ガゼボ
◆
ジャバジャバと冷たい水で顔を洗って、眠たいアタマに喝を入れる。
「あら、あんたもう起きてたの? 珍しい。雪でも降るんじゃない」
「うるさいな、たまにはそんな日もあるよ。ほっといてよ」
相変わらずデリカシーのない母親だ。寝坊することが多いのは事実なので強く言い返せないのが悲しい。
今日は文化祭の前日準備日、つまりストーカーと由香里が会う約束をした日でもある。気合も入ろうというものだ。
重大な局面ではあるものの、荒事は春樹が引き受けてくれた。僕は何かの間違いがないようにサポートするだけだ。いつもより固く靴紐を結んで家を出る。空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。
今日は準備日なので、授業はない。明日の文化祭開催に向けて一日中作業に集中できるようになっている。
「明日はいよいよ文化祭です。はいはい、騒がない騒がない。飾り付けなんかも今日中に完成させる必要がある。手分けしてしっかりやること。いいな」
朝比奈先生のざっくりとした指示があり、各自準備開始となる。
約束通り、春樹もきちんと登校してきている。
「おうサティ。やるなら早くしようぜ。どこでスタンバイしてりゃいいんだ?」
「落ち着け春樹。シャドーボクシングをやめろ。まず僕らは午前中に看板を完成させなきゃだし、由香里がターゲットを呼び出したのは昼休みだよ」
「そうかよ、結構先だな。で、どこに呼び出したんだ?」
「会うのは中庭。春樹は昼休みが始まる前に僕と一緒に先回りして隠れてほしい。ほら、倉庫の裏かどこかに」
「あの汚ねえ倉庫か。何がしまってあるんだろうな」
「さあね。とにかく隠れて様子を見てて。それで、由香里が合図をしたら出番。新喜劇のヤクザみたいにオラついて登場して、犯人をシメる」
「相手がそれでビビりそうなザコだったらそうするよ。了解。ま、それまでは大人しく繋がれてるとするか」
獰猛な猟犬の如き春樹を横目に、早速看板の仕上げに取りかかる。ここからは実際に文字を書くので、由香里の出番だ。
「正直こんな看板作ってる場合じゃない気もするけど、何かやってないと落ち着かないし」
由香里はぶつぶつ言いながらも慣れた手つきでメニューの文字を筆で描いていく。黒地に白文字というオーソドックスなデザインだ。一時間ほどかけて両面に文字とイラストを描き終える。
「凄くいいよ、さすが藍澤さんだよ」平山が手放しで称賛する。
「いやぁそれ程でも。あたし何やっても人並み以上にできちゃうのよね。神様がうっかりスキルボーナス振りすぎたんじゃないかと思ってるの」
「藍澤、伸びた鼻はちゃんとしまっとけよな。トンボがとまるぞ」正宗が余計な口を挟む。
「優れた創作物に自信を持つことの何がおかしいわけ? あんたみたいにコンテンツを消費するだけのオタクにはわからないのね。かわいそうに」
「なっ!」
きっちりカウンターを食らって正宗が顔を赤くする。懲りない男だ。
「どうあれ、看板は完成したね。これ、かなり出来が良いんじゃないかな。明日だけしか使わないのがもったいない」
改めて完成した看板を眺めてみる。板を二枚、上部で接続することで自立するように作られた立て看板。かわいい猫の線画から、吹き出しに『Welcome!』の言葉が書かれている。オシャレ寄りのタッチは、いかにも女子向けのカフェらしいテイストだ。
その下には『ドリンク100円』『リッツ&カントリーマァム100円』のお品書き。情報量は少ないが、他に提供するものも無いので仕方ない。校内に自販機があるし、原価を考えるとドリンクは高いが、のんびりできる場所代を考えればそんなものだろう。原価だけで判断するのは愚かなことだ。
時計を見ると、十二時に差し掛かるところだった。
「おっと、そろそろ僕と春樹は先回りしよう。平山と正宗は見張りを頼む。誰が来たかその都度連絡して。来た奴がストーカーだとわかったら連絡するから、そこからは関係ない奴が近づかないように見張ってほしい」
「で、でも、藍澤さんのストーカーは僕も許せないよ。見張りだけなんて」
「平山、お前ケンカなんてしたことないだろ? 気持ちだけありがたく受け取っておくよ。なぁ、由香里」
「う、うん。ありがと、平山。ほら、荒っぽいことは荒っぽい奴に任せとこうよ」
ひどく率直な表現だ。もっと言い方あるだろうに。
「だけど、実は今日のためにね、武器を買ったんだ。これ」
言いながら平山は鞄から黒い筒のようなものを取り出した。キュウリぐらいのサイズに見えたそれは三段階に収納されていたらしく、伸ばすと五十センチ程の長さの金属の棒になった。
「護身用の特殊警棒だよ。通販で買ったんだ」
得意満面の平山。予想外の展開に一瞬みんな顔を見合わせる。流石にこれはやり過ぎだ。
「いや、やめとけって。こんなもの使って力の加減もできないだろ。大怪我させようってわけじゃないんだ。骨折なんかさせたら大ごとだぞ」
「でも、武器があれば僕だって——」
「そりゃ違うな」春樹が苦笑する。「慣れない武器を振り回してケンカに勝てるなら苦労ねえよ。どんな奴が犯人かはわからないが、ケンカ慣れしてるやつかもしれないぜ? うっかりそいつを奪われたら逆に大ピンチだ。そんな危ないもん使わない方がいい」
「で、でも——」
「平山」由香里が首を横に振る。
「ごめん……わかった」
四方からダメ出しをされて平山は目に見えて落ち込んでいる。正宗は平山の肩をポンと叩いて慰めた。
「計画通りにいこう。平山と俺は見張りだ。直接対決は春樹と悠に任せる。今から不確定要素を追加することはないだろう」
正宗が念を押して、平山は渋々特殊警棒を引っ込めた。
地味な奴ほど暴走することがあるけど、平山も例に違わずだ。若干引いている由香里を見て、その空回りぶりに頭を抱える。
◆
「雨が降らなくてよかったよね」
伸びをしながら、僕は隣の春樹に言った。緊張するとストレッチをしたくなる。なんとなく不安がほぐれる気がするからだ。
昼休みが始まる十分前。中庭にある倉庫の裏。倉庫自体には当然鍵がかかっているので、中に隠れることはできない。倉庫の周りは木が生い茂っているので、余程警戒されていなければ気づかれないはずだ。ここでしばらくは待ちだ。
「——だな。二人で傘差して待ち伏せなんて笑えるもんな」
そう答える春樹は、まるでいつも通りに見える。それもそうだろう、僕とは踏んできた場数が違う。
春樹は決して根っからのワルではないが、中学時代から恵まれた体格と派手な髪型で悪目立ちしていたこともあり、ガラの悪い連中からケンカを売られることが多かったらしい。
来るもの拒まず去るもの追わず——売られたケンカを大人買いしていった結果、元々の素質に無数の経験が積まれて、最強高校生春樹が誕生した。もし春樹のウィキペディアがあれば、きっとそんな来歴が載っているはずだ。
そんなことを考えていると、いよいよ昼休みが始まるチャイムが鳴った。中庭には東屋がある。由香里とストーカーはそこで待ち合わせることになっていた。僕たちが隠れている倉庫からは二十メートル程離れている。
中庭は位置的に校舎の廊下から見えるのだが、緑化のためにあちこちに木々が植えられていて、東屋も目立つ場所ではない。さらに校舎からのアクセスも悪いので、普段からひと気は少ない。ましてや文化祭準備日にわざわざ来るやつは少ないだろう。
やがて校舎の方から人影が現れた。由香里だ。
「来たぞ春樹、二時の方向」
「いや、二時ってどっちよ」
「知らない。言ってみたかっただけ。ほら、あそこ。由香里が東屋に近づいてる」
「見えてるよ。あ、そういえば知ってるか? 東屋は英語だとガゼボっていうんだぜ、ガゼボ。音の響きが強すぎて笑えるよな」
「春樹——それ、いつもの雑なウソじゃないの?」
「バカ違えって。こんな時に嘘ついて俺になんの得があるんだよ」
「日頃の行いのせいだね」
「——香織さんが、前に教えてくれたんだよ。雪宮公園の東屋で話してた時にな」
反射的に春樹を見ると、どこか寂しげな目をしている。その様子からすると、その後も連絡は取れていないらしい。
僕には今のところ恋人も好きな人も居ないけど、その存在がどれだけ世界を素晴らしくしてくれるかを想像することはできる。それがある日突然消えてしまったら。その悲しみはいかほどだろうか。友人の心をおもんばかって胸が痛んだ。
「それを聞いただけでも素敵な関係だったことがわかるよ」
僕は再びガゼボに視線を戻した。すると、由香里とは別の人影が近づいているのが見えた。
「やっこさんのお出ましだ」春樹が古臭いセリフをナチュラルにキメてみせた。
「いや、無関係の人物かもしれない。目を離さないで。由香里の合図を待つ」
バイブレーションを感じてスマホを見ると、見張りをしている正宗からのメッセージだ。
『今中庭に行った奴は二組の池田だ』
池田ってだれだっけ。他のクラスの男の名前なんて中々覚えられない。
「春樹、あいつは池田って奴だ。正宗から連絡が」
「池田っていうと、池田カフカのことか? ——あいつがストーカーだとしたら、ちっとメンドーだな」
その名前を聞いて思い出した。池田加符華。バキバキにひねりの効いた名前。凡庸な名前の僕が一度はねたんだ男。話したこともないけど、存在だけは知っていた。
さらに緊張が高まるのを感じた。少しでもよく見ようと物置の陰から身を乗り出すが、東屋まで少し距離があるのではっきりとはわからない。少し遠すぎたかもしれないが、隠れられる場所は限られている。
「由香里が立ち上がった。そのまま話してるみたい。まだ行くなよ春樹」
学校指定のジャージを着た男が、立ったまま由香里と会話している。なにか身振り手振りを交えているようだ。顔までは見えないが、短めの黒髪だ。そして勿論そんなやつは学内にいくらでもいる。
「カフカの何が面倒なの?」
「格闘技、やってるって噂だ」
「マジ? それは確かに面倒だね。でもこの学校に春樹より強い奴はいないんでしょ?」
半分皮肉を、もう半分は期待を込めて訊くと、春樹はポリポリと頭を掻いた。
「メンドーって言っただけだぜ。俺の敵じゃねぇよ」
それを聞いて安心する。計画は続行だ。
由香里とカフカが話し始めて五分程が経った。おそらくあいつがストーカーで間違いないだろうと思った頃に、由香里が手を上げてゆらゆらと振った。合図だ。
正宗に『やつだ』とだけメッセージを送る。
「行こう」
声をかけると、春樹は頷いて大股で歩き出した。




