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残響リヴァーバレイション  作者: 齋藤睦月
第一章
4/24

八潮春樹

 ◆


「よう、サティ」


 八潮(やしお)春樹、十六歳。モデルのような長身。そして目を引くド派手な金髪。制服のブレザーの代わりにゆったりとしたペールピンクのニットカーディガンを羽織っている。一見不良っぽさはあるものの、危ういバランスでオシャレ寄りに見えるのは、この男が小顔だからに違いないと僕は分析している。

 ちなみにサティというのは僕のあだ名だ。といっても名付けたのは春樹で、使っているのもこいつだけだけど。


「えっと、今来たの? 時すでに放課後なんだけど」

「そうなんだよな。いつの間にか放課後なんだ。どうやら授業サボった奴が居るらしいぜ」

「いや、それは春樹だよね。返信もよこさないで何してたの?」

「そりゃあれだ、色々と。あ、とりあえずマック行かね? 朝からオニギリとキットカットとラーメンしか食ってない」

「……そりゃ腹ペコだね。あ、でも正宗達がミスドで待ってるんだ」

「ならミスドにしよう。がぜん甘いもの食べたくなってきた」


 派手な金髪を手ぐしで整え、春樹は教室を出て行った。結局自分の席にも着かないまま帰ることになる。何をしに来たのやら。僕はカバンをつかみ、春樹の後を追って歩き出した。


 ◆


 ミステリードーナツというロゴが描かれた自動ドアを抜けた途端、中年女性たちの笑い声がケラケラと聞こえてきた。店内のイートインスペースはそこそこ埋まっていて、主婦らしき四人のグループが賑やかに談笑している。そしてその一団のすぐ近く、ソファー席の一角に『佐藤たちのグループ』を発見した。


「遅かったじゃん。あっ、八潮がいる! 授業サボった八潮春樹がいる!」

「うるさいよ女子。俺はサボったんじゃない、病欠しただけ」

「病欠した奴がドーナツ屋に居るのは何故だ?」

「仮病だからだね」

「決めつけんな。回復したんだよ、奇跡的に」


 皆が集まった時の盛り上がりは格別だ。訳もなく心が躍る。特にこの無茶苦茶な男が加わると、何の個性もない僕まで輝いているように錯覚する。

 春樹は型破りな奴だけど、誰かを不快にさせることはほとんどない。だからなのか、こいつを嫌いな奴は学年中探しても中々見つからない。——もちろん教師を除けばの話だが。

 レジに並んでいちご味のドーナツとコーヒーのセットを買う。少ない小遣いでやり繰りしているので、ドーナツは一つだけ。そしてコーヒーを選んだのは、お代わりが無料だからだ。


「悠はストロベリーリングか。ホント好きだねそれ」

「由香里にはわからないかな、この魅力が。ピンク色のキュートなボディ。控えめな優しい甘さ。そしてほのかに香る果実のフレーバー」

「どしたの、悠。キモいよ?」

「くっ、お前ストレート過ぎるよ。もう少し言葉を包んでくれよ」


 うるさい黙れというジェスチャーが返ってきたので、涙目でコーヒーをすする。


「ところで春樹」大きめの数珠みたいなドーナツを千切りながら正宗が言う。「今日は学校サボって何処行ってたんだ?」


 全員の目が金髪の高校生に集まる。


「うん、そりゃ、アレだよ。公園のベンチに腰掛けて鳩にポップコーンを延々(えんえん)と与えてた」

「リストラされたおっさんか」即座に正宗が突っ込んだ。

「わかった、超悪いことしてたんだ。だから隠してる」僕も追求に乗っかってみる。

「ち、ちがうって。実は、雨に濡れた捨て猫にミルクやってたら、そいつがまぁ離れなくてよ」

「ここ数日、雨は降ってないよね」平山も丁寧に嘘を潰す。


 ドーナツ屋の小洒落たBGMを掻き消すように、おばちゃん達の笑い声が店内に響く。機関銃のように乱れ飛ぶ嬌声は、まるでノイズのテーマパークだ。

 春樹は腕組みしてドーナツを凝視し始めた。何かを言うのをためらっているようにも見える。まさか本当に悪いことを? その時、安直な連想が頭をよぎった。悪いこと。雪宮の殺人事件。いや、まさか。いくら何でも突拍子も無い。不穏な妄想を振り払おうと、八潮春樹に再度目を向ける。


「で、何してたの? 怒らないからお姉さんにいってごらん?」


 うながした由香里を一瞥(いちべつ)すると、春樹はおもむろに口を開いた。


「ドーナツの穴の大きさには二種類あるって知ってたか?」

「……は? ドーナツ?」正宗と由香里がユニゾンする。

「直径二センチのUS式と、直径一センチのUK式。それぞれ誤差は二ミリ以内。全米ドーナツ協会と全英ドーナツ協会がそれぞれ独自に定めてる」


 オールドファッションドーナツをつまみ、こいつはUS式だなと呟いて春樹は話を続ける。


「アメリカとイギリス。公用語は同じ英語だが、俺たちが学校で習うアメリカ英語とイギリスで使われるクイーンズイングリッシュではかなり違うんだ。例えば、建物の二階。アメリカじゃセカンドフロアだが、イギリスだとファーストフロアと言う」

「えっ、じゃあイギリスで一階は何ていうの? ゼロフロア?」思わず僕は口を挟む。

「残念。グラウンドフロアだ。地上階ってことだな。それから、発音の方グッドの比較級はベター。アメリカ人ならベダとかベラーみたいな発音になるが、イギリスならTをきちんと発音する。ちょっと品が良く響くかもしれない。何にしても、そんな違いがドーナツの穴みたいな所にも表れる。面白いもんだよな」


 ひとしきり話し終えると、春樹はオレンジジュースを勢いよくストローで吸い込んだ。


「ヘぇ、知らなかった。ひとつ勉強になったわ」と由香里。

「おい待て、ホントか? 聞いたことないぞ。またいつものホラ話じゃないだろうな」と正宗。

 春樹はニヤリと笑うと左手でピストルを作って「何言ってんだよ。もちろん——嘘だぜ」と言ってのけた。いつも通りだ。無駄に細かい、そして何のメリットも無い嘘を平然と披露する。春樹の悪い癖だ。「何だよ全米ドーナツ協会って。ちゃんちゃらおかしいだろ」

「ちょっと、丸ごと信じちゃった私はどうなるのよ」


 自分で言いながら笑う春樹に由香里が噛み付く。


「寝不足で判断力が鈍ってるんじゃねえの?」

「この金髪バカ……でも眠いのは否定できないわ。コーヒー頼めばよかった」


 コーヒーか。僕のはあげられないぞ。おかわり自由の飲み物を連れにあげるのはルール違反だから。実のところ間接キスとかを気にしなくて済むからよかったなんて考えている自分の情けなさにも気づいてる。


「待てよ、それで結局今日は何してたんだ? ごまかし方が雑過ぎるだろ」


 正宗の指摘で我に返る。春樹が質問に無関係の出まかせで話をウヤムヤにしていることにようやく気付いた。


「ええ、もういいよ、その話飽きたし」

「……まだ何も話してないじゃないかお前」言いながら諦めの色が正宗の目に浮かんでいる。その様子を見て由香里があっさりと話題を切り替えた。

「まぁいいんじゃないの。どうせまた図書館にでも入り浸ってたんでしょ。ところで悠、山下の話は何だったの?」

「あっ、そうだ。皆にも関係ある話だよ」

「ほんと?」

「ドーナツの穴よりはね。ほら、文化祭。もう再来週だろ? うちらにも準備を手伝って欲しいんだってさ」

「あぁ、そういうリクエストかぁ。何やらされるのかな」

「それはこれから連絡がある予定」

「ふぅん。ま、クラスの催しだしね。仕方ないか」


 気怠げな由香里とは対照的に、俄然やる気を出したのは――

「いやいや、むしろ全力で協力しようぜ。こういうとこで青春しなくてどうすんだよ」

 ――春樹だった。


「随分モチベーション高いな。何が狙いだ?」

「何言ってんだよマサムネ君。文化祭つったら少女漫画じゃ定番の恋愛イベントだぜ。こいつをスルーしてたら連載終了待ったなしだぞ」

「少女漫画読まないからな、俺は。どうせ彼女なんて出来ないし。関係ないね」

「オイオイ、そんなことだからこのグループは誰も恋人が居ないんだよ。変えてこう? 流れ変えてこう?」


 お前も彼女居ないじゃねえかというツッコミを全員が飲み込む。


「ところで——」春樹が仕上げとばかりに付け加える。「うちのクラス、何やんの?」


 四人のため息が綺麗に重なり、ご婦人たちの笑い声が店内に響いた。


 ◆


 結局山下からメッセージが届いたのは夜。入浴も夕食も終えた後だった。内容は簡潔で、『佐藤たちにやってほしいことリスト』と題された文章には、いくつかの指示が箇条書きされていた。


・メニュー作成

・看板作成(廊下に立てるやつ)

・その他盛り上げるアイディア歓迎☆


 思ったよりも少ないが、クラスの人数を考えると、割り振りはそんなものなのかもしれない。大物といえば大物だけど、その代わりに当日のスタッフは見逃してくれるという条件も書いてあった。了解と返信して、グループチャットで正宗たちへ情報を共有した。


 文化祭か。別に恋愛イベントなんかじゃないのは百も承知。でもそれが何かうまいこと転がって、ひとつのきっかけになることはあり得るのではないか。

 失敗を恐れる余り、確実なことばかり求めて行動する。そんな人生は楽しいと云えるのか。否、それは退屈そのものだ。成功するかどうかわからないから人は挑戦するのだ。そう、それこそがロマンなのだ。


「今年の佐藤悠は一味違うんだ。ちょっぴりスパイシーなんだぜ」


 夜の雲に隠れた月に、僕はそう宣言した。

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