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16.エヴァンの秘密(前編)


 ――翌日。


 朝食の時刻にも関わらず、エヴァンはベッドの中に居た。

 彼はいつもの時間になってもダイニングに姿を現さず――それを不信に思ったハロルドが部屋を訪れたことにも気づかずに、眠り続けていた。



「――う……うぅ、……アメ……リア」


 エヴァンは酷くうなされていた。

 よほど夢見が悪いのだろう。彼は酷く顔をしかめ、呻き声を上げながら、アメリアの名を何度も呼び続けていた。


 ハロルドはそんなエヴァンを、ベッドの脇から見下ろし鋭く目を細める。

 何か思うところがあるのか、うなされつづけるエヴァンを起こすことなく、その様子を観察し続けた。


 もともとエヴァンは寝起きが悪い方ではない。むしろいい方で、彼は昔からずっと、使用人が起こしにくる頃には朝の支度を終えていた。

 普通ならネクタイは侍女や従僕に締めさせるものだが、それさえも自分でやってしまうので使用人の仕事がなくなる程だった。


 だから彼には専属の従者がいない。

 外出の際は体裁を気にして従者を連れるが、それは決まった者ではなくその時々、つまり日替わりであり、部屋の掃除やお茶の支度はメイドにさせても、それ以外のことでは部屋に人を入れようとしないのである。


 そんなエヴァンだから、寝坊するというのは実に珍しいことだった。

 

「――エヴァン様」


 ハロルドはうなされ続けるエヴァンの額に手を添えて、とりあえず熱はないことを確認してから、ようやく彼の身体を揺り動かす。


「朝ですよ、エヴァン様」


 彼はエヴァンの肩を容赦なく揺さぶる。

 すると、エヴァンの瞼がピクリと動いた。


「エヴァン様、朝です」

「――ッ」


 次の瞬間、エヴァンは文字通り飛び起きた。


「おはようございます、エヴァン様」

「~~ッ、なぜお前がここにいる」


 ハロルドが平然と朝の挨拶をすれば、エヴァンはわなわなと肩を震わせさっそく彼に毒づいた。

 よもや自分が寝坊したなどとは思ってもみない様子である。


「なぜって……そんなの決まっています。エヴァン様がお寝坊なさったからですよ」

「寝坊だと!? この俺が……!?」


 そんなわけあるかと言いながら、エヴァンは部屋の時計に視線を向けた。すると確かに、時刻は九時半を回っている。いつもより二時間も遅い時間だ。


「――な、なんでこんな時間なんだ! 時計が壊れているんじゃないのか!?」


 動揺のあまりおかしなことを口にしてしまう。

 けれどハロルドはエヴァンの戯言(たわごと)を気にも留めず、淡々と要件を告げた。


「朝食はどうされます? こちらにお運びしましょうか」

「……いや、いい」

「では、湯にでも浸かられますか?」

「…………」

「旦那様よりエヴァン様を書斎に呼ぶよう言付かっておりまして。けれどさすがにそのままでは……。身なりを整えられた方がよいかと思いますが」


 ハロルドは、エヴァンの乱れた髪とシワになったシャツに冷ややかな視線を向ける。

 それはまさしく昨夜の夜会の装いそのままの姿であり、着替えもせず眠ったことが丸わかりだ。

 整髪料さえ落とさなかったようで、その清潔感のない姿は紳士として失格である。


「呼び出しか。……昨夜の件か?」

「ええ、恐らくは」

「……そうか」


 “昨夜の件”――つまり、エヴァンがアメリアと接触したことについて話があるということだろう。


「父上はお怒りだろうが……アメリアの様子はどうだった。いつもと何か違いは……」


 エヴァンの問いかけに、ハロルドは朝食でのアメリアの様子を思い起こす。


「旦那様はともかくとして、お嬢様はいつも通りのご様子でした。ただ淡々と、昨夜のことを報告なさっておいででした」

「……ハッ、こんな状況でもあいつはぶれないな。――それで? あいつはどこまで報告したんだ」

「どこまで……と言うか、エヴァン様より“婚約の撤回”を迫られた……とだけ」

「何? それだけか?」

「ええ、それだけです」

「…………」


 エヴァンは考え込む。

 アメリアの報告内容は明らかに過小すぎる。自分はアメリアをソファに押し倒し、手首に痣まで作ったのだ。昨夜アメリアの部屋を去り際に、アメリアの両腕に赤い痕がついているのを、エヴァンは確かに確認していた。


 まして、昨夜の交渉は決裂しだのだから。


 “婚約の相手がウィリアムであってはならない理由を答えることを条件に、仲直りをする”――というアメリアの申し出は、エヴァンが断った為に成し遂げられず終わってしまった。


「……俺に貸しでも作った気か」


 エヴァンの表情が曇る。

 最初から罰を受ける気でいた彼からすれば、アメリアの報告内容は自分への侮辱とも受け取れた。

 だが、ハロルドはそれを否定する。


「私はそうは思いません。きっとお嬢様は、昨夜お二人の間で交わされたやり取り自体をなかったことにしたいのでしょう。あなたは昨夜私に仰いましたよね。お嬢様には愛した男性がいらっしゃったと。お嬢様はそのことを、旦那様や他の誰にも知られたくないのだと思います」

「…………」


 エヴァンは再び考え込む。

 成程そういうことならば納得がいく。


「にしても、どうしてお嬢様の提案に乗って差し上げなかったのですか。確かにあなたにとって難しい条件だったことはわかります。ですがせっかくお嬢様の方から歩み寄ってくださったのに」


 ハロルドは昨夜のことを思い出す。


 “相手がウィリアムでは駄目な理由を教えれば、仲直りする”――とのアメリアの提案を、即座に断ったエヴァンのことを。

 その答えに、明らかに気分を害したアメリアの顔を。


 だがエヴァンは、諭すようなハロルドの声に表情を険しくした。


「黙れハロルド! お前は俺を病院送りにしたいのか!? “あの男はじきに死ぬ、だからやめろ”と言ったところで、いったい誰が信じると思う!?」


 エヴァンは声を荒げ、ハロルドを睨みつける。


「人の死を予言するなど、頭のおかしい奴だと思われてお終いだ! それとも何か、お前なら俺の言葉をあいつに信じさせることができるとでも!?」

「……それは」


 言葉を呑み込むハロルドの視線の先で――エヴァンの青い瞳が暗く陰る。

 深い闇に囚われたように、エヴァンの顔から表情が消えていく。


「……わかってるんだ。実際、俺の頭はおかしいんだろう。それに、あの男が死ぬとわかったとして、それがいつのことなのか……どうやって死ぬのかはわからない。ただ分かる(・・・・・)と言うだけで、何の根拠もないんだぞ。もしかしたら本当にただの幻想なのかもしれない。むしろ……幻想であってくれればと思う。……だが俺には確かに見える(・・・)んだ。あの男には何かある。そんな男の元に、アメリアをやるわけにはいかないだろう」

「……エヴァン様」


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