ニコニコ中毒の友人
「俺さ、ニコ中なんだ」友人が突然言った。
深刻そうな声色とは裏腹に、その顔はニコニコと微笑んでいた。
「ニコ中?」僕は首を傾げた。「お前、喫煙者だっけ?」
「違うよ。ニコチン中毒ってわけじゃないよ」
だとしたら、『ニコ中』とは一体、なんなんだろうか……? 『ニコ』がつく『中毒』……他に思い当たるのは……?
「ああ、もしかして、ニコニコ動画中毒?」
「違うよ。最近はあまりニコ動見てないよ」
「じゃあ――」
「ニコ中――ニコニコ中毒だよ」
「……は?」
「いや、だから――ニコニコ中毒。スマイルのニコニコな」
「ああ……。つまり、お前は常にニコニコしてるわけか」
「そういうこと」
なるほど。
確かに友人はずっとニコニコ微笑んでいる。まるで、それがデフォルトであるかのように。昔はそうではなかった。どちらかというと、愛想がいい方ではなかったと思う。
「どうして、ずっと笑顔を浮かべてるんだよ?」僕は尋ねた。
「俺も、別に笑顔を浮かべたくて浮かべてるわけじゃないんだ」友人は言った。「ずっと笑顔を作っているうちに、これがデフォルトになっちまったんだよ」
「どういうこと?」
「ほら、俺って営業職じゃん?」
「そうだったね」
何の営業かは忘れた。けれど、友人が営業をしているというのは知っている。
毎日、ぱりっとしたしわのないスーツに、髪をポマードか何かでセットして、営業用のスマイルと定規が背中に入ったような姿勢とはきはきとした声を携えて、営業先に車で向かっているに違いない。
「お客様相手に仏頂面するわけにはいかない。だから、笑顔を浮かべて、それを崩さないようにキープしながら喋る。そのうち、俺は笑顔が顔にはりついちまったんだ」
「へえ。それはそれは……」
「なあ、今も俺はニコニコ微笑んでるんだろ?」
「まあね」
「深刻な場面でも、この表情のままなんだ。この前も彼女とデートに行ったとき、えらくシリアスな映画を見たんだが、俺はずっとニコニコしていてな、サイコパスみたいな扱いを受けた」
「それは……かわいそうに」
「彼女と大喧嘩したときも、俺は怒りながらも顔はニコニコ微笑んでいて、やばい奴扱いされて、最終的に振られちまった」
「かわいそうに」
「なあ、なんとかならないか? 俺さ、元の顔に戻りたいんだよ」
「うーん、そう言われても……」
顔のマッサージをして、表情筋でもほぐせば、元の表情に戻るんじゃないだろうか? その提案をしてみたが、まったく駄目だった。
「いっそのこと、営業職やめちゃえば?」
「やめて、どうするんだ?」
「なんか、他の職に就く」
「他の職って?」
「それは……自分で決めてよ」
友人は僕のアドバイス通り、営業職を辞した。
その後、何がどうなってかはわからないが、借金取りになった。ガラの悪い、きわめて黒に近いグレーゾーンの借金取りである。
僕は借金取りの仕事について詳しくはわからないが、きっと眉間にしわをよせて、深刻そうな顔をしたり、睨んだり怒ったりするんだと思う。笑顔とは対極的な職業だ。
しばらくして、僕は友人と会った。
ニコニコ中毒は脱して、強面になっているものだと思ったが、久しぶりに再会した友人は相変わらず微笑んでいた。
「……あれ? 変わらないね」
「ああ。借金取りになれば、また違った表情ができると思ったんだけどな。ニコニコ微笑みながら借金を取り立てると、怒鳴り散らすよりも怖く見えるんだとさ」
なるほど。
笑顔で借金を取り立ててくると、相手が何を考えているのかわからず、恐怖するのかもしれない。笑顔は笑顔でも、不気味マックスの笑顔だ。
「だからさ、もう諦めた」友人はニコニコ微笑んで言った。「俺はニコニコ中毒のまま、一生を終えることにするよ」
「……ああ、うん。頑張ってくれ」
そして、僕たちは別れた。
家に帰って鏡を見ると、ニコニコ微笑みながらもガラが悪くなった友人に、ずっと笑顔で接したからか、僕の顔にはニコニコとした笑顔がはりついていた。
あー、僕も借金取りになろうかな、と思った。