21・4ボーナスステージ
再びロッテンブルクさんの仕事部屋。就業後の夜遅い時間。
ただ、今日はとっくにお風呂は済ませてある。侍女頭が外出の埃を早く落とすようにと、時間をとってくれた。もちろんそれは建前で、シュヴァルツ隊長と面談をしていたら今晩入浴しそびれると、考えてくれたのだと思う。
そう、まさしく面談。
ロッテンブルクさんの椅子にカールハインツは座り、机を間に挟んだ向かい、それもそこそこ距離のある向かいで、私は普段は端に寄せられている椅子に座っている。考えていた相談の雰囲気ではない。
だけどこれで良いのかもしれない。よく考えたら、私に好意を持ってくれている綾瀬をダシにして自分の好きな人に近づくというのは、最低の行いではないだろうか。
しっぽをふらんばかりの笑顔で駆け寄ってくる綾瀬を思い浮かべると、良心がうずく。彼のことを本気で相談するなら、レオンの友人とかオイゲンさんにするべきだった。
今夜は舞い上がらないで、いち侍女見習いとして相談に徹しよう。
窓の外は濃い闇だ。新月らしい。さすがにこんな夜に木崎は飲みの誘いには来ないだろう。多分。
「お前は」と私の好きな声。「レオンの求婚に応える気はない。彼のアピールに困り果てている」
カールハインツが私の訴えを繰り返したので、うなずいてそうだと伝える。
「良い解決策がある」
「本当ですか」
思わず前のめりになる。おもむろに首肯する頼もしい隊長。
「トイファー伯爵に手を回して、レオンの縁談を組む。あいつの出世には近衛隊幹部の娘が最適だが、ちょうど適当なのが何人かいる」
はい?
カールハインツはド真面目な顔をしている。本気で提案しているのだ。
「……それはレオンさんの意思を無視しすぎではないでしょうか。私は自然に諦めてほしいのです」
「意思を無視? 問題あるのか?」
うわぁ、本気か。
さすが、友人を家長が選ぶシュヴァルツ家。根本的な考えが違った。というかカールハインツは願掛けのせいで、女性とお付き合いした経験があるかも怪しいストイックさだった。そんな人にする相談ではなかったのだ。
「あいつが自然に諦めないから困っているのだろう?」
ぐっ。仰る通りです。
「これならばレオンの得にもなり、一番の策だと思うのだが違うか」
「……彼の得になるかどうかは、私には判断できません。それにこの方法に私が賛成するというのは、とても残酷だと思うのです」
「そうやって中途半端な態度が、レオンを惑わしているのではないか」
うぅ。全くもって、反論のしようがない。
立ち上がり、頭を深く下げる。
「……我が儘を言いました。レオンさんには困っていません。諦めてほしいとも思いません。ですので縁談はお止め下さい。お願いします」
ああ、また、好感度から遠ざかってしまった。でも自業自得だ。綾瀬をダシにしてしまったから。
「……それほどまでに悪手か? オイゲンにも止められた」
その声に頭を上げる。
「レオンさんは自分で結婚相手をみつけたい人だと思いますし、結婚を出世に利用しようという方ではないとも思うのです」
「オイゲンもまるっきり同じ事を言っていた。お前の悩みを解決し、レオンは将来を見据えるきっかけになる、一挙両得の方法なのだが」
「オイゲンさんはなんて仰っていましたか?」
「お前が断り続けていれば、いつかはレオンも諦めるだろうから時期を待つしかないと話していた」
「……そうですか」
ストンと椅子に座る。気長に構えることが最善ということなのかな。綾瀬に不毛なことをさせてしまっているようで申し訳ないのだけど、縁談が彼の意思を無視しているように、こそこそ策を練るのも同じことだと今気がついた。
リアルな恋愛は難しい。
「お前としては縁談はなしか」とカールハインツ。
「はい」
「ならば俺にはもう案はない」
「はい。相談に乗って下さって、ありがとうございます。――オイゲンさんに意見を聞いて下さったことも、お礼申し上げます」
「俺より彼のほうがこういう案件に詳しい」
うん、そんな感じはする。『案件』とか言ってる時点で、恋愛に縁遠そうだもの。いかにもストイックな黒騎士らしい。
再び立ち上がり、頭を下げる。
「では失礼します」
名残惜しいけど、相談が終わったのだからさっさと帰る。ぐいぐい迫るのは、また次回だ。
「カルラ殿下に剣を贈ったのか」
掛けられた言葉に頭を上げる。
「先日、遊んでいるのを見た。姫は妖精にもらったと言い張っていたが」
妖精! カルラ、可愛いが過ぎるよ。
ハンガーを剣代わりにするのは危ないので、布で剣を作ってプレゼントをした。手持ちがなかったので材料を揃えるのに少し時間がかかってしまい、渡せたのは先週のこと。乳母と侍女の目を盗んでそっとあげたのだけど、秒でバレた。
だけど布製というのが好評で、見なかったことにしてくれたのだ。カルラには、絶対に他の人に見せてはダメと伝えてあったのだけど。
「申し訳ありません。ハンガーでは怪我が心配だったので、勝手なことを致しました」
三度、頭を下げる。
「いや、危険なものを振り回されるよりマシだ。黒い服を差し上げれば少しは熱が落ち着くかと考えていたのだが、余計に騎士ごっこに熱が入ってしまって困っている。おもちゃの剣で満足してくれれば、それに越したことはない」
はい、と答える。良かった、取り上げられることはないらしい。
「ムスタファ殿下がごっこ遊びに付き合っているのか」
「さあ。カルラ様は私と遊んでいるときに使っていらっしゃいますが、他は存じません」
「……」
ちょっとわざとらしかっただろうか。
「カルラ殿下は姫なのだから、程ほどに。いくら好きでも近衛隊には入れない」とカールハインツ。
「はい」
そんなの規則を変えればいいのよ、と思ったけど今回は口に出さなかった。カルラから剣を取り上げないということは、以前よりは考えが軟化したということだ。
さすが、私のカールハインツ!
「何をにやけているのだ?」
しまった、また顔に出ていたか。
黒騎士は立ち上がると、大股で私に歩み寄る。と、ポン、と私の頭に手を乗せた。
「このギャップが『可愛い』のか?」
やはりボーナスステージでしょうか、神様。二度目のポンに、可愛い(疑問形だけど、この際構わない)との言葉。
口から心臓が飛び出そう。
◇◇
まさか、こんな日が来るなんて。
カールハインツが
「部屋まで送ろう」
と言ってくれたのだ。ああ、録音しておきたかった。
喜んだのはいいけれど、並んで二人きりで夜の散策なんてシチュエーションに、頭がうまく働かない。胸は苦しいし、気の利いた話題も思いつかない。
無言で歩き、私の部屋の近くまで来たとき暗がりの中、向こうからやってくる人影があった。シルエットから男だ。巡回の兵だろうか。
カールハインツが足を止め、左手を私の前に出して制した。
人影はこんな季節、城の中だというのに長めの外套を着てフードをかぶっている。手には、見慣れた袋。
木崎だ。
向こうも足を止めた。それから。
「また何かあったのか!」
木崎のムスタファは逼迫した声を上げて、駆けて来た。
「大丈夫かっ」
目前に着いた王子が問う。フードの影で顔はよく見えない。
「……まさかムスタファ殿下、ですか?」となりでカールハインツが驚きを含んだ声で尋ねる。
あ、とフード下からかすかな声。
「送ってもらっただけです」急いで口を挟む。「相談に乗ってもらって。それで遅い時間なので、一応、念のためにと。それだけ、何もないです」
木崎が息をついた。
「そうか。焦った」
『焦った』。
木崎のムスタファは顔を近衛隊長に向けた。
「あとは私が送る」
はっ、とかしこまって返答するカールハインツ。
「ここで私に会ったことは絶対に他言するな」
「承知しました」
「絶対だからな」
ムスタファの手が私の背のほうに回される。触れることはなかったけれど。二、三歩進んでからカールハインツに向きなおり、
「今晩はありがとうございました」
と礼を伝える。うなずくカールハインツ。おやすみなさいと挨拶をして、ムスタファと共に進む。と、彼が振り返った。
「シュヴァルツ。私と彼女は噂されているような仲ではないからな。ただの飲み友達だ」
いや、その言い訳はどうなのよ。と、危うくツッコみそうになった。
木崎にしては下手なフォローだ。




