お前だったんだな
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教室からは徐々に人が減っていく。買い出しも済んでおり、後は当日を迎えるだけだ。
朝比奈先生がふらっと現れて、仕上がった内装を見て満足げにうなずいている。自分は手伝ってもないのに偉そうだ。
「ねえ春樹、さっきのは——何か狙ってるの?」
「マサムネのことか? 俺はだいぶ前からあの二人はお似合いだと思ってるぜ」
「え、そうだったのか。僕は、全然気づいてなかった」
「別に両想いかどうかはわかんねえよ。ただ、ああいう組み合わせは結構ハマると思う」
そういうものか。まあ無理にくっつけようというわけでもなさそうだし、少し変化を見るのも面白いかもしれない。
「あ、でも平山は? 僕はてっきり平山が由香里のこと好きなのかと」
「ヒラリーか……。あいつはもう少し視野広げないとな。知ってるか? こないだ藍澤に香水をプレゼントしたらしいぜ」
「えっ、香水? そりゃまたなんていうか……恋人以外の男から香水もらうって、ちょっとキツくない?」
「ああ。藍澤はドン引きだったぜ。悪気はないはずだって言ってやったけどな。——もし藍澤がマサムネに惹かれたら、それはそれで正解だろ。好意が見え見えだからってヒラリーを優先するべきだとは俺は思わないな」
なるほど。さすがに春樹は深く考えている。僕は無意識のうちに平山を尊重しようとしていたけど、それはもしかしたら結果的に由香里のことをなおざりにしていたのかもしれない。
「ところで春樹。今回も汚れ仕事させてごめんね」
「俺も他に方法思いつかなかったからな。仕方ねえよ。それにサティだって後始末にはしっかり関わってる。後味悪いのはお前も一緒だろ」
春樹の言うように、実際にカフカを撮影したのは僕だった。自分で画策したとはいえ、既に消去したい記憶になっている。
他にも方法があったのかもしれない。ひょっとしたら「ごめんね」「いいよ」で済む話だったのかも。でも僕らはいつでも最善と思える方法を選ぶしかない。そしてその答えは自分たちで判断する以外にない。
教室の窓からぼんやりと外を眺める。どんなにまともに生きようとしても、居眠り運転のクルマのようにトラブルの方から突っ込んでくることはある。それを回避するには自衛するしかない。その方法が今回は少し汚かっただけだ。
居眠り運転。ふと真帆さんの家族のことを連想した。真帆さんには今日のことを話すべきだろうか。黙っているのも不誠実な気がするが、あえて言うべきじゃないようにも思える。
「このこと真帆さんに言うかどうか迷ってるんだよね」
「例の先輩か。俺は別に——どっちでもいいと思うけどな。言わなきゃその人に悪いとか思ってるか? なんでも話すのが誠実ってもんでもないぜ。俺だったら黙っとく」
こういう時にああしろこうしろではなく「自分ならこうする」という意見をもらえるのは助かる。意見が一致してたら自信が持てるし、意見が分かれた場合でも糾弾されるわけじゃない。
「そっか。そうだね。ありがとう」
春樹もさっきから窓の外を眺めている。何を考えているのか、表情からは読み取れない。
ひょっとしたら、あの女の人のことだろうか。
「春樹、例のOLさん——」
言いかけた時に、後ろから声をかけられた。
「おい八潮、佐藤。お前らいつまでだらだら残ってるんだ」
朝比奈先生だ。気づけば教室には僕と春樹だけしか残っていない。
「すいません、ついのんびりしちゃって」
「準備が終わったんならさっさと帰れよ。雪宮の殺人犯、まだ捕まってないんだからな」
遅くまで残っていたから被害にあいやすいということもないだろうと思ったけど、反論しても仕方がないので愛想笑いをしておく。
すると春樹が怪訝な顔をして言った。
「雪宮の殺人犯って、何の話っすか?」
「なんだ八潮、お前知らないのか。学校サボってばかりだからそうなるんだぞ、まったく」
「春樹、知らなかったのかよ。この事件だよ、ほら」
僕はスマホを出して、以前ブックマークした記事を春樹に見せた。
「雪宮町に住む会社員が殺されたんだ。通り魔の仕業だって言われてる。被害にあったのは雪宮町に住む会社員の北原香織さん二十一歳。ほら写真も」
「香織さんだ」
「えっ?」
僕は春樹を見て言葉を失った。その表情が、絶望と驚愕を織り交ぜたような複雑なものだったからだ。
「香織さん……だ」
もう一度春樹が呟いた。徐々に呼吸が荒くなる。
カオリサン。遅れてそれが春樹の大切な人の名前だったと思いいたる。
「ウソだろ……殺された? 香織さんが、死んだ? んなバカな。何だよ、それ。何だよ……それ」
春樹はぼんやりと中空を見て呟いた。殺人事件の被害者があの香織さんだったなんて。そんなことは考えてもみなかった。だから返事が来なくなったのか。
「おい、どうしたんだ、八潮」
先生が困惑気味に声をかける。
「いや、雪宮で殺された人と春樹が親しかったみたいで……」
「——なんだ、恋人か?」
その言葉にカチンとくる。この流れで茶化してくるのは余りにも悪趣味だ。
「そういうわけじゃないと思いますけど。仲の良い友人でも亡くなればショックですよね?」
少し突き放して言ってみるが、先生はすまんすまんと言いながら苦笑いしている。やはりこの人は好きになれない。言葉も表情もうわべだけに見える。
「そうかそうか。八潮がね。なるほどなるほど」
腹立たしさを抑えつつ春樹を見ると、先生を無視するように窓の外を見て黙り込んでいた。これは早々に帰った方がよさそうだ。
「そろそろ帰ろう、春樹」
そう言って振り返ると、いつの間にか近くに居た先生が春樹にぶつかった。
「お前だったんだな、八潮。お前が香織をたぶらかしてたんだな」
その手には血にまみれたナイフがにぎられていた。




