19・3チャラ王子の一面
ムスタファの私室。
ムスタファ本人、フェリクス、私がそれぞれ椅子に座り、ヨナスさんがお茶を入れている。フェリクスの従者ツェルナーさんはここへ来る前に、主に何かを囁かれてどこかへ行ってしまった。
鍛練見学のあと、私はロッテンブルクさんたちと王妃の服飾品の手入れをする予定だったのだけど、ここへ連れ去られた。フェリクスが何やらパウリーネに告げて、即刻許可をもらったのだ。
なんとなく嫌な予感しかしない。去り際にパウリーネは良い笑顔で私に手を振った。あれは何を意味したのだ……。
「あまり聞きたくないが、お前は義母に何を言ったのだ?」
と木崎のムスタファが眉をしかめて尋ねる。
「普通だぞ」とにやつくフェリクス。「『ムスタファがマリエットと話したいようだ』と」
「どうせ、それだけではないですよね」
お茶を出しながらヨナスさんが訊く。
おや、と思う。どことなくふたりの間に気のおけない雰囲気がある。
「『マリエットがシュヴァルツ隊長に夢中になっているのを見て、不安になったようだ』とも言った」
「おい」とムスタファ。
「パウリーネ妃は『大変。これからおしおきイチャイチャかしら』と大喜びだった」
「っ!」
なんだそれは!
「いや、君の義母君は面白い。完全に君たちの仲を誤解しているのだな」
「フェリクス。その情報をどこから得たのだ」
「彼女が友人たちに吹聴して回っているぞ」
もう一度言う。なんだそれは!
木崎のムスタファも王子らしく優雅に額を押さえている。
「『あのムスタファさんが、ついに女性に興味を持った』と安堵しているようだな」
「その安心は分からないでもありませんがね」
フェリクスの言葉にヨナスさんが返事をする。
「まあ、実の息子でないから無責任に喜んでいるのかもしれない」
そう言うチャラ王子の顔は一瞬、真剣味を帯びていた。だがそれはすぐに消えた。
「言い訳をさせてくれ、ヨナス。総隊長の許可を待てなかったのは、ムスタファのせいだ」
「は!?」とムスタファ。
にやつくフェリクス。
「シュヴァルツ隊長にうっとりみとれているマリエットを見て、彼は嫉妬に駆られていてな」
「話を作るな!」
「早く彼の見せ場を作ってやらねば、悶死しかねないところだったのだ」
したり顔のフェリクスに、怒り顔のムスタファ、ヨナスさんは菩薩の笑みでうなずいて、
「主がご面倒をお掛けしました」なんて言っている。
木崎はチャラ王子を相手にするのを諦め、私を見た。
「いつもの戯れ言だぞ」
「分かっているよ」
木崎が私のことでそんな感情になるはずがない。
「ところで本題は何でしょう」
私はフェリクスを見た。連れて来られたのはムスタファの部屋だけど、それを意図したのはフェリクスだ。私を客人扱いにしているし、何か話があるように思える。
「気になることが、お互いにあると思ってな」
そう答えたチャラ王子は、私を見透かしたような目で見た。
「庭園の彫像の事件。君は犯人を私とムスタファだと疑っている」
「……何でそんなことが分かるのですか」
私はアレに関して口にしたのは、カルラに向けて言った『不思議ですね』の一言だけだ。さすがにフェリクスが気味悪い。
「表情と視線。それからムスタファの態度」
チャラ王子はさらりと答える。
お前は探偵かと問いたい。ゲームでは絶対にこんな観察力のあるキャラではなかったのに。
「そう身構えるな。私の国では他人の顔色が読めなければすぐに失脚だ。宮廷にいる者はみなこの程度の推察は簡単にできる」
ムスタファを見ると彼は、知らんというかのように首を横に振った。
「となると、君はムスタファが何故アレを壊したかったかも知っていてると推測できる」とフェリクス。「だがそこは後にして、正直に答えよう。犯人は私だ。勿論のこと、ムスタファに懇願されておこなったこと」
にこりと曇りのない笑みを浮かべた彼は依頼主を見て、
「いや、参ったな。こんなに早く気づかれるとは思わなかった。掃除とは盲点だった」と言ったのだった。
木崎のムスタファもため息をついて、
「そうだな」と答える。
ヨナスも、
「私も考え至らず、申し訳ありません」と言う。
木崎と目が合う。
「……絶対に起こらないとは言いきれないだろう。可能性は潰しておくに限ると思ってな。彼に頼んだ」
ありがとう、と答える。なんだか胸が詰まって、他に言う言葉がない。
ムスタファはすぐにフェリクスを見た。
「ツェルナーをどこにやった。偵察か」
「そうだ。魔法府がどこまで動くか。まだ三日だからな」
そう答えたフェリクスは私を見る。
「聞いてくれ、マリエット。ムスタファは最初に私になんて依頼をしたと思う。『彫像を再生不可能なまでに破壊しろ』だぞ。過激もいいところだ」
「一番の安全策だ」
「まったく、君のことになると彼は必死すぎる」
「どうしてそう、話を盛るんだ」
おかしな会話をしている王子ふたりを見比べる。
「仲良しになったのですね」
そう、と答える笑顔。
どこがだと反論する渋面。
ふと享年三十歳のほうが子供に見えると思い、おかしくなった。
「破壊なんてしたら、すぐに騒ぎになる」フェリクスが話を続ける。「あまり知られていないが、魔法は大なり小なり、使えば痕跡が残る。それをたどる魔術もある」
知らなかった。木崎を見ると、彼は自分も知らなかったと言い、その後ろに控えているヨナスさんは、
「かなりの上級魔術のようです」と教えてくれた。
「だから」とフェリクス。「目立つ方法をとったら、私が犯人と知られる可能性が高い。だが痕跡は時間が経てば消える。ということは、消えるまで彫刻に変化が起きたと気付かれなければ良いのだ」
「だから粘土の偽物と取り替えたのですか。でも本物はどこへ?」
ふふふと笑うフェリクス。自慢気な顔だ。
「あれが本物だよ、マリエット。物質を変化させたのだ」
「そんなことが出来るのですか!」
満足気にうなずくフェリクス。
「そうだ。私は凄いだろう?」
はいと答える。
「惚れてくれたか?」
いいえと答える。
「冷たいな、君は」
「魔法が優れているだけで惚れるなら、上級魔術師はみな対象になるぞ」ムスタファがツッコむ。
「いやいや、魔法の他に剣も使え、顔も良く、王子であるのは私しかいない」
「バルナバス」
「……彼は除く」
やはり仲良く見える。
「だが、一週間は気付かれたくなかったのだろう?」
とムスタファが言い、チャラ王子はうなずいた。
「結局この国に痕跡を追える魔術師がいるか分からずじまいだしな。パウリーネ妃のあの様子のまま重要視しないで、迷宮入りしてくれると良いのだが」
そして私に笑顔を向けるフェリクス。
「何も心配しなくていい。あの魔術は複雑で、大理石に戻すには掛けた魔術を解くしか方法がない。そして恐らく、この国にそれができる者はいない。君の安全は保証される」
ありがたいやら凄いやら。だけども。
ちらりとムスタファを見る。彼はなんと説明をして協力を仰いだのだろう。
「万が一私の仕業と知られたときは、彼が責任を取ってくれるそうだ。些細な言い争いが発展して、私が使える中で最も複雑な魔術をやらせた、と説明してね」
木崎のムスタファはふんと鼻を鳴らしてそっぽを見た。
「愛されているな、マリエット」
「だから!」
と言い掛けたムスタファは、大きなため息をついて口を閉ざした。諦めたらしい。
「一週間あれば、もっと根本的な策もとれるのではないかとも考えていたのだが」フェリクスがうさんくさい顔で続けた。「ムスタファが危惧していることがはっきりとしなくてな」
「仕方ないだろう」とムスタファ。「夢を見ただけで、詳しい情報があるわけではないのだから」
なるほど。木崎は夢の話として説明、フェリクスはそれに乗ってくれたらしい。……いい人だ。
とはいえ、どのみち詳しい情報なんてない。せいぜいが起きる時期は何ヵ月か先だろうということ、昼間、晴れの日ということだけだ。
木崎を見る。見返される。
「悪夢が実現しないよう協力して下さって、ありがとうございます」
フェリクスに向かって頭を下げる。
「今回、無償で協力をしたのだ」
「何を言う。あの時の礼だと思ってついて来いと、無理やり近衛府に連れて行ったくせに」ムスタファが口を挟む。
「あんなもの、半分は君のためではないか」
やいやいと応酬する王子たち。楽しそうだ。私は暇なのでお茶を飲む。ヨナスさんが立っているのに申し訳ないけど。
「おかわりは?」とヨナスさん。
「結構です。ありがとうございます」と私。
「いい加減、本当のことを話してくれてもいいのではないか」
やや強い口調。目をやるとフェリクスが珍しく眉を寄せて不愉快そうな表情をしていた。
「私はマリエットが好きだから、君の頼みに快く応じている。だがこちらとてリスクがあるのだ。もう少し私を仲間に入れてくれてもいいではないか。いつもふたりだけで通じあってばかりで」
その不満気な声は、本気のもののように聞こえた。
「……フェリクス。心の底から感謝はしている。だがお前はうさんくさい。何故、何でも知っている。時には嘘もついているのではないか。信頼に値する人物なのか、判断がつかない」
そう言うムスタファは真剣そのものだ。ふたりの間に先程まで皆無だった緊迫感がある。
立ち上がり手を体の前で重ね、深く頭を下げる。
「私のいたらなさで不快な思いをさせてしまい、大変に申し訳ありません」
「……そういう所なんだがな」苦笑が混じったような声。「いい。謝ってほしい訳ではないからな」
顔を上げるとチャラ王子は淋しそうな顔をしていた。
「ムスタファの言うことにも一理ある。だがマリエットを気に入っているのは本当だ。君を知れば知るほど惹かれる」
それから彼はうさんくさい笑みを浮かべた。
「だから私に惚れてくれないかな」
「……申し訳ありません」
「残念」
フェリクスはいつもの調子に戻って、いかに自分が優れていて恋人として最高なのかをベラベラと話し始めた。
だけれどそれは、わざと軽薄さを演出しているようにしか見えなかったのだった。




