3・2王妃パウリーネ
「まあ、そんなことがあったの」
のんびりほのぼの口調でそう言うとパウリーネ王妃は私を見て、大変ねと微笑んだ。
王妃の私室。ロッテンブルクさんは彼女の専属侍女だ。17歳で王宮勤めを始めてからずっとパウリーネ妃殿下に付いているという。その頃の妃殿下は結婚をして一年ほど。王族と侍女という身分差はあれども、王宮の新参者同士で年も近いふたりはすぐに親友のように親しくなったという。
そんなふたりは他人を交えないでゆっくりとお茶を飲む時間を、殊更大切にしているらしい。それなのにその大切なひとときをロッテンブルクさんは、私の侍女実習の時間にあててくれている。
ティーポットに入った水を魔法で沸かし、紅茶をいれる。湯の沸騰加減や茶葉の蒸らし具合、カップへの注ぎ方。
そんなものは当然、習ってある。問題はそれを王族の前でもきちんと出来るかどうか。
これが案外難しいらしくて、小心者は緊張して失敗、そこつ者は王族との会話に気を取られて失敗、となるらしい。
そんなアホなことがあるのかと不思議な気もするけど、それは私が享年30歳で前世の記憶があるからかもしれない。何も思い出していないただの孤児のマリエットだったなら、王妃の存在に緊張して手が震えた可能性もある。
こんな風に『大変ね』なんて声掛けされたら、返答に困ってアワアワしていたかもしれない。だけど今の私には前世で培った度胸があるから大丈夫。
「ロッテンブルクさんが助けて下さるので問題ありません」
さらりと答え、ささやかな笑顔を浮かべる余裕もあるのだ。しかも本音を述べながら、上司の素晴らしさをその更に上の上司にアピールしちゃうしたたかさもあるもんね。
「信頼されているわね、リカルダ」パウリーネは嬉しそうにふふふと笑う。「最近の若い子は、リカルダは厳しいと愚痴を言うばかりなのに、マリエットはまだ一度も言っていないわ」
いれたてのお茶を静かに王妃とロッテンブルクさんに出し、下がる。
「あなたはリカルダに文句はないの?」とパウリーネ。
「厳しくはありますが、それは私を一人前にするためです。おかげで妃殿下の前でも粗相をせずにお茶をいれることができます」
まあ、と王妃。出されたばかりのカップを手にして、口をつける。
「そうね。リカルダにははるかに及ばないけれど、及第点よ」
「ありがとうございます」
前世の私はお茶をいれたことなんて、ほとんどない。お茶とはお母さんがいれてくれるか、ペットボトルで買うものだった。
だけど花を活けるよりは、ずっと簡単だ。沸騰加減は目で見て分かるし、蒸らすのは時間を計ればよいのだ。そこをきちんとやれば不味いお茶になることはない。
ちなみにロッテンブルクさんは同じ茶葉でも、産地やその日の気温湿度によって、微妙にいれ方を変えている。それは侍女歴約二十年の彼女だからできることであって、新人の私は基本をきっかり守る、これが美味しいお茶をいれるコツだ。
それにしてもパウリーネ王妃のこの美しさは、間近で見ても素晴らしすぎる。バルナバスは母親似なので同じ金髪碧眼なのだけど彼女のほうが色が濃いし、鼻の角度も目の配置も完璧だ。しかも肌はぷるんとしていて私よりも張りがあるし、シミもシワもない。
同じ美魔女のロッテンブルクさんは、近寄ってまじまじ見れば、多少は年齢を感じさせるものがあるというのに。
「そうね、あなたが気に入ったわ、マリエット」と王妃。
今日はよく気に入られる日のようだ。恭しく礼を言う。
「あなたが30歳まで侍女を勤めたなら、秘伝の美容液をあげましょう」
「え」
秘伝の美容液?
パウリーネはいたずらげな表情で、ロッテンブルクさんは苦笑を浮かべている。
「わたくしの実家に代々伝わる秘伝のレシピなのよ。特殊な魔法も使うから、家族が使う分ぐらいしか作れないの。その代わりに効果は絶大よ。わたくしやリカルダを見れば、分かるでしょう?」
「おふたりの美の秘訣はその美容液なのですか!」
そうよと淑やかに笑うパウリーネ。「欲しいでしょう?ぜひ長く勤めてね」
「はい! がんばります!」
「若い侍女はだいたい結婚を機に辞めてしまうの」とパウリーネは吐息した。「お子を生んだ後に復帰してくれる人もいるけれど。リカルダはいつも侍女を育てては去られ、去られては育てての繰り返しなのよ。少しは楽をさせてあげたいわ」
ロッテンブルクさんは、変わらず苦笑を浮かべている。
彼女の気持ち、分かる。私も一生懸命に指導した後輩があっさり転職していったことがある。仕方ないことだけどやるせなかった。
私は簡単にやめたりなんてしません。
そう言おうとしたところで、心配になった。
近衛隊長の妻は侍女勤めはできるのだろうか。不規則かつ重責の仕事をする夫を支えなければならないのだ。
安易に約束をしてはいけないだろう。
「あなたは誠実ですね」とロッテンブルクさんは穏やかな笑みを浮かべた。
「本当」とパウリーネも応じる。「無責任な発言はしないのね。期待がもてそうな新人だわ。良かったわね、リカルダ」
私は自分を誠実だなんて思わない。ゲームで味方のロッテンブルクさんには実際でも味方でいてほしい。これって打算のような。だけどカッコいい上司として尊敬もしているな。
それから……。
なんだかモヤモヤしながら、楽しそうなふたりを眺める。
そうしてだいぶ時間が経ってから気がついた。
私は赤ん坊のときに孤児院に捨てられた。スタッフたちは優しかったけれど、家族ではなかった。私はロッテンブルクさんを、疑似母として見ているのかもしれない。
◇おまけ小話◇
◇第一王子ムスタファは戸惑った◇
ヨナスと私室に向かって廊下を歩いていると、ばったりとフェリクスに会った。珍しく従者しか連れていない。
こいつは隣国から留学中だというのに、熱心なのは恋愛ばかり。到底、好感は持てない、付き合いはしたくない、むしろ近寄るなアホがうつる。
──と、以前の俺は思っていた。だけど前世の記憶を取り戻してからは、そこまでの嫌悪はない。むしろ男なら女の子が好きなのは当然だよな、と共感すら覚える。
「聞いたか? 噂」とフェリクスは話しかけてきた。
以前の俺ならば噂なんて低俗なものには興味がなかったし、フェリクスと会話する気も起きなかった。
だが今はゲームの攻略対象仲間だ。『噂』だってゲームに関するものかもしれない。
「近衛きっての堅物隊長が入ったばかりの見習い侍女に恋したらしい」
返事を待たずにフェリクスが言う。
見習い侍女。それは確実に宮本のことだろう。他に新人はいないはずだ。だが宮本がカールハインツに、ならば分かるが、その反対というのはどういうことだ。あいつ、喪女のくせにもう本命を落としたのか?
「なかなか可愛い侍女だった。楽しみが増えたよ」
フェリクスはそう言い残して去って行った。
はあ、そうかい。と心の中だけで答える。
「宣戦布告、ですかね」
ヨナスの言葉に驚く。
「私に? どうして?」
「もしくは牽制」とヨナス。
なんだそれは。俺に宣戦布告や牽制をしてどうする。他人が好きではないから女性にも興味を持たずに生きてきた。木崎の記憶を取り戻してからも、態度はそうは変えていない。以前よりお喋りになったし人付き合いへの嫌悪も薄れたけれど、俺を王子として利用しようという奴らとまで仲良くしたいとは思えないからだ。
……ああ、そうか。ゲームが始まったのかもしれないな。
「フェリクス殿下の耳に入ったのではないでしょうかね」ヨナスが剣呑な目をしている。
「何が?」
「あなたがあの見習いを気に入っていること」
「は? なぜそうなる」
一度だけ彼女へのメモをヨナスに渡してもらったが、それだけで気に入っている認定されるのは意味が分からん。
「私の知らないところで親しくなっているし」とヨナス。
確かに以前の俺では、そんなことはなかったが。だが。
「先日会ったときは、嬉しそうにニヤニヤしていたじゃないですか。しまりのない顔に、目を疑いましたよ」
「……ニヤニヤ? 私が?」
そうとうなずくヨナス。「だから、宣戦布告。もしくは牽制」
「ちょっと待て。違う。そんな顔をしていたとしても、そういう意味ではない」
あいつがカールハインツに分かりやすくみとれているのが面白かったから、笑っていただけだ。
そう説明できたらいいのだが、これを言ったら更なる説明が必要になってしまう。
「きっとあの様子をどこからか見ていたのでしょうね」ヨナスはひとの言葉を流して、勝手に話を進めている。「フェリクス殿下は狙った女は必ず落とすらしいですよ」
「ならば今回は初の敗北だな」
あいつの狙いはカールハインツだから。
「……なるほど、自信がおありで。いやはやまさかあなたから恋バナを聞く日が来ようとは」
「……ん?」
自分の不用意な言葉が盛大に勘違いされたと気づく。
「いや、そういう意味ではなくてな」
慌て否定するが、ヨナスは祝い膳でも用意しましょうかね、なんてほざいている。
まあ、それだけ彼は俺の交友を心配してきたということかもしれない。
「とにかくお前の勘違いだ。祝い膳はいらないぞ」
「意地っ張りですね」
したり顔で言うヨナスに、前世の俺だったら小突いているなと思い、今世の俺は
「しつこいぞ」
と言うにとどめた。