13.婚約の理由(前編)
「な……どうしてだ。俺は……お前の為に」
「私のためですって? ――ええそうね、お兄様の言うように、私だってできることならそうしたいわよ。でも無理なの。どうしてか教えて差しあげましょうか」
その瞳に揺れるのは怒りか、哀しみか――あるいは憎悪か。
けれど、ここで頷かないわけにはいかない。
エヴァンは無言のまま、肯定の意を込めてアメリアを見つめ返した。
するとアメリアは、再びその瞳に憐みを募らせる。
「死んだからよ」
そうして告げられたその一言。それは、エヴァンの想像を絶するものだった。
「……な、……に? ――死んだ?」
「ええそうよ。でも別にお兄様が気にすることじゃないわ。もうずいぶん前のことだし……一緒に悲しんで貰いたいとも思わない」
それは迷いのない言葉。そこに嘘は感じられない。
「私、ウィリアムにはちゃんと伝えたのよ? 彼が死んでるってこと。でもお兄様のことだから、話を最後まで聞かなかったのね。勝手に早とちりして、こんな風にお父様の言いつけまで破って……本当に可哀そうな人」
「……ッ」
「私、ずっと考えてたの。この家を出て市井に下るか、修道院に入るか。お兄様に以前お伝えした通り、誰とも結婚するつもりはなかったから。――でもそんなとき、ウィリアムからの縁談が舞い込んだ。本当に驚いたわ。だって私は悪女よ? 自分で言うのもおかしいけれど、どうしてあんなに評判のいい方がよりによって私なんかに……」
何も言えずにいるエヴァンに、アメリアは続ける。
エヴァンから視線を反らし、どこか遠くを見つめながら――。
「もちろん最初は断るつもりでいたわ。でも気が変わったの。彼、私に約束してくれたのよ」
「約束……だと?」
――それはいったいどんな約束だ。
心の傷を癒してやる? 昔の男など忘れさせてやる? あるいは、君を残して死んだりしない……とでも言われたか?
エヴァンは考える。けれど、その答えはどれも外れていた。
「あの人、絶対に私を愛さないって。そう約束してくれたのよ」
「……は?」
――何だ、それは。
結婚相手を愛さない……とはどういう意味だ。その約束にいったいどんな意味がある。
エヴァンは混乱した。アメリアの言葉の意味が分からずに。
「愛さない、だと……? なぜ……なぜそんな約束をする必要がある? お前は何を考えている!?」
エヴァンにはどうしてもわからなかった。
それに、先刻の夜会でウィリアムは言ったのだ。“アメリアに興味を持っている”――と。
それはアメリアとの約束を破っていることにならないのか?
――いや、違う。きっとこれはそんな意味ではない。愛さないという言葉には、きっともっと別の意味が……。
「……っ」
エヴァンは何が何だかわからなかった。
今日一日であまりにも多くの情報を知り過ぎて、けれどそのどれもが自分の感情を逆なでするようなものばかりで、冷静でいられなかった。
「言え、アメリア! お前もあの男も、いったい何を考えている! なぜ自分を愛さない男と結婚しようとする! お前はそれでいいのか!? それでお前は幸せになれるのか!?」
そう、それだけだった。
エヴァンが本当にアメリアに望む臨むことは、彼女が幸せになることだった。昔から、エヴァンの願いはそれ一つだった。
いつだって無表情で、家族にさえめったに笑顔を見せない妹。
だからせめて、結婚相手は彼女を心から愛してくれる男でなければと考えていた。彼女を笑顔に出来る相手でなければ……そうでなければ意味がないと、でなければ結婚などせずともよいと思っていた。
――それなのに。
怒りに支配されたエヴァンの右腕が、アメリアへと伸びる。驚くアメリアの身体をソファへ押し倒し、そのまま上に覆いかぶさる。
一瞬のことに、アメリアは声を上げることすら叶わない。
「自暴自棄になったのか? 愛する男が死に、生きることが辛くなったか? ならばいっそ家の為に結婚してやろうとでも思ったか? 父上の為か? 母上の為か? それとも、この家から一刻も早く出たくなったのか……? この俺の存在が、それほどまでに……疎ましいか?」
エヴァンは訴える。
遠回しな表現も、まどろっこしい言い方も、自分の気持ちを取り繕うことも苦手な彼には、これしか手段が残っていなかった。
いくら冷静であろうとしても、慎重であろうとしても伝わらないというなら、これ以上どうしたらいいのか。――彼にはそれがわからなかった。
「俺のことが嫌いなら、嫌いだと言ってくれ。俺と離れたいのなら、お前じゃなく俺がここから出て行けばいい。――だからあの男との婚約はやめるんだ。結婚などせず、ずっとここにいればいい。市井になど下らずとも、修道院に入らずとも……ここで暮らせばいいだろう?」
そう言って彼はアメリアを見下ろす。切なげに瞳を揺らし、悔し気に顔を歪ませて――。
けれどアメリアがエヴァンの望む言葉を返すことはなかった。
「そう……お兄様の考えはわかったわ。けど、私はもう決めたのよ。誰が何と言おうと、ウィリアムとの婚約を撤回するつもりはないわ」
彼女は冷たくそう告げて、両手でエヴァンの胸板を押し返す。
だがエヴァンは引き下がらない。
アメリアとの接触を禁止されている今、こうして言葉を交わせるチャンスはそうそう訪れないと理解していたからだ。
だからエヴァンは、抵抗するアメリアの腕を掴み動きを封じ込める。
「駄目だ、婚約は撤回しろ。あの男はお前のことを好いてなどいない。都合のいい相手なら誰だって良かったんだ。わかるだろう?」
「それはさっき説明したわ。私とウィリアムは利害が一致したから婚約したの。愛なんて最初から必要ないしこれからだってそう。それの何がいけないの。むしろ貴族の結婚なんてそれが当然よ。そうでしょう?」
「だとしても、あの男だけはやめておけ」
「どうしてよ」
「どうしてもだ」
「それじゃあ全然わからないわ!」
アメリアは声を張り上げる。
それは彼女にしては珍しい、感情を露わにした声だった。
「理由があるならはっきり言って。お兄様の話はいつだって曖昧なのよ。そんなんじゃ、私の心は動かされない」
「――っ」
アメリアは再びエヴァンを睨みつける。
「お兄様はいつもそう。肝心なことは何も言わないで、どうして私が従うと思うの?」
「……それは」
エヴァンは狼狽える。
確かにアメリアの言う通りだ。今までのエヴァンのアメリアへの接し方は、誰が見たって問題だらけだった。
だが、それはお互い様ではないのか? お前だって、俺が話しかけたところで相槌一つ返さなかったじゃないか。