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溺愛ルートを回避せよ!  作者: 新 星緒


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15・1初めての馬車と書記

 扉が外側から閉められると、ほどなくして馬車はガタンと大きく揺れてから動き始めた。


 向かいには澄まし顔で窓外を見ている王子ムスタファ。私の右となりには侍従。名前はヘルマン・ラント。年はヨナスさんと同じぐらいだろうか。午前中に私がさくらんぼを口に押し込まれるところに居合わせた彼だ。ちょっとばかり、気まずい。

 更に、向かう先でオーギュストと合流するそうだ。


 馬車は二頭立てで立派な造りであったけれど、以前に見かけたパウリーネが使ったものより装飾も色合いもシンプルだった。馬車に乗るのは初めてだから、なんとはなしに派手すぎないことにほっとした。

 前世は小市民、今世も平民しかも赤貧寄りなので、豪華すぎる馬車には気後れしてしまう。


 ……しかし。

 王子の乗る馬車なのだから、サスペンションは性能の良いものを使っているのだろうけれど、予想以上に揺れる。座面はふかふかだから、お尻が痛いということはないけれど……。


「馬車に乗るのは初めてと言ったな」

 唐突に王子が私を見て尋ねた。午前のうちにそれは伝えてある。そうだと答えると

「王宮に来たときは、どうしたのだ?」

「徒歩です」

 それ以外にどんな手段があると?

「荷物は?」

「荷物?」

 そうか。普通の侍女は着替えや日用品をたっぷりと持ち込むのだ。私はそれらの多くを城に来てからロッテンブルクさんに揃えてもらった。

「片手で運べる程度しかありませんでしたから」


 そうかと相づちをうった王子はまた窓の外に顔を向けた。何を考えているのかは分からない表情だ。


 私は馬車に乗るのが初めてなら、城から出るのも初めてだ。他の侍女はお休みの日に城下へ遊びに出たりしているようだけど、休日の私は髪結いや化粧の練習をしたり、服の繕いや染み抜きをしなければならないし、孤児院と後ろ楯ということになっている公爵夫人に近況の手紙を書かなければならない。時間が余ったら勉強もしたい。

 だから外出をする暇なんてないのだ。


 ……しかし。

 私も外を見る。まだ王宮の敷地内だ。私は進行方向に背を向けて座っているから、過ぎ去っていく庭園の景色が見える……のだが、ちょっと気持ちが悪い。馬車の揺れに慣れないせいだろうか。こちらの人生では初の乗り物で、視界が流れていくのも初めてだからだろうか。

 出発したばかりで酔ったなんて、考えたくない。


 なんとか気合いで乗り切らないと。


 前世で乗り物酔いをしたことがないから、対処法を詳しくは知らない。外を見ているほうがと聞いたことがある気がするが、余計に気持ち悪い。目をつむってしまいたいけれど、それは侍女として王子の前ですべきではないだろう。


 何か考えて気を紛らわそうと、これから伺う相手の資料を思い浮かべた。エルノー公爵が用意したそれを、木崎は目を通させてくれた。魔石を取り扱い国の認可もおりているけれど、民間企業で経営者は平民だという。


 一通り読んで頭に叩きこんでおいたのだけど、気持ち悪さのために集中できなくて思い出せない。

 これは最悪の事態を起こして木崎の顔に泥を塗る前に、馬車を降りるべきではないだろうか。


「マリエット」

 タイミング良く、ムスタファに名を呼ばれた。はいと答えて目を見る。

「もしや酔ったか」

「はい。申し訳ありませんが、本日は――」

 お役に立てそうにないので降ろしてほしいと続けようとしたのだが、木崎は

「こちらへ来い」と言った。「そちらは後ろ向きだ。こちらのほうがまだマシのはず」


 いや、でも馬車で王子のとなりに座っていいのだろうか。見習い風情が。というか降りたい。


「さっさとしろ」とムスタファが木崎の口調で言う。

 ……もう少しだけ、我慢をしてみるか。

「失礼致します」

 揺れる馬車の中でおずおずと移動する。と、何故か王子は上着を脱いだ。座った私の肩をぐいと抱き寄せ自分にもたれかかせると、それを頭にかぶせた。目の前が上着の色、ブルー一色になる。

「寝てろ。酔ったのは寝不足のせいだ。向こうできちんと仕事をしなかったら懲罰だからな」


 ええと。働きの悪い頭でも、状況がおかしすぎるのは分かる。寄りかかって眠るなんて恋人同士みたいだし、木崎がそんなことをするなんてありえない。

 私を書記に選んだ以上、ここで降ろすと、王子の判断ミスを嘲られたりするとか?

 上着をかけられた直前に見えた、ヘルマンの『私は何も見てませんよ』という態度も気になる。絶対に関係を誤解されていると思う。


 だけど視界が遮られているのは、いい。目をつぶっていても見咎められることはない。

 少しだけ体調も持ち直した気がする……。




 ◇◇




 ガクンとした揺れにはっとした。

 目の前がブルーだった。自分の状況が分からず混乱する。

「マリエット。着いたぞ」

 ムスタファの声がしたかと思うとブルーがバサリと音を立てて翻った。


 そうだ、馬車の中だ。気分が悪くなって木崎が……。


 状況を把握したとたんに自分が王子に寄りかかっていることを思い出し、慌てて体を起こす。当の王子は澄まし顔で私を見ていた。

「よし、顔色は良くなった。って――」

 ぷはっとムスタファが王子らしくない態度で吹き出した。それからヒラヒラと垂れたレースの袖で、私の口元をぐいと拭く。


「涎。マヌケすぎ」

 ニタニタしている王子と、やはり何も見ていませんという態度のヘルマン。

 どう考えても木崎の距離感がおかしい。これじゃまるで溺愛ルートにいるみたいだ。


 外側から扉が開いたと思うと、また閉まった。従僕が中の様子に戸惑いの顔をしていたようだ。私が王子のとなりに座っているの見てしまっただろう。なんてことだ……。


 侍従が王子に上着を着せ用意が整ったところで、ようやく馬車を降りた。

 周りを馬に乗った近衛隊が警備している。今日本来の担当の隊だ。


 そこは都の中心部だった。小さい頃に何度か施設長とともに寄付をお願いをしに回ったことがある。古めかしくも壮麗な建物が連なり、道行く人も上流階級の人ばかり。


 出迎えで待っていた五十がらみの男も、でっぷりと太り高級な衣服をまとっている。彼の後ろには数人の男がいて、やはり彼らも上流の雰囲気だった。


 それからオーギュストとその従者も出迎え一行の中にいた。

 私以外は全員男性だ。私は年も若いし、明らかに浮いている。何人かの男は私に不審の目を向けた。

 だけど社長のクンツェだと名乗った五十がらみは愛想はないものの物腰は丁寧で、私の存在を不愉快に感じているそぶりもない。

 そのことにほっとして、王子の顔に泥を塗らないようにしようと改めて気を引き締めた。



 ◇◇



 この会社、クンツェ商会は国内最大手の魔石取り扱い会社だそうだ。魔石採石場の半分が国、残り半分が貴族の持ち物だけど大きな場所はほぼ国のもので、そちらの採石が不振に陥っているらしい。

 採れない訳ではないけれど、品質の良くないものばかり。もう資源が枯渇したのではないかと考えられるそうだ。


 採石場や輸送方法・ルートのマップ、各地の採石量の資料、魔石のサンプルなどを使ってクンツェは詳細で分かりやすい話をした。

 それから採石不振により、魔石の価格を上げざるを得ないことや、輸送車襲撃が増えていること、魔石を買えない市民が増えたあおりで蝋燭やランプの価格も高騰していること。


 そんな話をムスタファは質問を挟みながら熱心に拝聴していた。

 木崎は仕事に関しては真面目で熱心だったものなと、なんとなく淋しく思いながら私も自分の仕事をしたのだった。




 全てが終わってさあ帰ろうという頃合いで、従者に何かをささやかれたオーギュストがそばに寄ってきた。私はただの侍女見習いだから、侍従と従者、護衛の近衛たちと一緒に壁際に並んでいて、そこでメモをとっていた。


 そのメモを覗きこんだオーギュストは、

「ちょっといいかな」

 と言って手に取って、複数枚あるそれに目を通す。木崎のムスタファもやって来てそれを見る。


「すごいな、マリエット」とオーギュスト。「話を聞きながら書いたのか? まとまっているし、この図も?」

 はいと答える。前世ではクライアントから希望を聞きながらその場でメモを取り、イメージを図にするなんてことは普通にやっていた。手書きではなかったけど。


「案外、有能だろ?」

 何故かムスタファがドヤ顔をしているが、悪い気はしない。

「そうだな。てっきり側に置いておきたくて連れてきたのだと思った。馬車でもイチャついていたものだとばかり。悪い勘違いだった」


 私のメモはクンツェの手にも渡った。ふむふむと言っている。事前にエルノー公爵の資料を読んだおかげで、分からない言葉もあまりなく、文句を付けられる仕上がりでない自負はある。

「うむ、素晴らしい」とクンツェ。


 どうやらムスタファの顔を立てられたようだ。


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