17・1再び幕間の日々
ふたりの侍女がマリエットの部屋に忍び込み、タンスにカミソリを仕込んで大ケガをさせた。だけれど王女たちのお気に入りだから、王妃にかばわれて咎められずに済んだらしい。
一方でマリエットのケガはまたもフェリクス王子が魔法で完治させた。それどころか犯人を特定したのも彼。
しかもフェリクスがそうしたのは、ムスタファ王子が懇願したからだそうだ。
事件から三日後には、ほぼ事実と変わらないそんな噂が王宮中を席巻していた。
そのためふたりは微妙な立場のようだ。彼女たちと仲が良かった侍女たちも、同類に思われるのが嫌とのことで、距離を置いている。
ついでに私も、ルーチェ以外には避けられている。ふたりの王子に気に入られているというやっかみと、関わっていざこざに巻き込まれたくないという保身かららしい。
おかげで意地悪されることがなくなった。あの侍女たちは凶悪な目で私を睨むけど、それだけ。平和だ。
ついでに綾瀬が一日に一度は侍女用食堂に来る。そして大声で、デートをしませんかとか、そろそろ僕を好きになりましたかと尋ねるのだ。本人曰く城住まいの王子たちに比べると、私に会える時間が少なくて不利だから積極的に行動をしているのだそうだ。
めちゃくちゃ迷惑とは伝えたけれど、やめてくれない。あげくに『それならいつ口説けばいいのですか』と情けない顔をして懇願してくる。
図体の大きなレオンに、叱られた犬みたいな様相でしょんぼりされると、こちらも良心が痛む。
見かねたルーチェが割って入り、私の代わりに会話を盛り上げてくれたりする。
それを見ているとレオンにはルーチェのほうがお似合いだと思うのだけど、それを口にするのはさすがに失礼だと喪女の私でも分かるので、黙っている。
私の狙いはカールハインツオンリーだから、綾瀬には早いうちに諦めてほしい。私なんかに時間を割くのはもったいないと思うのだ。だからルーチェに相談をしているのだけど、彼女の答えは決まって、
「シュヴァルツ隊長よりレオンさんでしょう!」
なのだ。そして大抵そのあとに、
「どうしても彼に諦めてもらいたいのなら、王子の愛人になるの。即効性抜群よ」と続くのだ。
だけど最近のカールハインツは、口調がだいぶ柔らかい。カルラの部屋で会った日からだから、裁縫技術の素晴らしさ(表から見るぶんには上手いのだ)に感嘆して、私の評価が上がったのではないかと推理している。
だけどそう言うとルーチェは困った顔をする。彼女からすると、堅物隊長の口調に柔らかさなんてものはなく、私の幻聴に違いないということなのだ。
いやいや前世から彼一筋の私には、微妙な違いが分かるのだよ。
――とはルーチェには言えないので、木崎にそう言ったら、
「フェリクス並みに怖いぞ」
と、ドン引きされた。ストーカーレベルの聴き分け能力と言いたいらしい。
好きな相手の些細な変化は、誰だって気づくものだと思うのだけど。
ところでヨナスの祖母君の葬儀は盛大に滞りなく行われたらしい。その様子をムスタファは一部見ることができたという。
仕事がひと段落ついたヴォイトが、国王夫妻とともにシュリンゲンジーフに赴いた魔術師(帰国時の転移魔法をする役目だそうだ)と連携して鏡を使った通信魔法で葬儀を中継したという。
「テレビ並みにしっかり映っていた」と木崎。「だけど鏡は小さいし、向こうの魔術師もカメラマン的な技術はないからずっと遠方からの定点なんだよ。ヨナスがどこにいるかは分からなかった」
どうやらムスタファは公子としてのヨナスの姿を見たかったらしい。
ちなみにその中継は、ムスタファ、バルナバス、フェリクスの三王子で見たそうだ。
なんでこのメンバーなのかと思ったら、バルナバスに関しては、王子なのだから異国の国葬を見たほうがいいという王命だという。フェリクスは中継の話を聞いて、自ら見たいと加わったそうだ。
しかも鏡サイズの関係で、ひとつの長椅子にムスタファ、フェリクス、バルナバスと三人並んで座っていたという。
その姿を想像したら、ちょっと可愛い気がして笑ってしまった。
攻略対象であるヴォイトだけど、木崎の話では、王子ムスタファとマリエットの仲を勘違いしているという。以前私が木崎から借りた軟膏を作ったのがヴォイトで、やはり香りのせいで誤解に至ったらしい。
そのため、私の指のケガをムスタファに報告したそうだ。
おかげで指だけでなく私の精神も助かったから、まあ、良い誤解だったと言えなくもない。
ただ、ムスタファがそんな仲じゃないといくら話しても、菩薩のように慈愛に満ちた顔をしてうなずくばかりで信じないらしい。
葬儀中継の翌日、偶然に廊下でヴォイトと会ったのだけど彼は、
「遠慮しないでマリエットも見にくれば良かったのに。私は味方だよ」
なんて言ってきた。
だ・か・ら!そうじゃないって!と私が暴れだしそうになっていたら、敏感に察知したらしい三十路は、
「ああ、悪かった。廊下でする話ではなかったな」
と、妙な方向に勘違い。
ヴォイトは連日の激務で目の下にクマがあるし、やつれているしで、きっと冷静な判断が下せないのだろう、と考えることにした。
そのまま魔法の話をしていたら、自然とフェリクスがカミソリ犯人を探すために使った術のことになった。侍従長からそれを聞いた上級魔術師団員たちは仰天したそうだ。
かなり難しい魔法でAランクだという。
そんなランクは聞いたことがないと思ったら、上級魔術師が使えるレベルの最高に難しい魔法は、ランクで分類されているのだそうだ。ゲームではなかったと思うのだけど。
とにかく最難関がSで次がA、アルファベット順に下って最後がFだそうだ。
「正直に言って」とヴォイトは声を潜めた。「魔法に関してなら、うちの国で学ぶものなんてないだろう。彼の国はなぜあんな逸材を留学に出したのだろう。もしかしたら国王候補で見聞を広めさせる目的かもしれないな」
そう言ってすぐにヴォイトはしまったという顔をして、
「余計なことを喋りすぎてしまった。疲れているようだ。忘れてくれ」
と言って、話は終わったのだった。
あのチャラ王子が国王候補?
不思議に思いはしたけれど、ゲームキャラだからあり得るかもしれないと考え直した。裏設定のような気もする。
この情報をどうするか悩み、結局木崎に話した。
すると彼は、違うのではないかと否定した。
「見聞を広めるのが目的なら、何ヵ国も巡るべきだ。うちだけに何年もいる必要はない。残念だがあちらの国にとってこちらは最重要国とは思えないんだよな」
だから彼は、交換留学自体が両国家間には何の問題もないというアピールに感じられるそうだ。本気で何かを学ばせる意図がないから、フェリクスも適当に過ごしているのではないか、と。
残念ながら私は国際情勢についてはほとんど知らない。何の意見も言えなくて、木崎との差をあらためて痛感してしまった。
◇◇
朝。恒例のムスタファ王子の髪の手入れ。丁寧に毛先からくしけずる。
これも今回で終わり。午後にはヨナスが帰ってくる。
面倒な仕事からようやく解放される。嬉しい。
だけど、ほんのちょっとだけ、残念にも思う。王子ムスタファの美しい髪を整えているのは私だという自負が芽生えていたらしい。中身は木崎なのに。
「ヨナスが帰って来る」
唐突にムスタファが言った。
「こんなに長く離れているのは初めてだったのでしょう? 辛かったんじゃない?」
「木崎の記憶があって助かった。ヨナスがいなくても、なんとか生活できた」
ということはムスタファオンリーだったら生活できなかったということか。いや、ゲームでもマリエットが髪担当だし……。
そんなことを考えていると、木崎はサラリと
「ヨナスに髪を切ってもらう。ばっさり」
と言った。
「へえ。……って、切る!?」
「上の空で仕事をするんじゃねえ」
「切るの? この髪を?」
「ヨナスに負担をかけるのは嫌だし、何より剣の練習の邪魔」
「えぇぇ」
「……何だよ、その情けない声」
「だってこの銀の長く美しい髪はムスタファの象徴じゃない。こんなにキレイなのに」
「……」
うぅ。もったいない。私がもらいたい。
「髪を振り乱して剣の練習するのも格好良くて、絵になっていたのに」
思わず髪にすがりつきたくなる。シルクのような手触りなのだ。これを切るなんて。
ていうか、取り乱してうっかり『格好良い』と言ってしまった。木崎は聞いていただろうか。
「まあ髪の持ち主は木崎だからね。文句は言わないよ」
急いで取り繕う。
「当たり前。お前に文句を言われる筋合いはねえ」
ちょっと不機嫌な声。
そりゃそうだ。
ムスタファの顔は全く見えない。怒ったのだろうか。
ふざけていないで、髪を梳かし始めようとして気がついた。
いつかのように、彼の耳が真っ赤になっていた。




