3・1第2、第3の王子たち
ロッテンブルクさんの後をついて昼下がりの廊下を進んでいると、
「ちょっと待って!」
と声がした。王族のプライベートエリアの廊下で遠くに立哨中の近衛がいる以外、私たちの他に人はいない。ふたりで足を止めて待っていると、通りすぎた部屋から青年が顔を出した。続いてもうひとり。
先の青年は隣国の第五王子で攻略対象のフェリクス・サンブラノ。後のほうはムスタファの弟バルナバスだ。このふたり、ゲームでは仲が良い設定だったけれど実際でもそうらしい。性格は正反対なのに。
バルナバスのほうは金髪碧眼、文武両道、性格も素晴らしい典型的な王子様。異母兄との仲は微妙だけど、それは兄のほうが壁を作っているから。ムスタファが魔王として覚醒しようとするのを阻止するバルナバスは、号泣しながら兄を手にかける。ゲームの中では一、二を争う名場面だ。
一方のフェリクスは赤毛に緑の瞳、顔の造作も性格も派手でチャラい王子だ。交換留学の名目で来国しているはずなのに、熱心なのは女の子を口説くことだけ。だけど憎めない性格で、ムスタファやバルナバスより友人が多い。
そんなフェリクスは私を一瞥してから、ロッテンブルクさんを見た。
「そこの娘がマリエットという新人か?」とフェリクス。
ロッテンブルクさんがそうですと答え、私は膝を曲げた。
「ふうん」
フェリクスは寄ってきて、じろじろと見た。
「確かに可愛い」
とりあえず、もう一度膝を折る。
「ああ。話す許可を与える」とフェリクス。「だから声を聞かせて」
『声を聞かせて』はゲームであったセリフだ。まだ開始前のはずなのに。カールハインツに続いてこちらも初対面をしてしまうのか。混乱しつつも
「侍女見習いのマリエットです」と言われた通りに声を出す。
「声もいいな」と笑顔のフェリクス。
と、彼らが出てきた部屋からふたりの令嬢も出てきた。
「殿下は若い娘を見るとすぐ口説く」
「私たちだけでは足りないかしら」
ふざけた口調だけど、目は笑っていない。嫌な感じだ。彼女たちに意地悪される予感がビシバシする。
「そうじゃない。噂を耳にしたんだ」
フェリクスは無表情で静観していたバルナバスに、な?と同意を求める。
「とある堅物が彼女に恋して、周辺をうろちょろしているって」
っ!
なんてことだ。知らない間に私に関するおかしな噂が立てられて、王子たちの耳にまで入っているらしい。
『堅物』とはムスタファを指すのか、カールハインツを指すのか。どちらにしろ嬉しくない状況だ。まだカールハインツの《隊長を肉食女から守る会》についても何も分かっていないし。
王宮に上がってまだ二週間。だというのに、まるでゲームが始まっているかのようだ。開始はまだだいぶ先のはず。ゲームでは、今のように始終ロッテンブルクさんと共にいる状態ではないのだから。
そのロッテンブルクさんが、つい、と私の前に出た。
「私の知る限り、マリエットの周りに殿方の影はありません。無責任な噂に過ぎないのでしょう」
さすが、侍女頭のロッテンブルクさん。彼女にはカールハインツに尋問されたことはその日のうちに伝えてある。全てを知った上で、か弱い見習いを守ってくれるのだ。
「いや、確かな情報筋だ」と笑顔のフェリクス。「私の交友関係は広いからね。あの鉄の男をその気にさせるとは、なかなかだ。興味があるよ」
『鉄の男』。ということは、フェリクスが指しているのはカールハインツのことだろう。『月の王』と讃えられるムスタファを鉄なんて形容はしないはずだ。
「殿下が仰っている殿方がシュヴァルツ隊長ならば」とロッテンブルクさんは名前をズバリと出した。「彼女に関することは、職務上の理由ですね」
「ふうん。まあ、そういうことにしてあげてもいいさ」とフェリクスは言って立ちはだかるロッテンブルクさんを避け私のそばに来ると、手をとった。
「一見地味ながら、可愛い。磨けばもっと美しくなるな」
ちゅ、と手の甲にキスされる。やめてくれ、令嬢たちの視線が痛い。チャラい君には微塵も興味はないのだよ。
「先ほど妃殿下のお猫様の糞尿の片付けをして、まだ手を洗っておりませんが」
真顔でそう言ってやると、バルナバスがうっとうめき、ふたりの令嬢は扇で口を覆った。けれど当のフェリクスは声を立てて笑った。
「なるほど、貴様なぞに手に触れられたくないということか。気に入った」
おや。思っていたのと、反応が違う。チャラいフェリクスは努力とか真剣とかが嫌いだし、汚いものには近寄らないタイプだったはずなのに。
「見習いよ、まだまだだな。ロッテンブルクが手を洗わせないままにするはずがないだろうに」とフェリクス。
「なるほど」思わず声を上げてしまう。
チャラい王子というだけではないらしい。侍女頭の性格をちゃんと把握しているなんて意外すぎる。
しかも気に入られてしまったらしい。
ちらりと令嬢たちを見ると、彼女たちの目が一層険しい。これはまずい。
手を無理やり引き下げ、かしこまる。
「まだまだの見習いは精進しないといけませんから、遠くから見守っていただけると幸いです」
ロッテンブルクさんが大きくうなずく。
「予防線を張られているではないか」とバルナバスが初めて喋った。
「それを落とすのも楽しいさ」
フェリクスはそう言うと、またなとウインクをして、ふたりの令嬢の腰を抱いて元の部屋に戻っていった。
バルナバスは何を考えているのか分からない顔で私を一瞥してから、後を追う。
「一体なんなんだ」思わず呟くと、ロッテンブルクさんが
「言葉遣い!」とピシャリ。
「すみません」
「だけど」と侍女頭は珍しく大きなため息をついた。「どうしてあなたに皆が寄ってくるのでしょう。こんなことは初めてです」
「……すみません」
それは私がヒロインだからです。
だけどまだゲーム開始前なのだけど。
私もため息をつく。なんとなく、予想はつく。多分だけれど、ムスタファと出会ってしまったことでシナリオが狂ってしまったのだろう。
あの朝、うっかり社歌を歌ってしまったばかりに。まさか私以外にも社員がいるとは思わなかったし、それがよりによって木崎だなんて、完全に想定外だった。
ま、バルナバスは私に興味がなさそうだったのが救いかな。あの顔は好きだけど、木崎が討伐されるのは可哀想だからね。