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14.婚約の理由(後編)


 エヴァンは思わずそう言いかけた。

 けれど、今それを言えば余計に(こじ)れることは目に見えている。

 だからエヴァンはどうにか自身の苛立ちを(なだ)めようとした。


 けれどアメリアは容赦しない。

 彼女は見動きを封じられた状況にも関わらず、ここぞとばかりに食ってかかる。


「私だって最初は婚約なんてする気なかったわよ。でもお父様もお母様もそれを望んでる。ハンナだって、私とウィリアムの婚約が上手くいくよう応援してくれたわ。それにお兄様は私にこう言っていたじゃない。“お前を貰ってくれる男などいない。もしそんな男が現れたなら、三つ指ついてでも捕まえておけ”って。忘れたとは言わせないわよ」

「――ッ」


 ――ああ、そうだ。確かに言った。だがそれは……その言葉の本当の意味は……。


「私はね、本当に結婚する気はなかったの。あの人との思い出を大切に胸にしまって、一人で生きていくつもりだった。あの人以外の男に――この心も、身体も……魂も……髪のひと房だって渡すつもりはなかったのよ。だからずっと、誰からも好かれないように振る舞ってきたんじゃない」

「……何だと?」


 エヴァンは眉をひそめる。


 彼は確かに昔アメリアに言った。“お前を貰ってくれる男などいない”――と。

 だがそれは本心ではなかったし、そもそもエヴァンがアメリアにそう言った原因は、社交界でのアメリアの評判を(うれ)えたことにある。


 彼はアメリアの“社交界一の悪女”という評判を本人に自覚させ、少しでも自分の行動を(かえり)みて欲しいと、そう願っていただけだった。


 だが、エヴァンはそれが誤りであると知ってしまった。

 アメリアの社交界での無礼極まりない言動は、ウィリアムの言った通り、あえてそう振舞っていたものだったのだと。“死んだ恋人以外の男とどうあっても結婚したくなかったが故に、悪女の振りをしていた”のだと。


 ――ああ、そうか。そうだったのか……。


 その理由を知ったエヴァンは、自分がどこかほっとしていることに気が付いた。罪悪感がほんの少しだけ消えた気がした。

 なぜなら彼は、アメリアがこうなってしまった原因は全て自分にあるのだと、昔から思い込んできたのだから。


 だがそれでも、アメリアの“悪女たる理由”が“結婚を避ける為”というのは、到底納得出来ないことも事実だった。


 だからエヴァンは問う。「本当にそんな理由で、今まで問題ばかり起こしていのか」――と。


 するとアメリアは、エヴァンに明らかな敵意を向けた。


「そんな理由ですって?」

「ああ。だってそうだろう? お前のその態度のせいで、父上や母上がどれだけ迷惑をこうむったと思ってる。お前にワインをかけられたことが原因で、ふさぎ込んでしまった令嬢だっているんだぞ」

「それは説明したでしょう、悪いのは向こうよ。――でも確かに……家の名誉を貶めたことは悪かったと思ってる。……反省してるわ。だからせめてこうやって、望まれる結婚くらいしてやろうと思ったんじゃない。それなのに、何よ今さら」


 そう言って、恨めしそうな目つきでエヴァンを睨む青い瞳。

 自分を拒絶し、蔑むような妹の歪んだ目つき――それが、エヴァンの心を搔き乱す。


 ――ああ……確かにアメリアは悪女などではなかった。ウィリアムの言葉は正しかったのだ、と。


 俺はアメリアのことを何一つわかっていなかった。

 婚約を望まない理由が、まさか真に愛した男の為だなんて想像もしなかった。アメリアがそんな風に考えていただなんて、知ろうともしなかった。


「……アメリア、俺は――」


 エヴァンを見つめるアメリアの瞳。エヴァンの姿を真正面から映し出す、透き通った青――その色がふと、微かに滲む。

 それは多分、涙のせいだった。


 けれどそうであると気付くまで、エヴァンは少しばかりの時間を要した。

 なぜならエヴァンの記憶の中には、アメリアが涙を見せた姿など、ただの一つもなかったのだから。


「――泣いて……いるのか?」


 エヴァンの口から、無意識に飛び出す低い声。

 それは囁くよりも、もっと微かな声だった。驚きのあまりつい口をついて出ただけの、何の意味もない言葉だった。


 だがその言葉に、アメリアは目を見張る。

 何を言っているのかと、驚きに満ちた表情で、彼女は薄く唇を開いた。


「……泣く、ですって?」


 呟きと共に、つう――と瞳から零れる一筋の涙。それは白い肌を伝い、そのまま滲んで消えていく。


 そのことに、アメリア自身が最も驚いたようだった。


「そんなこと、あるわけ……」


 自身の震える声に、彼女の瞳が大きく見開く。

 けれどそれはあまりに一瞬だった。


「見間違いでしょう」


 アメリアが次の言葉を呟いたときには、彼女の瞳に涙の痕跡(こんせき)は何ひとつなく、声もいつもどおりに戻っていた。


「……いや、そんな筈は」


 確かに今、お前は……。


 エヴァンは言いかける。

 だがすぐに口を閉ざした。


 エヴァンはに気付いてしまったのだ。

 アメリアの強がりに。自分を守る為の小さな嘘に。


 それを裏付けるように、エヴァンの掴んだアメリアの細い両腕が、小刻みに震えていた。


 ――ああ、お前でも泣くことがあるんだな。

 エヴァンはそんな風に考える。


 幼いころから、何があろうと泣き言一つ言わなかった妹アメリア。


 池に落ちたときも、エヴァンのいたずらで暗い部屋に閉じ込められたときも、街で一人はぐれ迷子になったときも、決して涙を見せることはなかったアメリア。――それなのに。

 

 そんなお前が、まさか男の為に泣くとはな。

 そんな人間らしいところが、お前にもあったのか、と。


 そう思った瞬間、急に愛しさが込み上げてくる。

 今までもアメリアのことは家族として――妹として愛していたエヴァンだったが、その感情がより一層はっきりと、心の奥に沸き上がった。


 今まで一度だって面と向かって表現したことのないアメリアへの親愛を、真っ直ぐに伝えてみたいと――そう思った。


 拒絶されると知りながら。

 気味悪がられることはあっても、喜ばれることはないと知りながら――。


 けれどそれでも、ここで気持ちを伝えておかなければこの先一生不仲な関係が続いてしまう。

 それだけは避けたかった。


 だから彼は決意する。

 張り裂けんばかりに鳴り響く心臓の鼓動を聞きながら、アメリアを見据え――口を開いた。


「お前に……伝えたいことがある」


 エヴァンは決死の覚悟で告げる。


 アメリアの、これ以上面倒ごとはごめんだと言いたげな視線に少しも(ひる)むことなく、生まれて初めて、素直な気持ちを口にする。

 

「今まですまなかった。俺はお前のことを何一つ知らなかったし、知ろうともしなかった。酷い態度を取っていたことも謝る。だがこれだけは信じてほしい。俺はお前のことを大切に想ってる。一度だってお前を嫌ったり疎ましく思ったことはない。俺はたった一人の妹のお前を、昔からずっと、本当に大事に想ってきたんだ」

「――な、……ん」


 だが、エヴァンの言葉はあまりにも唐突過ぎたのだろう。


 アメリアは身体を硬直させ、ただあ然とする。

 それでもエヴァンは、言葉を止めない。


「俺はお前を心から愛している。それだけはどうか、わかってくれ」


 彼は真正面からアメリアを見つめ――真剣すぎる表情で、その本心を打ち明けた。


 だが――その時だ。


「そこまでです」――と低い声が聞こえると同時に、部屋の扉がまるで蹴破られたかの勢いで開いた。


 次の瞬間には部屋の中を疾風が駆け抜け、エヴァンの身体を一瞬でアメリアから引きはがす。

 エヴァンはその勢いで、そのまま床に転がり落ちた。


 床に頭を打ち付けたエヴァンは痛みに呻く。


「……な、……何事だ」


 彼はどうにか上半身を持ち上げ、頭上を見上げる。


「……っ、お前……」


 するとそこに立っていたのは、自分を憐れむような瞳で見下ろす、騎士ハロルドの姿だった。


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