プロローグ(中編)
ファルマス伯爵、ウィリアム・セシル――。
かつては王太子アーサーと人気を二分していたが、去年あたりからアーサーが好色家である噂が流れるやいなや、瞬く間に女性の人気ナンバーワンに躍り出た。家柄良し、顔良し、性格良し――しかも婚約者がいまだ未定となれば、当然の結果とも言える。
つまり、ウィリアムはモテる。信じられないくらいモテる。夜会に行けば黙っていても女性が群がるし、見合いの釣書は毎日のように届くと言う。
アナベルはウィリアムを遠目でしか見たことはないが、確かに噂通り表情も物腰も柔らかで、男女貴賤の区別なく使用人にまで親切に接している様子を見て、本当に良く出来た人物だと感心したものだ。
――そんな今をときめく貴公子が、どうして彼女と婚約などと……。
アナベルはエヴァンの前にも関わらず、あまりにも不可解な状況に首をひねった。
こう言っては悪いが、エヴァンの妹アメリアは悪名高いことで有名なのだ。
夜会では話しかけれても無視を決め込み、ダンスを申し込まれても冷たくあしらう。他の令嬢のドレスにワインをわざとぶちまけ泣かせたり、給仕には無理難題を押し付ける。
エヴァンは事実無根だと否定しているが、屋敷の使用人を虐め倒し自死にまで追い込んだという噂まである。
つまり、ウィリアムからすれば絶対に相容れない筈の相手なのだ。
「……あの、冗談ですわよね? いつものエヴァンの妄想でしょう? そうよね?」
だからアナベルは、失礼なことを口にしている自覚もないまま身を乗り出してエヴァンを問い詰めた。
「何だと? いつもの妄想とはどういう意味だ」
「だって、アメリア様って……ちょっと、ほら……」
はっきりとは言えないが、かなりの問題児ではないか――。
アナベルはそう言ってしまいそうになる。
すると鈍感なエヴァンもさすがにアナベルの気持ちを察したのだろう。右手を上げて言葉を遮った。
「もういい、それ以上言うな。俺だって君の言いたいことは理解しているつもりだ。確かにここ数年のあいつはおかしい。兄である俺から見たって身に余る行動ばかりだからな。まったく、何を考えているのやら」
「…………」
――ああ、エヴァン。あなたも一応わかってはいたのね。
アナベルはエヴァンの冷静かつ客観的な言葉に、一先ず安堵感を覚えた。が、だからと言ってこの疑問が晴れる筈もない。
「ねぇエヴァン。最初から詳しく話してちょうだい。どうしてファルマス伯爵とアメリア様が婚約するに至ったのか……」
アナベルは尋ねる。するとようやく、エヴァンは婚約に至るまでの顛末を語り始めた。
*
今より一ヵ月程前のこと。
ある日何の前触れもなく、ウィンチェスター侯爵からエヴァンの父であるサウスウェル伯爵、リチャードに手紙が届けられた。そこには、我が侯爵家の息子ウィリアムと、そちらのアメリア嬢を見合いさせたい、というようなことが書かれていた。
その内容に、リチャードはとても驚いた。ウィンチェスター侯爵家とサウスウェル伯爵家には何の繋がりもなかったからだ。
だからリチャードはまず娘アメリアを呼び出し、ファルマス伯爵と懇意にしているのかと問いただした。
しかし答えはもちろんノーだった。その上アメリアはこう答えた。「この婚約は断ってほしい」――と。
だが相手は侯爵家だ。それも相手はあのファルマス伯爵。棚から牡丹餅どころの話ではない。
それにここ数年のアメリアの社交界での行動は目に余るものがあり、このままでは結婚など到底無理な話。
リチャードはそれを悟っていたため、「断ることは許さない」という結論を出したのだった。
*
「俺も父上には抗議したんだ。アメリアに侯爵家の夫人など務まるわけがないと。けれど父上は、それでもこちらからは断れないと……」
エヴァンは暗い表情でぽつりぽつりと告げる。
「だから今度はアメリアに忠告した。お前には分不相応だ、身の程を弁えろ……とな」
「そんな言い方をなさったのですか?」
アナベルが思わず口を挟めば、エヴァンは顔を真っ赤にさせる。
「仕方がないだろう、事実なのだから! 俺はあいつの兄だ、現実をわからせてやる責任がある!」
「…………」
――ああ……。
アナベルはこのエヴァンの言葉に、今さらながら重大な事実を思い出した。
エヴァンはアメリアを深く愛しているが、当の本人はアメリアから毛嫌いされているのだ。エヴァンはここ数年にわたって、アメリアから話しかけられたことは一度もないと言う。
まあ、それもこれも全部、エヴァンの自業自得なのだが……。
「まぁいいでしょう。……それで、お見合いはどうなったのですか?」
「あ……ああ。あいつはファルマス伯を個人的にお茶会に招待していた。そうして伯爵が帰ったあと、俺はあいつに尋ねた。縁談はちゃんと断ったのか、と。そしたら、そうだと答えたから、この話はそれで終わったものだとばかり思っていたのに……」
その時のことが思い出されるのか、エヴァンの顔が歪んでいく。
「しばらくして、侯爵から父上宛にまた手紙が届いたんだ。それはアメリアへの正式な婚約申込書だった。これにはあいつも驚いた様子で、その日は一日中部屋から出てこなかったほどだ。――そして昨夜、俺が君と夜会に出掛けたその後のことだ。父上と母上が招待されていたスペンサー侯爵家主催の夜会に、アメリアが急に着いていくと言い出したらしい。そしてその夜会にて同じく招待されていたファルマス伯爵より結婚を申し込まれ……あいつはその場で承諾したと」
エヴァンはそこまで語り切ると、その整った顔に深い苦悶の表情を浮かべる。
「なるほど。それであなたは今朝その事実を知って、こうやってわたくしの元に駆け込んで来た……と」
「ああ。そういうことだ」
エヴァンが頷けば、アナベルはようやく話が繋がった、と息を吐く。
そうして再び考え込んだ。この不可解すぎる婚約に。
「にしても……確かにこれは色々と妙ですわね」
断った筈の婚約を強行してきたファルマス伯爵の行動も。そして、ここしばらくずっと社交を避けていたアメリアが急に夜会に参席したことも。それに何より、ひと目の多い夜会で求婚など、普通なら考えられることではない。
「な? どう考えてもおかしいだろう? 大体、ファルマス伯爵ほどの男がアメリアに縁談を申し込むこと自体があり得ないんだ。もっと相応しい令嬢が数多いるだろうに、どうしてよりにもよってアメリアなんだ」




