20・1二度目の外出
ルーチェと共に届いたばかりの新しい花器を持って廊下を進んでいたら、滅多に見かけない攻略対象に出くわした。十二番目に当たる宮廷画家だ。大抵どこかに籠っているので、ゲームの関係で出会う機会のある私以外の人間にとっては、レアキャラらしい。
そんな彼が何やらほくほく顔で大きな桶を抱えている。
「あら、珍しい」とルーチェが足を止め声をかける。「もしかして、それ」
喜悦満面の画家は大きくうなずいて、
「どっさり買ってしまったよ。あとふた桶あるんだ。こんな模様なんて珍しすぎるからな」
画家が桶に掛かっていた布巾をめくる。中には大理石が入っていた。いや、丸みを帯びているから、これは――。
「昨日の彫刻?」
「そうよ」とルーチェ。「夕食の前にロッテンブルクさんが話していたじゃない。『大量の粘土は邪魔なだけだから売り出すことになった、侍女も購入できる』って。あ、あなたは後から来たのだっけ」
そう、仕事で夕食には遅れた。そんな話になっていたんだ。
「まだ売れ残っているの?」とルーチェ。
「いや、もうない。昨日のうちに噂が広まっていたらしくて、都中の芸術家が買って行ったよ。かなり値は張ったんだけど、面白くてついつい大量に買っちゃったな」
「妃殿下ったら、案外商売人ね」
どうやらパウリーネが販売を決めたらしい。
「珍しいものなら、これから犯人をたどれそうなのに」
ルーチェの言葉にギクリとしながらも、澄まし顔でうなずく。
「でも、あまり気にしていなかったものね」とルーチェが続ける。「他に被害はなかったみたいだし、ただのマニアかもって」
ルーチェが小耳に挟んだことによると、パウリーネやフーラウム、お偉い方は、単純な盗難だと考えているそうだ。なんでもあの彫刻の作者は寡作で、しかも題材が一風変わっているから一部のマニアに人気だとか。
そんな美術品を復元不可能にしてしまったのかと思うと、申し訳ない気持ちになってくる。だけどフェリクスが犯人と特定される可能性が低いのは、助かることだ。
「私たちは珍しいものが手に入ってラッキーだしな」
そう喜ぶ画家に、不思議になる。ゲームなら今時期は、絵のモデルにならないかと何度となく依頼されているはずなのに、ずいぶん前に一度言われたきりだ。
思いきって、
「あの。絵のモデルなんですけど」
と、こちらから尋ねてみる。すると彼は慌てて、片手を顔の前で振った。
「あの話はなし、なし! 私だって世情に疎くないぞ。王子たちの怒りを買うなんて真っ平ごめんだ!」
ルーチェがぷっと吹き出す。
「モデルも、けっして疚しい気持ちから依頼したのではないからな! そこのところ、誤解なきよう頼むよ」
画家はそう言って、そそくさと去って行った。
「……自分こそ大勘違いなのに」
「何を言っているのよ」ルーチェがおかしそうに言う。「みんなそう思っているわ。あのムスタファ殿下の髪を任されているのだから、当然じゃない」
「そんなのではないのに」
「私は分かっているわよ」
とにかくもゲーム展開がやたらと少ない原因は予想通りのようだ。この調子で大丈夫だろうか。午後はまた王子との外出だ……。
◇◇
いよいよ公爵夫人に会いに行く。
王族専用の華麗な馬車に乗りこみ御者側に座ると、木崎のムスタファが、
「アホか。お前はこっち」
と自分のとなりを示した。ヨナスさんが菩薩のような笑みを浮かべて見ている。
「違うぞっ、ヨナス。こいつ、馬車に乗りなれていないから、進行方向向きでないと酔うのだ」
「そうでしたか。てっきり、マリエットは自分のとなりでないと嫌だということかと」
「そんな訳ないだろう!」
「冗談ですよ」
ヨナスさんはそう言って、私にどうぞと王子のとなりを示す。すみませんと謝って、座り直した。
ちらりと外を見ると、扉を閉める馬車係が微妙な表情だった。確実に誤解している。
更に彼の向こうでは騎馬したレオンがふくれていた。
「おや」と私の視線をたどったヨナスさんが含み笑いをしている。「彼がまた、面白い顔になっていますよ。近衛隊の指名はまずかったのではありませんかね」
「……知るか」と木崎。
ヨナスさんによると、どうやら私の攻略がうまく行っていないことを心配した木崎が、護衛にカールハインツ隊を指名してくれたらしい。一体いつから、そんな気配り上手になったのだ。
いや、気配りは元々だ。営業先に対しては。仲の悪い私に発揮されたことがなかっただけで。
そんな木崎のおかげで、乗車前にカールハインツと会話ができた。ほぼ挨拶だけだったけれど。でも小さいことも、コツコツと。ゲームの展開が起こらない以上、日常生活から好感度を上げていかないといけないもんね。
馬車が動きだす。
「ある程度の覚悟は決めたんだけどね」とムスタファの美しい顔をしっかりと見て声をかける。
「何の?」
「世間様に誤解されていること。王子ムスタファと私の関係」
紫色の宝石のような瞳を持つ目が見開かれた。
「ゲームを諦めるのか?」
「まさか。誤解を正すことを諦めるだけ。あなたのお母様のこととか、色々と一緒にやりたいことはあるから」
午前中に画家だけでなくてパン焼き職人見習いにも会った。『最近素っ気ないね』と振ったら、やはり慌てた様子で、
「王子たちと張り合う勇気はないよ」
と早口で答えて逃げて行ったのだった。
ふたりのことを話すと、ヨナスさんは小声でそりゃねと呟いた。一方で木崎は、
「案外、攻略対象って弱気なんだな。『ヒーローは俺!』って主張が強いのかと思っていた」
と、拍子抜けの表情だ。
「そんなのはフェリクス殿下だけ」
「あいつは強すぎ」
「だけど昨日は適切な距離感だったんだよね。全然触ってこないし」
「触られたいのか?」
「バカなの?」
「ヤキモチだよ、マリエット」とヨナスさんが口を挟む。
「まさか」
木崎と私の声が重なり、ヨナスさんは吹き出した。
「息がぴったり」
「お前がおかしなことを言うからだ」とムスタファ。「だが、確かにな。俺も気になった。パウリーネがいたからかとも考えたが」
私もそれはちょっと考えた。ヨナスさんは、どうでしょうと否定的のようだ。
どのみちフェリクスのことは置いておいて。
「世間様に誤解されているのは、諦める。誤解のせいで厄介な目に遭うのは御免だけど、用心してなるべく回避。時間がないから、私はカールハインツに全力を注ぐことにする」
「言ってることは格好いい」ニヤリとするムスタファ。「で、具体的には?」
「レオンが諦めてくれなくて困っているから、相談にのってほしいと頼むつもり」
昨晩、勉強時間を削って必死に考えた案だ。レオンの気持ちに応えられないことを明らかにしつつ、カールハインツとの話す時間を確保する。
「いいんじゃねえの。一石二鳥」とムスタファ。
「だよね。問題はいつ声を掛けられるかなんだ」
綾瀬や他の隊員がいるところでは、頼みづらい。
「ま、がんばれよ」
他人事の顔をして軽い調子でそう言ったムスタファは、ふいと自分側の窓に顔を向けた。
しばらくして、
「俺は母親のことが気になるし。……フェリクスも」とムスタファは言った。
ヨナスさんがうなずいた。
大理石から変化した粘土をパウリーネが売りに出す。
それをムスタファたちは昨夕聞いたらしい。ふたりは、きっとすぐにフェリクスがその話をしにやって来るだろうと考えた。だけど未だ、チャラ王子は顔を見せていないという。
「俺は辛辣なことを言った。だがあれくらいを気に病むフェリクスではないと思うんだ」
「そう考えると、彼があなたに紳士的なふるまいをしていたことにも訳があるのかと穿ってしまいます」ヨナスさんも言い添える。「城に帰ったら、様子を伺う予定です」
なるほど。昨日の件は私に原因があると言って過言ではない。
「私も探ったほうがいい?」
「必要ねえよ」
言下に返され、ちょっとばかりむっとしたらヨナスさんがすかさず、
「解説すると、あなたはシュヴァルツ隊長に全力を注げ、ということだよ」
と笑みを浮かべて教えてくれたのだった。




