16・2剣術の稽古
カルラの希望でムスタファを呼びに行くと部屋で本の虫干しをしていたヘルマンが、彼はフェリクスと裏庭で剣の稽古をしていると教えてくれた。
今朝の髪の手入れ時に、国王夫妻の遠出の余波で予定していた騎士団長との稽古がなくなったとは聞いた。綾瀬や他の近衛たちも忙しくて相手をしてもらえない、とも。
だからといって、フェリクス?
彼我の腕前の差にあれほど屈辱を感じていたというのに。
木崎はきっと稽古をしないことのほうが、嫌なのだろう。鍛練をする時間を削るぐらいなら、ライバルにだって頭を下げたほうがマシだと考える奴なのだ。
とんでもない負けず嫌いだ。
庭に出て、ふたりがいるとおぼしき辺りに向かうと激しく剣のかち合う音が聞こえてきた。
前から巡回中らしきふたりの近衛がやってきて、
「いやはやムスタファ殿下は凄まじい」
「この短期間であれほどの上達なんて。今まで才能を隠していたんだな」
「あんな方だとは思わなかった」
なんて会話をしている。
彼らは私に気づくと、ニヤニヤ顔で
「レオンを頼むよ!」
と声を掛けて去っていった。
多分、悪気はない。普通に同僚をアピールした感じだ。
ふむ。もしや綾瀬のおかげで、近衛における私の好感度が上がっているのではないだろうか。
この世界の綾瀬はいい奴だ。
昨晩私の部屋に駆け込んできた彼は、同僚から出血がひどいと聞いていたそうで痛み止めの他に、貧血にならないようにとプルーンとほうれん草を持っていた。ちょっと方向性がおかしいけれど、本気で心配してくれたのはよく分かった。
だからといって、綾瀬はないけど。どうしても前世のイメージが抜けなくて、年の離れた後輩という感じがしてしまう。実際は四つも年上なのに。
ひょいと見通しがきく場に出て、その先に真剣に手合わせをする王子たちの姿があった。
ムスタファが月の王と称される理由は、冷たい雰囲気のある美貌だけでなく、静謐な雰囲気のせいもある。感情も体温も平坦で低そう。表情もとぼしく身振りは優雅。それがムスタファだ。
なのに今そこで剣を手にして豪快に動き回っているいるムスタファは、ブラウス一枚の薄着で髪を振り乱して汗を撒き散らし、紅潮した顔に鋭く険しい目をして、とてもではないが月に例えられる要素は微塵もない。
むしろあまりの気迫に、運慶の金剛力士像が思い浮かんでしまった。
……木崎には敵わないや。
そう、初めて思った。
黙って見ていると、やがてふたりは動きを止めた。声を掛けようとしたらムスタファが振り向いた。
「何か用か」
息の上がった声で尋ねながら、袖で額の汗を拭っている。
うっ。く、悔しいけれど、ドキリとしてしまった。鼓動が早い。
中身が誰であろうと、外側は美男の王子なのだ。
「私を見に来てくれたのかな」とチャラ王子が笑顔で近寄ってくる。
こっちはわずかに汗ばんでいる程度だ。
そばに控えていたらしいツェルナーが、ムスタファにタオルを渡している。
チャラ王子にそうではないと断り、ムスタファを見て
「ムスタファ殿下。カルラ殿下が部屋に来ていただきたいとのことなのですが」と伝える。
「カルラ? 何の用だ?」
「詳しくは申し上げられないのですが、どうしてもご覧いただきたいものが部屋にあるのです。ただパウリーネ妃殿下もいらっしゃいますし、次の機会にいたしますか」
「そう答えたら、カルラはどうなる?」とムスタファ。
「号泣するか癇癪を起こすかでしょう」
なるほどとムスタファは楽しそうに笑った。
「仕方ない、休憩にしよう」とフェリクス。「私はツェルナーと遊んでいるよ」
すまん、とムスタファは剣をツェルナーに預けた。
その場を離れて他にひとのいない小路を前後に並んで歩く。
「……宮本」
「なに?」
「話しづらい」
「でも王子の横を歩いていたら何を言われるか。しかもデートにおあつらえ向きの庭園だよ」
「今更」と木崎。
まあ確かに、私も話しづらい。王子の横に並んだ。
「着替えてから行く?」
ムスタファのブラウスは汗でしっとりしている。中に着ている肌着が透けるほどだ。額の汗も止まる気配はない。
「カルラは待てそうか?」
「裏庭へ行くのに時間がかかっているから、既に待ちくたびれているかもしれない」
「なら、このままでいい。パウリーネも一応は家族だしな」
「カールハインツもまだいるかも」
「ということは、人参関連の話だな」ニヤリとする木崎。
「ノーコメント」
てくてくと歩きながら、こんな通常でない状態の兄をカルラは怖がらないだろうかと考える。それともやんちゃな彼女なら気にならないだろうか。
「で、宮本」と木崎。
「なに?」
「侍女たちの処遇は聞いたか」
足を止めて、王子を見た。
そうだった。往きは覚えていたのに、ムスタファが必死に努力しているのを見ていたら、スコンと忘れてしまった。
「聞いた。ロッテンブルクさんから」
「そうか。すまん。力がなくて。謹慎すらさせられないとは思わなかった」
ムスタファの紫の目がまっすぐに私を見ていた。
「ロッテンブルクさんにも何度も頭を下げられたけど、彼女や木崎が謝ることじゃない。この世界が孤児の私には理不尽にできているんだよ」
「……諦観するしかない国ですまん」
思わず笑みが浮かぶ。
「ありがとう。木崎なら良い君主になるよ 」
「どうだか。俺は第一王子ではあるが、王太子じゃない」
「……そうだね」
「だけど王族の地位は利用してやる」
「頼もしい!」
再び歩き出す。
「うっかりしちゃった。フェリクス殿下に一言謝ろうと思っていたのに」
「それこそ必要ねえよ。まあ、後で伝えておいてやる」
「一緒に剣の手合わせだなんて、仲良くなったの?」
「なってねえよ。他に練習相手がいないから仕方なくだ」
「でもフェリクス殿下も良いところがあるね。練習に付き合ってくれるし、待っていてもくれる。あんな難しそうな魔術で犯人捜しをしたのに無駄になって、でも私に文句も愚痴も言わない。好感度メーターだったら、ハートひとつアップというところだね」
ぴたり、と木崎が足を止めた。その顔は強ばっているようだ。
「どうしたの? 忘れ物?」
「……あいつを選ぶ可能性はあるのか?」
「あるわけないじゃない。私はカールハインツ一筋だって」
「だよな」ムスタファの顔から力が抜ける。「お前があいつを選んだら、あいつは絶対にマウントをとってくる。頼むからやめてくれ」
「マウント? なんで?」
「フェリクスの奴、いずれお前に惚れられると思ってる。俺がいくらないと教えてやっても、自分が正しいと信じているんだ。これでお前があいつを選んだら」
「なるほど、鼻高々だろうね」
そうとうなずく木崎。「ムカつくだろ?」
「私は別にムカつかないけど」
「そこは長い付き合いの俺の味方をすべきだろうが!」
「は? 前世で木崎が味方だったときがある?」
「ねえけど前世は前世、今は今」
「木崎の負けん気は異常!」
「んなこと知ってる!」
そんな言い争いは、城の中に入るまで続いたのだった。




