17.エヴァンの秘密(後編)
――そう、それがエヴァンの秘密だった。
彼には昔から、人には見えないモノが見えていた。それは道端に咲く虹色の花だったり、雪を降らせる蝶だったり、言葉を話す猫だったり――そして、人を死へと導く黒いモヤのようなものだったりした。
そういうモノが見えるせいで、幼い頃のエヴァンは随分と苦労した。周りからは、虚言壁があるのではと心無い言葉を浴びせられたりもした。
だからエヴァンは子供心に、できるだけ人と関わらないように生きようと決めたのだ。親兄弟を含めた周りの全ての者に、自分の異常さを決して悟られないように。
その悲しい決意は、身体の成長と共に少しずつ見えなくなっていく過程を経ても尚揺らぐことはなかった。
エヴァンは感情のない瞳で、ただ独り項垂れる。
これ以上打つ手がないと、全ての希望を手放して。
だがハロルドは、そんなエヴァンに寄り添うように語り掛ける。
「お言葉ですが、エヴァン様。私はあなたを少しも疑っておりません。確かに、一般的には理解しがたいことだとは思います。けれど、あなたの言葉が嘘か真実かを見極めるくらいの力は、持っているつもりです」
「…………」
「それに、私はお嬢様なら受け入れてくださると思っております。お嬢様はああいうお方ですが……根は誰よりも思慮深く繊細だ。昨夜だって、お嬢様はこう仰られたじゃありませんか。“意気地なし”――と」
「……ああ、そう言えばそうだったな」
「私は、お嬢様が気分を悪くされた理由はエヴァン様がお嬢様の提案に答えなかったからではなく、下手に誤魔化そうとしたからだとお見受けしましたが」
「……何? つまりお前は、あのとき俺が真実を伝えていれば上手くいったとでも言うのか?」
「それはわかりません。ですが、今よりはいい方向に進んでいたと思いますがね」
「…………」
実際のところハロルドは、アメリアがエヴァンの話を素直に信じるとは思っていなかった。けれど、もしかしたら……と願ってしまう自分がいるのも確かだった。
もしもアメリアがエヴァンの言葉をほんの少しでも信じてくれたら、エヴァンは救われるのではないか、と。
それに、今のエヴァンには何かしらの希望が必要に思えてならなかった。
そうでなければ、エヴァンは本当に心を閉ざしてしまうのではと、心配で心配で仕方なかった。
ハロルドは昔から、十の歳が離れたエヴァンを実の弟のように可愛がってきた。
自分の後ろについて回るエヴァンはとても愛らしく、“こんな弟がいたら可愛いだろうな”と毎日のように考えていた。
自分の膝の上に座っては“ご本を読んで”とせがむ無邪気な笑顔も、鳥のヒナを狙うヘビに立ち向かおうとする小さな背中も、ハロルドにとっては全てが愛しく守るべき対象だった。
そんな日々から十年以上が経った今となってはそれも怪しいところだが、幼い頃のエヴァンは愛らしく利発な少年であったから、そんなエヴァンを可愛く思わない理由がなかった。
だがあるときを境に、エヴァンは変わってしまった。
誰にでも人懐っこく笑顔の絶えなかった彼が、あからさまに人を遠ざけるようになった。口数は減り、家族にさえも他人行儀な態度をとるようになった。
その理由を知るのは、ハロルドただ一人。
彼がそれを知ってしまったのは事故のようなものだったが、とにかく彼はこう思った。
“エヴァンは自分が守らなければ”――と。
彼を、そして彼の秘密を守らなければ、と。
けれどその考えは、年月が経つにつれ変わりつつある。
ひたすらに頑なになるばかりのエヴァンを見続けてきたハロルドは、アメリアの婚約をきっかけに考えを改め始めていた。
このままではエヴァンにとって良いことなど一つもないと――隠し続けるばかりでは、エヴァンの孤独をよりいっそう深めてしまうだけなのではと。
確かにこうやって逃げ続けていれば、最悪の事態は免れるかもしれない。“異端者だ、悪魔だ”――と糾弾されることはないだろう。
けれど、それではエヴァンの心は救われない。
現に、自分ではエヴァンを救えない。
エヴァンの秘密を共有する相手として、自分では不十分なのだ――そういう時期が来たのだと、ハロルドは思い始めていた。
そして、エヴァンにとってのその相手はアメリアなのだろうとわかっていた。エヴァンがどうしてここまでアメリアを特別視するのかはわからないが、エヴァンがアメリアに執着しているのは明らかだ。
とは言え、アメリアは実の妹だ。いずれ家を出ていく身である。
そうであるから、ハロルドはエヴァンにとってのその相手は、婚約者のアナベルであればいいのにと思っていた。
アナベルはエヴァンを愛してくれている。きっとエヴァンの秘密を受け入れてくれる。
彼はそう確信していた。
だから彼は、懐から一通の手紙を取り出す。
黙り込むエヴァンの前に、手紙をそっと差し出した。
「これは?」
差出人も宛名もないその手紙に、エヴァンは眉をひそめる。
「アナベル嬢からでございます。今朝がた早く、ミス・クレア・キャンベルから私が直接受け取りました」
ミス・クレア・キャンベルとは、アナベルの侍女クレアのことである。
「クレアが直接? どういうことだ」
「理由は読めばおわかりになるかと」
「…………」
ハロルドの勧めを受け、エヴァンはその場で封を切った。
そこにはアメリアが社交界を避けていた理由と、アメリアとウィリアムの間で交わされた契約内容について記されていた。




