これはライフハックです
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放課後の教室で僕は格好のネタにされていた。珍獣を発見した探検家のように、図書室での出来事を軽妙な語り口で報告した男が居たからだ。
「いやぁ驚いたね。草食動物を装ったライオンですわ。エグいくらいに切り込む。ブラジル代表並み」
「まあ凄い!」
正宗の言葉に由香里が大袈裟に驚いてみせる。通販番組並みのやらせ感だ。
「お前らそうやってすぐ茶化すのやめろよな。お互いデメリットしかないだろ」
「俺は図書室でナンパしないぞ」
「やかましい。枝葉じゃなくて根本の話だよ。これじゃ新しく友達作ることさえままならない」
「友達なら俺がいるだろ」
「なに言ってんだよ。そうじゃなくて、ほら——異性の」
「なーんだ、やっぱり彼女欲しいんじゃないか」
「そ、それは……欲しいよ。お前だって本当は欲しいんじゃないのかよ?」
なんだかんだ言って図星だったのだろう。正宗は開き直った僕の反応に一瞬言葉を詰まらせた。そこへ傍観していた平山が割って入る。
「まあまあ二人とも。交友関係を広げようとするのは良いことだよ。今のは樋野くんが大人げないよ」
「チッ、良い子ぶりやがって」
「樋野くんは佐藤くんに恋人が出来るのが不安なのかな。置いてかれる気がするとか」
「べ、別に」と反発して正宗は六法全書を読み始めた。なんだかわからないが、ふてくされているらしい。それを見て由香里が笑いをこらえている。
今日も春樹は居ない。いくらなんでも留年するんじゃないだろうか。他人事ながら心配になる。なんにせよ文化祭の件はやはり僕が指揮をとった方がよさそうだ。
「不毛な話はやめにして、看板とメニュー作りを始めよう。文化祭までまだ日数はあるけど、売り物と金額は決まってることだし、早めに作っちゃいたいよね」
「手書きで作るの? メニューはパソコン使った方が効率良さそうだけど」
由香里の意見はもっともだ。
「それも考えたけど、あえてハンドメイドのメニューなんてのもセンス良くない?」
「仕上がりが良ければね。でもそんなハイレベルなものを作る自信あるの?」
「そこは下手ウマ的な形で解釈してもらおうかと」
「……味と言い張って誤魔化すつもりね。悪くないけど、手抜きと思われないようにしなきゃ」
「まぁ見てなって。表参道のおしゃれカフェにも負けない素敵メニューを作ってみせるよ」
図書室で借りた本を流し読みした僕に死角はない。そう思って制作に取り掛かったものの、量産されるのは子供の悪ふざけにしか見えない稚拙なデザインの残骸だった。元々絵心も何もないわけで、当然といえば当然の結果だ。
「あ、あれ、おかしいな。なんだろう、頭の中にはイメージがあるんだよ。でもさ、それを描こうとすると途端にバグるんだ」
「あのね、世間じゃそれを下手と言うのよ?」
由香里に正論で殴られる。失敗作をクシャクシャにして新たな白紙を取り出した時、正宗が肩にそっと手を置いて首を横に振った。
「もうやめとけ。それ以上罪を重ねるな」
「優しく諭すな、心苦しすぎる!」
ふと由香里を見ると、ノートになにやら書いている。よく見るとそれは漫画のようなシンプルなイラストで、可愛らしいテイストの女の子と猫がコーヒーを飲んでいた。
「あの、由香里さん?」
「何かしら」
「イラスト、上手ね」
「ありがとう」
正宗と顔を見合わせる。
「藍澤——お前そんな特技を隠し持ってたのかよ。メニューのデザイン、いけるか?」
正宗の言葉に由香里は満更でもなさそうに言った。
「正直言って私も、それがいいんじゃないかって思い始めてたところよ」
まったく、僕の苦労はなんだったのか。もっと早く言って欲しかった。
「おねがい、します」
するするとラフを描き始める由香里。その様子をうっとりと見つめる平山。
達成困難と思われたオーダーは、極めて優秀なスタッフによって解決されたのだった。
◆
週が明けた月曜日。無難に午前中の授業を終えると、再び僕は図書室へと足を運んだ。借りていた本を返却して、今度は資料ではなく、彼女を探す。
友達がいないというのはどういう意味だろう。昨日は何も聞けないまま来生さんは図書室を出て行ってしまった。なんとかもう一度話をしてみたい。
読書テーブルを見るが、姿はない。それならばと書棚を探すと、果たして来生さんはそこに居た。
「今日も海外ミステリですか?」
近づいて静かに声を掛けると、来生さんは僕を一瞥して書棚から一冊の本を抜き取った。
「こんにちは、佐藤……悠くん、だったよね。今日は国内。映画は洋画オンリーだけど、ミステリは国産も好きなの。よかったら読んでみる?」
そう言って僕にその本を押し付ける。『占星術殺人事件』。なんともオカルトっぽい響きのタイトルだ。
「来生さんが借りるんじゃないんですか?」
「私は別の作品を。それはだいぶ前に読んだんだけど、とても面白かったよ。それを読んでみてダメだったら……このジャンルは向いてないってことかも。それぐらい評価されてるから」
そう言って彼女は苦笑した。普段あまり表情が変わらないから、たまに覗くそんな顔が魅力的に見える。そういうことってあるよなと、どこか他人事のように思う。
「いいですね」
「うん。感想聞かせてね」
なんだか嬉しそうに見える。さもありなん、読書家は人に勧めた本が受け入れられた時、喜びを感じるものだ。
周囲には誰もいない。図書室では静かに。そんなことはわかってるけど、もうちょっと話をしても誰も迷惑しないはずだ。
「来生さん、友達居ないって言ってたじゃないですか」
「……そうだけど?」
「それが、友達なんて要らないぞって意味じゃなければ、僕と友達になってもらえませんか?」
おい悠、待て待て。単刀直入過ぎる。それは流石にストレート過ぎるだろ。素直か。自分が制御できていない。勝手に動く自分を後ろから見ているような錯覚を覚える。
「えっと……」
来生さんはやはり面食らった様子で僕を見ている。そりゃそうだ、僕だって突然こんなこと言われたら――混乱する。
「あ、いや大丈夫です、今のはなんていうか、口がすべったっていうか」
なんだそれ。言い訳になってない。自分で言ってて情けない。もう少しスマートにつくろえないのか。いつだって急なトラブルに弱い。今まで何度しくじってきた。落ち着け。リカバリーだ。こういう時は相手の出方を見て適切な対応を——
「いいよ」
「え?」
苦笑いのような、あるいははにかんだような表情を浮かべて彼女は言った。
「佐藤君。友達になっても構わないよ」
まさかの、成功? いや、別に告白したわけじゃないから恋人になったわけじゃないけど。って何考えてんだ。別に好きなわけじゃない。ただ友達が増えればそこから新しい人間関係が広がって、その過程で何かのきっかけが見つかるかもしれないと思っただけだ。
でも、嬉しいな、これは。
「い、いいんですか? いけると思わなかったです」
「いけるって——べ、別に恋人になれっていうわけじゃないし、そんなに変なことじゃないでしょ?」
そう口にした来生さんの頬が少し赤くなったように見える。いや、僕の頬はきっともっと真っ赤だけど。
「誰かとね、本の話が出来たら——きっと楽しいだろうなって思ったの」
「僕もそんな感じです。来生さんなら面白い本知ってそうだし。……そうだ、なんて呼べばいいですか? 友達ならやっぱりこう、親しみを込めて——あだ名とか?」
「顔に似合わずグイグイ来るね、君。不思議とウザくはないけど」
「それ程でも。じゃあ真帆さんって呼んでいいですか? 友達だし」
「ああ、うん、それならいいよ。私も下の名前で呼ぶけどいいかな、悠くん」
「望むところです」
なんだろう、この達成感は。
今まで僕が友達を作る時は、同じクラスだったり同じ野球チームだったり、何かしら用意された箱の中で作ってきた。だから今回みたいに友達を作ろうとして作るパターンは初めてで、新鮮さに心がウキウキしてしまう。
その日は幸い正宗も現れなかった。短い休み時間の残りを使って得た情報は、真帆さんが最近ポッキーにハマっているということだけだった。
「うまく食べれば手を汚さずにチョコが食べられるの。それってつまり、本を汚さないで済むってこと。これはライフハックです」
そう言って得意げに笑った真帆さんは、掛け値なしに魅力的だった。
結局、友達がいないという発言の真意はなんだったんだろう。さすがにいきなりそれを訊くのははばかられ、話題に出すこともできなかった。
でもそれを保留しても、補って余りある成果が得られたと云えよう。
流れでうまいこと連絡先を交換したものの、メッセージを送る心の余裕はなかった。だけど今日の戦果は上々。それは間違いない。だから落ち込んだりはしていない。——今のところ。