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9.慰め



 ルイスに連れられて行った先は、夜会会場から少し離れた一室だった。

 内装からして、応接室の様である。


 室内はランプではなく、板張りの壁に等間隔に取り付けられた燭台と、暖炉の火によって照らされていた。全体的に薄暗いけれど、それが落ち着きを感じさせる。

 部屋の壁際に品よく飾られた古い調度品の数々も、古きを愛する子爵の人柄を感じさせた。


「あの……どうしてここに?」


 私のためにドアを支えてくれているルイスを見上げ、尋ねる。

 すると彼は微笑んだ。そうして、穏やかな口調でこう言った。


「今あなたに必要なのは休息だと思ったのです。許可は得ていますから、少しお休みになられてはいかがでしょうか」

「え……でも……」

「心配はいりません。私はすぐに失礼しますから。見知らぬ男と部屋に二人きりと言うのは、いささか不味いでしょうし」

「…………」


 ルイスの言葉に、私は悟らざるを得ない。

 やはり彼は、私とエヴァンのやり取りを聞いていたのだ……と。


「どうぞ、こちらに」


 ルイスは静かに扉を閉め、部屋の奥へと歩いていく。


 今はルイスの言葉に甘えさせてもらおう。そう決めた私は、黙って彼の後に続く。


 ルイスは部屋の中央のソファを通り過ぎ、出窓の前の丸テーブルに誘導してくれた。

 そこで私はあることに気付く。


「……お茶?」


 そう、テーブルになぜか一人分のティーカップがあるのだ。だが湯気は立っていない。つまりこれは……。


 私がルイスを見上げれば、彼は困ったように目じりを下げた。


「大変お恥ずかしいのですが、私は人の多いところが苦手でして。屋敷の者に頼んでこのように休ませていただいていたのです」

「まぁ、そうなのですか……? でしたらわたくしは遠慮いたしますわ。あなたを追い出してしまうわけにはいきませんもの」

「いいえ。そういう訳には参りません」


 私の申し出をきっぱり断るルイス。

 その口調は柔らかだったが、表情はどことなく固い。


「……どうしてですの?」


 私の問いに、ルイスはどこか躊躇うように瞳を揺らし、私の視線を誘導するように遠くの壁を見る。

 そこには細長い姿見が、長い足つきの燭台の灯りに照らされて煌々と輝いていた。


 ――これは、鏡を見ろってことなのかしら……?


 そう考えて、ハッとした。

 “その可能性”に気が付いて。


「――ッ」


 私は急いで姿見の前へ向かった。そして、そこに映る自分の姿を覗き込む。


「――あ」


 瞬間、私を襲う羞恥心。

 涙でドロドロになった自分の化粧の悲惨さに、今にも顔を覆いたくなる。


「~~っ」


 ――ああ、なんてことなの。


 思いも寄らなかった自身の姿に、私はただ絶望する。

 今日はなんて厄日なのだろうか。

 

 エヴァンには置いていかれるし、こんなに酷い顔を男性に晒して……。もう何もかもが嫌になる。 

 惨めすぎて……切なすぎて……。これでは淑女どころか、女性として失格だ。当然、こんな姿で会場に戻れるはずもない。

 この顔をなんとかしようと思ったら、一度全て落として一からやり直さなければならないだろうから。それを侍女も道具もないこんな場所で、どうにかできるわけがない。


「…………」


 ――本当に最悪だ。


 もしこの顔を兄が見たらどう思うだろう。この赤く腫れた目を見たら、私が泣いたと言うことがすぐにわかってしまう。そうしたらきっと兄は、エヴァンを今度こそ許さない。


 ああ見えて妹想いの優しい兄だ。

 今までは、私自身が気にしていないのだから問題ないと――兄にはそう思わせていた。たから黙認してくれていたのに……。


 さっきのことだって、私がエヴァンを笑って送り帰したことにするつもりでいた。でも、この顔ではそんな言い訳通用しない。


 私が泣く程気にしていると知れば、兄は私とエヴァンの婚約を取りやめにしろと迫ってくるに違いない。

 エヴァンだって、親友である兄にそう言われたら受け入れる他ないだろう。

 だって、エヴァンにとっては私との婚約なんて重要なことじゃないのだから……。


 ――でも、嫌よ。そんなの嫌。エヴァンとの婚約を破棄するなんて、私……。


「――っ」


 再び、涙が溢れて来る。

 先ほど泣いたばかりなのに、大声を上げて泣いたばかりなのに。

 ここにはルイスもいる。……今は、一人じゃないのに。


 こんな醜態晒してはいけないと、淑女の矜持だけは守らなければと、わかっているのに……。


「……っ」


 為す術もなく、私はその場にうずくまった。

 両手で顔を覆い――止まらない涙を、せめて直接は見られまいと。



 けれど、そんな私の背を、ルイスは黙ってさすってくれた。


「無礼をお許しください」と、私の後ろで囁いて。

「泣いていいんですよ」と、そう呟いて。



 私が泣き止むまでの間、それはとても長い時間だったけれど……彼はその温かい手のひらで、ずっと私を慰め続けてくれた。

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