18・〔幕間〕従者の推測
従者ヨナスのお話です。
マリエットを送り部屋に戻るとムスタファ様は、明かりを減らしたほの暗い中で葡萄酒を飲んでいた。部屋を出る前にはなかったから、自分でキャビネットから出したのだろう。
「ご苦労。ヨナスも飲むか?」
いただきますと答えて向かいに座る。
お互いに言いたいことは沢山あるだろう。私はまさかムスタファ様がお母様が魔王だったと知っているとは思わなかったし、逆も然りのはず。
だが私が今一番気になるのは、そのことではなかった。
ムスタファ様はマリエットは当然自分のとなりに座るのだと思っていた。彼女が椅子を運んだときに一瞬見せた、不満そうな表情。
それから繋がれた手。マリエットが離そうとしたのを彼は握り返していた。
彼女の怪我の話を聞いたときは一瞬にして顔が蒼白に。
お茶を淹れてくると部屋を出たのは、ふたりきりで話したいことがあるだろうとの気遣いだったが、戻ってきたら入りづらい雰囲気で、機を見て入室するとマリエットは赤らんだ頬をしていたのだった。
「質問をよろしいですか」
「うん?」
口をつけていたグラスを離すムスタファ様。明るさが足りずに、表情がはっきりとは見えない。残念だ。
「あなたが『宮本はそんなのではない』と頑なに言うのは、物語のせいですか。マリエットとあなたとの恋愛バージョンで、彼女は大怪我をしてあなたは魔王となる、ということですよね」
「うがちすぎだ」と即、否定の言葉が返ってくる。「物語は関係ない。彼女とは腐れ縁なだけだ」
「本当ですか」
「本当だ。彼女はただの仕事仲間。前世では『仲間』なんて言葉を使うこともないぐらいに犬猿の仲だった。今はそこまでではないが、彼女と恋愛なんてあり得ない」
「……そうですか」
こぼれ落ちそうになるため息を、なんとか我慢する。
マリエットに髪を梳かされているときに、ご自分がどんな顔をしているか知らないからそんなに意地を張れるのだ。ただの腐れ縁ならば、あんなに穏やかな顔などしないに決まっている。
私の留守中に彼女が怪我をし、ムスタファ様は治癒魔法をフェリクス殿下に頼みに行ったそうだが、そのときの狼狽ぶりと必死さは痛々しいほどだったとツェルナーから聞いている。
そのくせフェリクス殿下が治癒でマリエットに触れることが嫌そうだったとか。
そのあたり、ムスタファ様の中ではどういう意識になっているのだ。
……多分、自分の状態に気づいていないのだろう。
何しろ『宮本はそういう相手ではない』から。
「物語でマリエットがシュヴァルツ隊長と結ばれたら、あなたはどうなるのですか?」
「どうもならない」
「なるほど。だけど、たとえ物語で恋の成就が約束されているのだとしても、彼女の性格は隊長とは合わないと思うのですけどねえ」
「……」
ムスタファ様は黙ってグラスを口に運んだ。
「レオン・トイファーと幸せになる物語だと、あなたはどうなりますか。やはり影響はないのですか」
「あいつの話はない。登場人物ではないのだ」
「それは、気の毒に」
「どのみち宮本は、レオンは前世の後輩としか思えないと言っている。七つも年下だったからな」
そんなことよりも、とムスタファ様は言う。
「話すべきことは他にあるだろう。私が魔王になるなんてことを告げたら、お前の心労が増えると考えていた。不安にならないのか」
考え、言葉を探す。
「……あなたが望まないのに魔王となるのならば心配します。だけど望んでなるのならば、思うところはありません。私は変わらずあなたに仕えるだけです。
いくらあなたがほぼ人間で、かつて魔族が存在していたことが忘却の彼方にあるのだとしても、また記録が見つかり魔族狩りが始まる可能性はゼロではありません。私は最初から覚悟をもってあなたのそばにおりますよ」
そう。初めて会ったときに、私は彼を支え守る決意をしたのだ。先ほどはムスタファ様にああ言ったけれど、もしかしたらシュリンゲンジーフ家に流れる血が影響したのかもしれない。だがそんなことは問題ではないのだ。
初めの理由がなんであれ、この八年で私の覚悟はより揺るぎないものになったのだから。
「万が一、ムスタファ様が討伐されるというならば、私は剣をとり最期まで守ります」
「ヨナス」
「はい」
「それは駄目だ」
「何故でしょうか」
「お前の恋人が泣くではないか。私はヨナスの大切な者を悲しませたくない」
自然と顔が緩む。
私の主は心優しい。
「ではその時が来ないことを毎日祈ることにいたしましょう」
「案ずるな。可能性は限りなくゼロだ。ただお前にすべてのパターンを打ち明けておきたかったから、話しただけだ」
ムスタファ様は再びグラスを口に運び、しばし黙っていた。
それから。
「討伐でなくても、お前に無体なことはさせたくない。今まで考えたことがなかったが、ヨナスには自分の幸せを大切にしてほしい」
「ありがとうございます」
ムスタファ様の言葉に、喜びと僅かな淋しさを感じた。以前の彼は私に頼りきりで、自分と切り離して考えることなどなかった。彼は成長したのだ。私がいなくともやっていけるとの思いがあるから、私の幸せを考えられるようになったのだろう。
なんというか、親離れの時期が来たのだ。
「私も。あなたには幸せになっていただきたいと願っていますよ」




