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残響リヴァーバレイション  作者: 齋藤睦月
第二章
21/24

無謀

 ◆


 黒いジャージ姿の向井先生が僕と真帆さんをかばうように前に出た。

 実際の身長よりも大きく見えるのは、堂々とした立ち姿と、以前から聞いていた〝煉獄〟向井の武勇伝のせいかもしれない。


「どうもこうもありませんよ。——いや、違うな。もうどうでもいいんです。俺はおしまいだ。香織を刺した時から捕まるのは時間の問題だったんだが——とうとう学校でやっちまった。こうなりゃ最後にそのガキも殺す。邪魔すんなら……アンタもやっちまうぞ」


 その眼に宿る狂気が。この場の空気をも支配する気がして身がすくむ。隣で真帆さんが再び小さく悲鳴を漏らした。

 僕は真帆さんをさらに一歩下がらせる。左を向くと向井先生の横顔が見えた。眉間に深いシワが寄っている。怯えじゃなく、あれは——怒りだ。


「品のない男だとは知っていたが……。性根を叩き直してやる」

「ジジイ……余裕かましてんじゃねえよ。剣道の有段者だか知らねえけどな、ここには竹刀もねえぞ。ほらほら、刺すぞほら」

「くっ」


 向井先生が着ていたジャージを腕に巻きつけて対処しようとするが、これじゃどう考えても不利だ。確かに戦国時代の武士ならいざ知らず、素手でナイフに立ち向かうのは無謀としかいえないだろう。しかし——


「朝比奈先生、間違ってますよ」

「ああ?」


 ——僕は勇気を振り絞って二人のにらみ合いに割って入った。


「僕がここに逃げ込んだのは、向井先生が居ることを知ってたからです。今日は学祭の準備日だ。大工仕事なんかを手伝う為に、技術の先生——向井先生はこの部屋に待機していた」

「おまえの意見は求めてねえけどな。ふん、それで? 切り札のジジイが丸腰で当てが外れたか?」

「だから丸腰っていうのが間違ってるんですよ。僕は予定通りあんたをブチのめしてもらうだけです。——こいつでね」


 そう言って僕はショルダーバッグから物騒な代物を取り出した。シャキ、シャキ、と音を立てて形を変える金属の棒——特殊警棒を向井先生に手渡す。竹刀に比べれば短いが、剣道家が武器にするには申し分ないはずだ。


「な、なんだそりゃ……お前、なんでそんなもん持ち歩いてんだ」

「ナイフを持ち歩いてる貴様が言えることではないだろう」


 向井先生が当然の疑問をさえぎって、当然の指摘をする。


「——さて、こんな得物は使ったことがない。しかしまあ、問題なさそうだな」


 さらに一歩前に出た向井先生は剣を正眼に構えた。凛とした気迫。ゾクリと不意に背筋が凍る。見ればその顔はさながら鬼の形相だ。これが〝煉獄〟向井。授業で見せる親しみやすさは微塵もない。


「ガタガタうるせえな……ぶっ殺してやる!」


 飛びかかってきた朝比奈の右手に素早く小手を打つ。痛撃に朝比奈は呻いてナイフを取り落とした。


「はあっ!」


 鋭い雄叫びを上げて追撃する。左肩、胴、鎖骨。速い。そして一撃当たるごとにゴキッという重い音が。


「ぎゃあ! やめ、やめてくれ……骨、折れてる」

「折れたんじゃなくて折ったんだ、馬鹿め。命があるだけ感謝しろ。そしてこれから先、お前が殺めた罪のない女性に懺悔して生きろ」


 仕上げとばかりに朝比奈の顔面をなぎ払う。メガネか吹っ飛んだ。その一撃で意識を失ったらしく、朝比奈は倒れたまま起き上がらなかった。


 なんとか片付いた。張り詰めていた気が抜けて座り込みそうになる。しかし——


「そうだ、春樹!」


 ——落ち着いている場合じゃない。滑るようにして廊下に飛び出したところで、窓の向こうからサイレンの音が近づいてきた。


 ◆


 朝比奈清は通報を受けて駆けつけた警察官に逮捕された。天網恢恢疎にして漏らさず。犯した罪にふさわしい罰を受けるだろう。


 驚くべきことに、通報をしたのは春樹自身だった。僕が朝比奈を挑発して引き付けている間に、痛みを堪え、根性で意識をたもちながら電話したという。救急隊員に運ばれて行く春樹は見るからに満身創痍だったが、何故か僕は春樹が助かると確信していた。



 僕は春樹に付き添ってそのまま病院に同行した。

 遅れて到着した春樹の母親とともに手術が終わるのを待つ間は地獄のような不安がぬぐえなかったが、医師によれば「恐ろしくタフな身体だ」とのことで、強靭な筋肉にはばまれて刃が深く刺さらなかったことが幸いしたらしい。結果、懸念されていた内臓へのダメージもなかったという。やはり春樹は規格外のモンスターだったことが証明された。

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