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溺愛ルートを回避せよ!  作者: 新 星緒


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15・4カミソリ

 仕事を上がる許可が出た。もう、それなりに遅い時間だ。

 実に長い一日だった。ほとんどの仕事時間を木崎と過ごしていた気がする。カールハインツに会ったのが今日とは思えないくらいだ。


 自室に入ると窓の外には満月に近い月があり、明るかった。灯りを灯すこともないなと、真っ直ぐに衣装箪笥の元へ行き、床に膝をついて引き出しを開けた。入浴に持って行く下着とタオルがそこに入っている。すっかり遅くなったから、急がないと浴場に鍵をかけられてしまう。


 逸る気持ちと疲れで無造作にタオルを掴んだ瞬間、右手の指に痛みが走った。反射的にタオルを離す。

 見ると人差し、中、薬の三本の指の腹から血が溢れだしていた。

 視認したとたんに、激しい痛みがやってくる。


 ボタボタと垂れる血。

 取り落としたタオルにカミソリの刃が刺さっている。

 それとは別のタオルをそっとつまみ高く掲げた。痛みと迂闊さに泣きそうなのをこらえて、よく見る。これは何もついていないようだ。

 傷に当てて、握りしめる。




 こういうことに備えて薬とガーゼは持っているけれど、それで済まない気がする。

 まだ医師は診てくれるだろうか。

 気合いを振り絞り、立ち上がった。


 今日はまるで溺愛ルートにいるみたいだと感じたのに。

 どうして用心しなかったんだ、と自分を呪う。


 箪笥にカミソリが隠されているケースはゲームにはなかったけれど、カミソリなんて嫌がらせの王道だし、箪笥に生きたカエルが入れられていて飛び出して来たこともあった。用心していなければいけなかったのに。

 ずっと苛めの程度が軽いものだったから気を抜きすぎた。



 泣きそうだ。




 ◇◇




 王宮には沢山の人がいるから、働いている人間用の医務室がある。以前私が顔をケガしたときに診てくれたのは、ここの医師だ。横柄な中年親父だけれど、ルーチェによれば腕は良いらしい。


 幸い見回りの近衛ぐらいにしか会うことなく、医務室にたどり着いた。扉が開いていて、中から声が漏れている。医師がまだ在室していてくれたようで、ほっとする。


「――ストックでは全然、足りなくなってしまってな。医務室にあって助かった。なければこの時間に薬草園に行かなければならなかった」

「今日は寝ずの勤務ですか。魔術府は大変ですな」


 聞こえてくる会話の声に覚えがあると思いながら歩みより、扉の代わりに壁を左手でノックした。

「申し訳ありません。診ていただけるでしょうか」

 呼び掛けると中で立ち話をしていたふたりが振り返った。ひとりは医師。もうひとりは攻略対象のヴォイト・ヒュッポネンだった。


「どうした」と医師。「手をケガか」

「はい」

 医師はため息をついた。

「診せろ」

 そばにより、右手を差し出しタオルを取る。

「酷いな。何で切った」

「カミソリです」

「ぱっくりいってる。縫うしかないぞ。そこに」と診察用の椅子を示す。「座って待っていろ。支度をするから」


 はいと答えながら、この世界って麻酔はあるのだっけと考える。なかったら、痛みに耐えられるだろうか。


 医師は続き部屋に消え、私はふらふらと椅子に座り込む。と、右手を取られたと思ったら、ヴォイトだった。

「どうしたらこんな怪我をするのだ」

「……ちょっとぼんやりしていて」

 じろりと見つめられる。

「治してやりたいが、今は魔力をあまり使えない。大がかりな転移魔法をしなければならなくてな」

 国王夫妻のシュリンゲンジーフ訪問のことだろう。


「お気持ちをありがたく受け取らせていただきます」

「代わりに」

 とヴォイトは両手で私の右手を包みこむと、何やら呪文を唱えた。

 それが終わると、痛みが消えた。

「麻痺魔法だ。縫う間も痛みは感じない。二時間程度しかもたないが」

「ありがとうございます」


 それからヴォイトは隣室の医師に声を掛けて去った。

 前世を含めて、体を縫うなんて初めてだ。

 左の手に水差しを入れた洗面器、右の手にはあれこれ載った銀のトレイを持ってやって来た医師は、私を見て言った。

「……怖いのか? 誰か、付き添いを呼ぶか」


 見慣れた顔が浮かぶ。が、ふるふると頭を振ってそれを追い出す。

「大丈夫です」

「それは震えてない人間の言うセリフだぞ」

 医師はそう言って、大きなため息をついた。



 ◇◇



 包帯でぐるぐる巻きになった手で自室に戻ると、当然ながら箪笥の引き出しは出しっぱなしでその前の床には血が垂れた跡があった。

 入浴どころか手を洗うこともできないし、侍女の仕事も無理だ。明日の朝一番でロッテンブルクさんに報告をしなければならない。


 なにもする気力が起きずに、ベッドに座り込む。


 木崎にも知られたくない。隠し通せるだろうか。いや、無理だ。髪の手入れがある。オイルを触れないから誰かに変わってもらわなければならない。


 一瞬、フェリクスが浮かぶ。彼なら治してくれるだろうか。

 いや、あれだけ冷たく接しておきながら、どの口で頼むのだ。最低な行いだ。


 なんて私はバカなんだ。

 用心を怠るなんて。

 泣きたい気持ちをぐっとこらえる。


 突然、扉が叩かれた。苛立たしげに早く。びくりとして体が強ばる。

 再びノック音。

 こんな時間に誰。


「俺だ、ムスタファだ」

 やはり苛立たしげな早口で、いつもの声がした。

 なんだか分からない感情が湧き上がって、顔を見たい気持ちと手を見せられない事実がせめぎあう。

 居留守を使おう。それがいい。


「さっさと開けないと、クビにして孤児院に送り返すぞ」と木崎。

 それは困る。木崎だってゲームやり直しは面倒と言っていたのに。


 仕方なしなのかほっとしているのか、自分でも分からないまま立ち上がり狭い部屋を横切って、解錠して扉を細く開ける。すると木崎のムスタファは憤怒の形相だった。私は一体何をやらかしたのかな?


「どうしたの?」

「『どうしたの』じゃねえ」

 木崎はそう言って扉を押し開くと、後ろ手に隠していた私の右手を掴んだ。

「それはこっちのセリフだ。何があった」

 包帯ぐるぐるの手が目前に晒される。

「どうして知っているの?」

「ヒュッポネンが知らせてくれた!」と木崎。

「なんで!?」

 ふたりに繋がりはあるようだけれど、どうしてそうなるのか解せない。


「どうでもいいだろう、それは。なんだよ、この手は」

「察するに、箪笥の衣服の間にカミソリが隠されていたというところか」

 横から声がしたかと思ったら、チャラ王子が部屋の中を覗いていた。

「フェリクス殿下まで!」

「今ごろ気がついたのか」とフェリクス。


 ムスタファは私の手を離して部屋の奥にずかずか入ると、開けっ放しの引き出しを見た。そこにはまだカミソリが残っているし、中のタオルにも血痕がある。チャラ王子の推理を否定しようがない。


「ムスタファが」とフェリクスと従者も入って来る。「君が酷い怪我を負ったらしいから治してやってくれと、血相を変えて泣きついてきたのだ」

「泣きついてはいない」と背を向けたままの木崎。「……俺のせいか? 身の回りの世話に指名したり外出に連れて行ったから」


 ちがうよと答えようとしたけれど、それよりも早く木崎は

「下らない質問だった。お前がそうだと答えるはずがない」と言った。

 よく見たらムスタファはシャツ一枚の薄着だ。慌てて来たのかもしれない。

 不思議なことにあれほど混乱していたのに、今は落ち着いている。


「ふざけんな」とムスタファ。彼はタオルを摘まんでいた。「カミソリが固定されているぞ」

「悪質極まりないな」

 フェリクスはそう答えると、失礼と一言私の右手を取った。

「痛み止めは何を使った?」

「魔術師のヒュッポネン様が麻痺魔法というのを掛けて下さいました」

「どのくらい?」

「二時間」

「なるほど。ちょっとばかり痛みに耐えられるか?」

 はいとうなずくのと、ムスタファが不機嫌に何故だと問うのが重なった。


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