21・3 推しの呼び出し
緊張で少しばかり胸が苦しい。こほん、と咳払いをしてみる。
この角を曲がった先に近衛の詰所があるのだが、今からそこを訪れる。なんと、カールハインツからの呼び出しなのだ!
ムスタファの部屋から戻ると彼からの伝言があり、確認したいことがあるから詰所に来るようにとのことだった。
伝えてくれたのはベテラン侍女だったけど、
「行く前に、その腑抜けた顔を引き締めなさい。良くない話かもしれないわよ。怖い顔をしていたから」
と注意された。
伝言を聞いた私はにやけていたらしい。でも、彼女の言葉には思い当たる節があった。公爵邸から帰る直前に王子を待たせたことで、カールハインツに冷たい目で見られたのだった。城に帰着した際に挨拶をしたときは通常の対応だったけれど、あれは王子の前だったからだろう。
また、好感度が下がってしまったのだ。きっとこれから私は叱られる。
綾瀬は今日の仕事はもう終了したと話していたので、カールハインツも同様だろう。わざわざ帰宅しないで私を待って、説教をするのだ。気合い十分、というところだろうか。
思いきって角から出る。廊下の先の立ち番が素早く気付き、こちらを見た。私を確認すると詰所の中に何やら声をかける。と、バタバタと綾瀬のレオンが出てきた。駆け寄ってくる。
「マリエット。会いに来てくれたのですか」
そんな訳ないでしょうと言いたいけれど立ち番がいるし、レオンがあまりに嬉しそうな顔をしているので気が引ける。
レオンの手が動いたのに気がついて、自分の手を素早く背中側に回す。
綾瀬の顔が、しょぼんとなった。その頭に伏せられた犬耳の幻影が見えるようだ。
「……僕、傷つきます」
「無頓着ではないと態度で示しているの」
「じゃあ、こっち」
とレオンが私の頭にポンと手を乗せて、撫でなでした。
「や、やめてよ!」
「いや、小さくて可愛いから」
「っ!」
そりゃレオンとは頭ひとつ分違うけど。綾瀬に頭を撫でられるなんて、なんだかものすごい屈辱。
「レオン。彼女は私が呼んだ」
そんな声と共に、カールハインツが現れた。いつもに増して威圧感がある。説教を控えているから不機嫌なのだろう。
綾瀬はすぐに踵を合わせて姿勢を正し、
「失礼致しましたっ」と元気よく答えて、さっと詰所に戻って行った。その前に、隊長に見えない位置で小さくて手を振っていた。なんでああ、可愛い振る舞いをするのだろう。
綾瀬のことは置いておいて。最推しカールハインツの黒い目がじっと私を見ている。
先に謝るべきか。だけど私が考えている理由とは異なる呼び出しの可能性もある。出てくる言葉を待つか、どちらがベターだろう。
「『小さくて可愛い』?」カールハインツが真面目な顔で不思議そうに言う。「十七歳だろう? 年齢に比べて幼すぎるの間違いではないか?」
衝撃的なセリフに心持ちのけ反る。
『幼い』だって。自覚はあるけど、憧れのカールハインツに言われるのはショックすぎる。やはり私は恋愛対象ではなく、子供扱いなのだろうか。
無愛想な黒騎士の顔がはっとなった。
「すまん。女に言う言葉ではなかったか」
「いえ、事実なので」
涙をこらえて答える。うなずくカールハインツ。フェリクスならここで上手くフォローするだろう。不器用なところが彼らしい。うん、そこが彼の良いところだ。へこたれている場合ではない。
「マリエット・ダルレ」
フルネームを呼ばれた。はいと答えて居ずまいを正す。
「お前は公爵邸でも苛められていたのか?」
思わぬ問いかけに、一瞬思考が止まる。
それから理解した。公爵邸の帰り際、メイドとの会話をカールハインツは聞いていたに違いない。だけど彼はムスタファ王子の警護でホールにいたはずだ。地獄耳すぎないかな。
私の驚いた表情を読んだのだろう。
「部下がメイドとの会話を聞いていた」と言った。
「そうでしたか。――苛めというほどではありません。お互いに馬が合わなかっただけです」
「ならば、いい」
「はい」
「……」
「……」
会話が途切れる。お互いに顔を見合っている。しばらくして、
「話は終わりだ」とカールハインツが言った。
「え。確認って、これだけですか?」
「そうだが」
てっきりお説教だとばかり思い込んでいた。これは何の確認? 侍女の身辺調査は近衛としての義務とか? 私を心配してという感じではないし。
「ああ、そうだ」無愛想が、今思い付いたばかり、という表情をする。「殿下は結婚の挨拶だったのか? みな、そう話しているが」
「違いますっ」
食い気味に否定してから、はっとする。私はぐいぐい攻める方針にしたのだった。色々ありすぎて、うっかり忘れていた。今こそレオンの相談を持ち掛けるのだ。
「あの、ご相談したいことがあります」
思いきって、身を乗り出す勢いで頼む。
と、
「どんなことだ」との返事が返ってきた。
やった、とりあえずは聞いてくれるらしい。即刻拒否でなかったことで、勇気が湧く。
「レオンさんのことです」
声をひそめてそう伝えると、カールハインツの表情がわずかに変わった。
「何度お断りしても聞き入れてもらえなくて」
うなずくカールハインツ。
「俺も気になっていた。分かった、お前の仕事が終わったら話を聞こう」
「え?」
「不都合か?」
「とんでもないです!」
まさかこんなに簡単に話が進むなんて思わなかったから、驚いただけです!
「では、夜に」
そう言った憧れの黒騎士は颯爽と身を翻し、詰所に戻って行った。
恐ろしいほどの急展開だ。ボーナスステージだろうか。
どうしよう。今から緊張して、震えてきた……。
◇◇
「マリエット。シュヴァルツ隊長に叱られたのですか」
ロッテンブルクさんの仕事部屋に呼ばれて、最初の質問がそれだった。どうやら私に伝言してくれた侍女がそのように彼女に伝えたらしい。きっと隊長のむっすり顔のせいでの誤解だ。
侍女頭にきちんと本来の内容を伝える。
「ならば、良いです。外出で粗相があったのかと思いました」と、侍女頭。
彼女は腰かけることなく、美しい姿勢で私の向かいに立っている。
「ところでムスタファ殿下は、ファディーラ様のことを何か聞けましたか」
「はい。いくらかは」
「そうですか。――マリエット」
「はい」
「私はファディーラ様にお会いしたことはありません。王宮に上がったのは、彼女が亡くなって一年以上が過ぎてからです」
侍女頭はひたと私を見据えている。
「当時も今と同じ噂が社交界を席巻していました」
今と同じ噂?と考え、すぐに思い出した。ルーチェが聞かせてくれたことだ。ロッテンブルクさんの耳にも届いたのだ。
「だけどパウリーネ様は私に仰いました。『天に誓って、ファディーラ様を裏切っていない。あの方を亡くして空いた心の穴を埋めてくれたのがフーラウム様だった』と。私はそのお言葉を信じています」
私も侍女頭をみつめ、考える。
もしかしたら彼女は、ムスタファが公爵夫人に母親の話を聞きに行ったきっかけが、あの噂だと考えているのかもしれない。
「分かりました。明日の仕事のときに殿下にお伝えします」
「いえ、その話になったときで構いません。事実を知らない私の、主観的意見に過ぎませんから」
「でも」言葉を探す。「……私はロッテンブルクさんを信頼しているので、あなたの考えも言葉も、大変に重みのあるものなのです。きっと殿下にとっても、お悩みに光明を見いだす一助となるでしょう」
ロッテンブルクさんの顔が和らいだ。
「……あなたは時々、十七歳に見えません」
「そ、そうですか?」
まずい、また享年三十の宮本味が出てしまった。
「シュヴァルツ隊長にデレデレしている時とは大違いです」
ふふっと笑う侍女頭。
「ですけどね、やはり私はパウリーネ様の侍女です。殿下は聡明な方ではありますがまだお若いですから、素直に受け止められるほど達観もしていないでしょう。彼が信頼しているあなたがさりげなく伝えるほうが、反感なくいち情報と捉えてくださると思うのです」
「……私、信頼されていますか」
「あら、気づいていないのですか」
「いえ、他の方から見てもそうなのかな、と」
なんだろう。むず痒い気分だ。
確かに、髪の手入れ係を任されたり、書記を頼まれたりしているけど。
そうか。ロッテンブルクさんから見ても信頼されている感があるのか。
「嬉しそうですね、マリエット」
そう言った侍女頭は、目を細めて私を見ていた。




