えではなかった。
そもそもアナベルは、エヴァンへ宛てた手紙に一言たりとも責める言葉は使っていないのだ。
それはエヴァンのアメリアへの気持ちを責めるつもりがなかったからであるし、エヴァンを責めても自分の得になることは何一つないと考えていたからだった。
けれどエヴァンから送られてきた手紙の内容は、まるで自分がエヴァンを責め立てた後のような……そしてそれに対する謝罪文のようなものだった。
つまり、エヴァンは知ってしまったということだ。
アナベルがサミュエルの馬車には乗らなかったことを、彼女が夜会を途中で退席したことを。
――ああ、もし私が泣いたことまで知られてしまっているとしたら……。
アナベルは心を悩ませる。
確かに、クレアが直接手紙を届けると言いだしたときは何かがおかしいと思ったのだ。
だがそのときのアナベルには、クレアの言動の理由を確かめる余裕すらなくて。
――でも、クレアを責めることはできないわ。
主人の行動を外部に漏らしてしまったでクレアの行動は問題だが、それは自分を思ってくれたからこその行動である。
それに、それによってエヴァンが少しでも心を改めようと思うきっかけになったのなら、それはエヴァンにとっては悪いことではないのだろう、と。
それでもやはり、エヴァンの返事がアナベルの求めるものと違うことに変わりはないのだが。
「……来週、ね」
彼女の口から不満げな声が漏れ出る。
追加で二週間の謹慎を言い渡されたエヴァンは、今日から更に一週間が過ぎて謹慎が明け次第、会いに来ると言っていた。
「直接謝罪がしたいから」――と。
けれど今のアナベルにとって、それは憂鬱の材料でしかない。
いつもの彼女であれば、エヴァンに会うのことが楽しみで仕方がない筈なのに。
“愛されていない”とわかっていても、心待ちにしていた筈なのに。
エヴァンの唯一の“異性の幼馴染”としての立場でいられることだけで、本当に十分であったのに。
今は心のどこかで会いたくないと思ってしまう自分がいる。
エヴァンの謝罪を受け入れたくないと思ってしまう。
これ以上、エヴァンに笑顔を向けていられる自信がない……と。
街の穏やかな景色をぼんやりと眺めながら、彼女はただ思い悩む。
そんなときだ。突然クレアが問いかけてきた。
「あの……お嬢様。今さらとは思いますが、本当に行き先を告げずに出てきてしまってよろしかったのでしょうか。せめてサミュエル様にだけでもお話しされた方がよかったのでは?」
その声に、アナベルは思考を現実に引き戻す。
そう――クレアの言葉通り、アナベルは外出先を誰にも告げていなかった。
彼女は家の者に「王立図書館に行ってくる」と嘘を告げ出てきたのだ。
王立図書館までは家の馬車で送り届けてもらい、帰りは辻馬車を使うと言って屋敷の馬車は返してしまった。
その後今乗っているこの辻馬車に乗り換え、ここまでやってきたのである。
それもこれも、自分がエヴァンについて悩んでいることを周りに悟られないようにする為。
つまり、本当の行き先など言えるわけがない。
「いいのよ。お兄様に話したりしたら、どうしてそんなところに行くんだって問われてしまうわ。それにまだ私はエヴァンが病気だと思っているわけじゃないのよ。……今日の訪問はただ、ちょっとした相談のため。あくまで私のためなのよ」
「……確かに、そうでございますね」
「それにお礼を言わなきゃいけない相手もいるの。この前とてもお世話になったから」
アナベルが微笑むと、クレアは「ああ」と声を上げる。
「だから贈り物をご用意されたのですね」
クレアのその言葉通り、アナベルの膝には紺色の化粧箱がある。
「そのロゴはデンツでございますね。革手袋でしょうか」
「そうよ。最初は断られたのだけど、そういう訳にはいかないって言ったら、革手袋がいいって」
「そうでございましたか。にしても、王室御用達とは……」
クレアは呟いて、やや顔を曇らせる。
王室御用達ブランドの革手袋を送るような相手――それはいったい何者なのか、とでも考えているのだろう。
それに気づいたアナベルは、ふふっと声を上げて笑みを深くした。
「あなたが心配するような相手じゃないわ。ただ、出来るだけ丈夫なものを……と言っていたから、これなら間違いないと思っただけよ」
「そう……でしたか。でしたら、……ええ。喜んでいただけるといいですね」
「そうね。ありがとう」
――こうして、馬車は無事に目的地へと到着した。
アナベルはクレアと共に辻馬車を降り、左右両側の道のずっと先まで長く続く三階建てのタウンハウスのうち、一軒の白い扉の前に立つ。
そしてドアノッカーの輪を握り締めると、二度、扉をノックした。




