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10.ルイスの提案


 泣き崩れる私の背を、ルイスはずっとさすってくれた。私はそんな彼の優しさに甘え、エヴァンへの不満をぶちまけた。


 ずっと心の中に秘めていた、エヴァンへの不満を。エヴァンが婚約者の私よりも、妹のアメリア様を気にかけていることへの辛さを。

 けれどそれでも尚、彼を愛する気持ちを消せない……どうしても諦めきれない苦しい気持ちを、心のままに。


 ルイスはそれを、黙って聞いてくれていた。否定も肯定もせず、でも私の背をさするその手のひらには、この辛い気持ちを全て受け止めてくれているような……そんな温かさがあった。


 蝋燭の灯りだけの薄暗い部屋で、私たち二人きり。

 それは未婚の……しかも婚約者のいる私には決して許されない状況だったけれど、それでも私は、彼に――ルイスに、どうしようもない安心感を感じていた。


「どうです? 落ち着きましたか?」


 それは、どれくらい時間が経った頃だろうか――。

 

 囁くように、彼が尋ねる。

 私がその優しい声に頷くと、彼は今度こそ私をテーブルへとエスコートしてくれた。


 私を椅子に座らせて、ルイスは側にあったティーワゴンでお茶を注ぐ。


「冷めてしまっておりますが……」と困ったように微笑む彼の瞳には、私に対する憐みや同情の色はない。

 彼はただ落ち着き払った様子で――それが彼の仕事であるように――優雅にお茶を注ぐのだ。


 私はそんな彼の所作をぼんやりと見つめ……なんて洗練された動きなのだろうと思った。

 きっと彼は普段からこうやってお茶を入れているのだ。彼がウィリアムの付き人だと言うのは本当だったのだ。

 

「あの……申し訳ありません。お恥ずかしいですわ。わたくしったら……」


 さんざん泣き喚いておいて今さらだが、恥ずかしすぎてルイスの顔を見られない。


「わたくし、もう大丈夫ですから。そろそろ伯爵の元にお戻りになられた方が――」


 それに、ルイスはウィリアムの付き人なのだ。

 それをこんな風に足止めしてしまってはいけない。いくら彼が人の多い場所が苦手といったって、単独行動が許される時間は限られているだろうから。


 けれどルイスは、私の言葉を遮るようなタイミングで、テーブルにカップを置いた。


「ご配慮いただきありがとうございます。――けれどご心配には及びません。ウィリアム様からは自由にしていいとお許しをいただいておりますし……こんな状態のレディを放ってはおけませんから」


 そう言って微笑むルイス。

 彼は続ける。


「ところで、一つ提案があるのですが」

「……え? 提案、ですか?」


 私は困惑する。その言葉の意味がわからずに。


「はい。今のあなたをお助けできるかもしれない、提案です」


 ルイスは笑みを深くする。

 けれど私は答えることができなかった。私を助ける提案……それが何であるのか、全く見当がつかなかった。

 

「あなたは先ほど仰られましたね。こんな姿を兄には見せられない――と」

「……え、ええ」


 確かに言った。

 あまりのショックに何をどう話したかは覚えていないけれど……私は先ほどルイスに、今日ここに来た目的まで洗いざらい話してしまったのだ。

 私たちの目的が、〝ウィリアムとアメリアの婚約の真相を聞き出すため〟だと言うことを。そして、〝エヴァンがアメリアを愛しているのでは〟という私の不安も。


 そしてそんなエヴァンの私への態度を、兄サミュエルが快く思っていないことも……。


 その話はルイスにとってきっと、寝耳に水だったことだろう。まさか主人の婚約の障害が、アメリア様の実の兄だと知って驚愕したに違いない。


 けれどルイスは、その事実を知っても動揺する素振りは見せなかった。

 それどころか彼は今こうやって、気の動転した私を慰め助けてくれようとしている。

 それは何とありがたく、心強いことだろうか。


 唇をかみしめる私に、ルイスは告げる。

 それは、およそ信じられない内容だった。


「その姿ではあなたは会場には戻れない。……ですから、こうしては如何(いかが)でしょう。あなたもエヴァン・サウスウェル卿と共に夜会を途中退席した、ということにされては」

「え……?」

「あなたの兄君には、私から上手く言付けておきます。あなたは今すぐにでもお帰りになられるのが最良かと」

「……で、でも」


 確かに、帰れるものなら帰りたい。

 でも、今の私には足がない。


 そんな私の考えを見越したのか、ルイスは唇の端を上げる。

「馬車なら心配いりません。侯爵家の馬車をお貸しいたしますから」――と、そう言って。


 その言葉に、私は一瞬放心する。

 そんなことをしたら、彼らの帰る手段が無くなってしまうではないか。そう思った。


「……そ、そんな。そこまで……していただくのは」


 それにいくら女性が困っているとはいえ、知り合ったばかりの相手に馬車を貸すなど普通なら考えられない。相乗りならまだわかるが、今のルイスの言葉は間違いなく、私一人で乗って帰ればいいと――そう言っているようにしか聞こえなかった。


 返事ができずにいる私を、ルイスの瞳がじっと見つめる。

 その目は本気だった。――彼は、続ける。


「問題ございません。今すぐ立てば散会の時間には戻って来られるでしょう。侯爵家の御者ぎょしゃは腕がいいですから。それに万が一間に合わずともこちらは男二人。辻馬車でも捕まえれば済むことですよ」

「――っ」


 ルイスの黒い瞳の奥で、蝋燭の淡い光が細く揺らめく。

 その美しい色にほだされそうになりながら、それでも私は首を振った。


「いいえ……やはり結構です。今の話は聞かなかったことにしますわ。伯爵を辻馬車に乗せるだなんて……もしもそんなことになったら、あなたが罰を受けますもの」

「……罰?」


 私の言葉に、「ハッ」と声を上げるルイス。その口角が、微かに歪んだ。


「あの方を見くびらないでいただきたい。ウィリアム様は決してその様なことはなさりません。あの方の噂を、ただの噂だと思ってもらっては困ります」

「……っ」

「ウィリアム様は非常に懐の深いお方――辻馬車どころかたとえ歩いて帰ることになろうとも、寛大なお心で私をお許しくださることでしょう。むしろお困りのレディを助けなかったとなれば、それについてお叱りになるでしょうね」

「……ッ」


 ――ああ、しまった。今のは私が悪い。失言だった。


 自身の発言を後悔し、私は今度こそ口をつぐむ。

 〝罰〟だなんて、ウィリアムを侮辱したも同然ではないか。これではルイスが怒るのも当然だ。


 私はあまりの気まずさに、ルイスから視線を反らさずにはいられなかった。

 いつもならある筈の余裕が、今の私にはない。これ以上は何を言っても墓穴を掘りそうな気がする。


 視線をテーブルの上へと落とした私のそばで、ルイスの喉から洩れ出る吐息。

 それが溜息だと気付いたときには、彼の姿はいつの間にかテーブルの反対側にあった。


 彼は椅子に腰かけることはなく、立ったまま窓の向こうの雨空を見上げている。

 数秒の沈黙の後、その唇が再び動いた。


「それに――これは私の……そして我が主、ウィリアム様の為でもあるのです」――と。

「……?」


 ――いったいそれはどういう意味だ。

 私が疑問に思うと同時に、ルイスの横顔がゆっくりとこちらを向く。


「ウィリアム様はアメリア様との婚約を望んで結ばれました。けれどそうは言ってもお二人は知り合ってまだ日が浅い。これからお互いのことを知っていこうというときに邪魔をされては困るのです。――つまり、レディ・アナベル……あなたにはサウスウェル卿のお心を繋ぎ留めておいていただかなければ。彼が再びこのような行動を起こすことのないように」

「……で、でも、エヴァンの気持ちは――」

「彼の気持ち? 何を仰っているのですか。彼はアメリア様と血の繋がりのある実の兄妹。可能性は万に一つもないのです。あなただってお分かりでしょう。サウスウェル卿のアメリア様に対するそのお気持ち(・・・・)は、あなたのみならず、周りの者全てを不幸にすると」

「…………」


 とても熱っぽいような、それでいて酷く冷たいようなルイスの声音。有無を言わせない理路整然とした物言い。

 それは彼の素顔に思えてで……けれどだからこそ、違和感しか感じられなくて……。


 ――ああ、この男はいったい何者なのだろうか。この様な物言いができるだなんて、彼は本当にただの付き人なのだろうか。


「あの方の幸せが私の幸せ。ウィリアム様の為ならば、私はどんな苦労も惜しみません。つまり、馬車をお貸しするくらい私にとってはほんの些細なことに過ぎないのです」


 漆黒の双眼が私を見つめる。


 その眼差しに射抜かれて――彼の執着とも呼べる強い熱意に押されて、私は頷くことしかできなかった。


 そんな私に、ルイスはニコリと微笑みかける。


「ご理解いただけたようで何よりです。では、私は馬車を用意して参りますね。――レディはどうぞこのまま、こちらでお待ちを」


 ルイスはそう言い残し、くるりと私に背を向けた。そうして音もなく歩き出す。


 私はそんな彼の背中が部屋の外へと消えていくのを、ただ黙って見送るばかりだった。


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