14・4侍女頭に報告
カールハインツが所属している近衛隊は王宮の建物内に詰所があるが、それとは別に専用の建物を持っている。同じ敷地にあるけれど、見習い侍女が訪問する機会なんてものはない。
ところが本日午前中のカールハインツ隊は、そちらで訓練だという。ついにあの中に入る日がやって来たわけだ。もしかしたら訓練風景を見られるかもしれない。ただしレオンのせいで、隊員にどんな対応をされるか不安がある。
期待と困惑を胸にロッテンブルクさんに、ムスタファ王子の依頼で近衛府に行かねばならないと報告をすると、彼女は片眉をぴくりと動かした。
依頼内容も伝えると、分かりましたと首肯した彼女はおもむろに
「マリエット」と私の名前を呼んだ。
「あなたは仕事ぶりは良いし、飲み込みも早い。素晴らしい侍女になるのではと期待しています」
「ありがとうございます」
「あなたのことは頼まれていますが、それがなくてもきちんと育て上げたいと考えています。ですが」ロッテンブルクさんは一度言葉を切って、じっと私の目を見た。「私もただの侍女に過ぎませんから、知らぬことにおいてまであなたを守ることはできません」
はい、と答える。
多分、というか絶対にムスタファのことを指しているのだろう。昨晩は突然の指名。今日は外出に同行、王族の礼拝堂の見学までさせてもらっている。更には軟膏の件だってある。
昨晩のうちに、ルーチェにしたのと同じ言い訳をロッテンブルクさんにしたけれど、やはり説得力は足りないだろう。
先ほど木崎と、彼女とカールハインツ向けにもうひとつの言い訳を考えた。それは。
「ムスタファ殿下がおっしゃるには、私が孤児であることが都合が良いようなのです」
一般の侍従侍女はそれなりに良い家の出身だ。彼らの実家は貴族や富豪、企業などで、どうしたってその影響下にあるから、人嫌いのムスタファは信用できないと考える。それに比べて私が関係する上流階級は、侍女に推薦してくれた老齢の公爵夫人だけ。なんのしがらみもなさそうだ。
だから安心して使える。
ロッテンブルクさんにこの新しい言い訳を伝える。
だけどこれはムスタファの本音ではないかと思う。木崎はいつもの軽い口調で話していたけど。
話を聞き終わった侍女頭は、ため息混じりにそうですかと答えた。
「殿下が人嫌いになったのは、私たち仕える者の力が不足していたからです。後ろ楯のいないあの方の不安や淋しさを放置してしまいました」
ええとと考える。確かロッテンブルクさんが王宮で働き始めたのが十九年前だから、当時のムスタファは一歳だ。彼が小さいときの彼女はまだ新人だし、パウリーネに付いていたはずだから彼との接点はあまりなかっただろう。
「ムスタファ殿下には乳母はいらっしゃらなかったのですか」
カルラの乳母は、まだ彼女のそばで面倒を見ている。
「殿下が一歳になる前に、事故でお亡くなりになったそうです」
ロッテンブルクさんの話では、それからは侍女や侍従が幼児のムスタファ王子を育てたらしい。
脳裏に先ほどの礼拝堂が浮かぶ。
それを頭の中から追い払い、少しばかり気合いを入れる。ロッテンブルクさんに、ムスタファ王子について言い訳ばかりをしたくない。彼とは前世の同僚でなんて説明は、信じてもらえないだろうからしないけれど、ある程度はきちんとしたい。
「それで殿下とは――」と話を戻す。「噂されているようなことは何ひとつないのですが、なんというか、話は沢山するのです。意見が合うことも、それなりにあって」
なるほど、と侍女頭。
「それで午後の外出の書記を任され、礼拝堂のフレスコ画も見せたいと案内していただきました」
うなずく侍女頭。
「それと先ほどは殿下の朝食のパンとフルーツをいただいてしまいました。すみません」
「近衛府へ行く件は?」とロッテンブルクさん。
「殿下は私がシュヴァルツ隊長に片思いをしていることをご存知で、そのためです」
そうですかと答えた侍女頭は、
「実はあなたの支援者が、侍女にしたことを後悔しているようです」と、思いもよらないことを口にした。
「私が四股していると信じていらっしゃるのですか!」
「そうではありません」
どうやら支援者は、孤児院出身の私が他の侍女たちにいじめられるとは露ほどにも考えていなかったらしい。とにかく令嬢として通用する教養とマナーを身につけるには、王宮で侍女をするのが一番だとの考えで、立派なレディである侍女たちが嫌がらせをするなどとは予想していなかったようだ。
多分、浮世離れしたひとなのだろう。女の世界は怖いのだよと教えてあげたい。
だから私がそんな目に遭っていると聞いたときに、一度目の心配。だけどたくましく切り抜けているとロッテンブルクさんが説明。
二度目の心配が、私が理不尽な目に遭ったとき。支援者は侍女を辞めさせることも考えたそうだが、私がフェリクスに治癒魔法をかけてもらったことを知り、様子を見ることにしたという。
そして現在三度目の心配中。三股の噂が早々に耳に入ったらしい。
これらがわずか二ヶ月の間の出来事だ。支援者は私の身の安全を考え、侍女にすべきではなかったのかと後悔しているという。
「辞めたくありません」
そう訴えると、侍女頭は分かっていますと答えた。
「近頃はルーチェと仲良くしているようですし、カルラ様のこともよく考えてくれて助かります。特にカルラ様は、姫君としてはだいぶ規格外で、みな手を焼いているのです」
「そうは思えませんが」思わず反論すると、
「あなたには懐いていますからね。最初の印象が良かったに違いありません。誇ってよいことですよ」
そうなんだ。素直に嬉しい。
「嬉しそうなのは何よりですが、侍女なのですから表情のコントロールを覚えましょう」
「気を付けます」
「あなたは良い侍女になると期待しています」とロッテンブルクさん。
舞い上がりそうな気分だ。
「ただ、取り巻く状況への不安は拭えません。あのムスタファ殿下に信頼できる相手ができるのは喜ばしいことですが、ひと波乱があるのではないかと心配です」
はいとうなずく。実際にムスタファルートに入ると私はひどい嫌がらせを受けるので、よく分かっている。またしても気を付けますと答える。
「それからトイファー兵が伯爵令息を蹴り飛ばして怪我を負わせたことを知らない近衛はいません」と侍女頭。「更にその原因となった侍女見習いに求婚して断られたことも」
うぅ。なんでなんだ。私は口を固く閉ざしていたのに。まさか綾瀬が自ら言いふらすなんて思わなかった。きちんと口止めしておけばよかったと後悔してももう遅い。
「あなたが近衛府に行けば、注目の的でしょう。その上、用事が噂になっているムスタファ殿下の使いとなれば、彼らの興味を引きます」
だよね、やっぱり。近衛府の中に入って仕事中のカールハインツを見たいけれど、おかしな注目は浴びたくない。複雑な気分だ。
「マリエット。近衛府では毅然としていること。雰囲気に圧倒されてはなりません。あなたの態度次第で噂は余計に悪くなります。気を付けなさい」
まさしく『毅然』の体現者、ロッテンブルクさん。なんて優しいひとなのだろう。
「ありがとうございます。ロッテンブルクさんになったつもりで背筋を正して行ってまいります」
彼女を見習い気を引き締めてそう言ったのに、何故か彼女は笑みを浮かべた。
「あなたはどうしてそこで嬉しそうな顔をするのでしょう。他の侍女たちだと、『また口煩いことを言っている』という顔になるのに」
それからロッテンブルクさんは
「だから殿下たちが夢中になるのかしら」と呟いた。
「フェリクス殿下は誰にでもああなのではありませんか」
すると侍女頭は珍しく首をかしげ、しばし黙った。そのあとで、
「そうですね、フェリクス殿下はね」と、やはり彼女には珍しい小さな声で言ったのだった。
おまけ小話 ◇元後輩は元先輩に翻弄される◇
(元後輩の近衛兵レオンのお話です)
礼拝堂を出ると、宮本先輩は次の仕事へと去って行った。自室に戻る木崎先輩の斜め一歩後ろを歩く。
「何で礼拝堂見学になったんですか?」
予定外のムスタファ殿下の護衛を、本人の希望だからと命じられて、上機嫌で馳せ参じたらそこには宮本先輩もいた。そのまま理由を説明されることもなく、礼拝堂へ向かったのだ。
「ん。見せたかったから?」
疑問形で答えた先輩。
「何でですか。あんなに犬猿の仲だったのに。あんまり仲良くしていると妬きますよ」
木崎先輩がムスタファ王子の顔で僕を見上げる。にやついた、木崎先輩らしい表情だ。
「俺に嫉妬しても意味はないだろ。シュヴァルツにしとけ」
「もちろん、隊長にもしてます」
王子は吹き出して楽しそうに笑っている。すれ違った侍従が幻でも見ているかのようなおかしな表情で通称月の王を凝視していた。
「お前だって毛嫌いしていたのにな」と言う木崎先輩。
そうか。となると犬猿の仲だった先輩が彼女を好きになることだって、十分にあり得るわけだ。
と、角から従者を連れたフェリクス王子が出て来て、こちらに気づくと
「礼拝堂見学は終わってしまったのか。マリエットは?」
と話しかけてきた。
「何の用だ」と先輩。
「君が彼女と仲睦まじく礼拝堂に向かったというから邪魔をしに」と笑顔のフェリクス王子。
「お前も嫉妬か。大変だな」
とムスタファ王子が言うと、フェリクス王子が私を見て君もかと、さも訳知り顔でうなずいた。
「夜の髪の手入れをマリエットにさせたそうだな」とフェリクス王子。「今までヨナスにしか任せていないのだろう」
何っ。髪の手入れ?
ムスタファ王子の頭を見る。美しいストレートの銀色の髪が、いつも通りに煌めいている。
これを宮本先輩が? なんだそれは。距離感近すぎじゃないか?
「ヨナスがいないのだから、仕方ない。今朝もだ」と先輩。
「今朝も!」
思わず声を上げると、三対の目が僕に向けられた。
「気にするな」と先輩。
いや、気にするから!
「私も今夜から頼もう」とフェリクス王子が言えば
「駄目だ。私だけでかなりの時間がかかる」と木崎先輩。
なんだそれは。宮本先輩は俺だけのものというアピールなのか?
ふたりの王子はそのまま低レベルな争いを続けている。従者は呆れ顔だし、すれ違った侍女はやたらにゆっくりした歩調でこちらの会話に耳をそばだてていた。
「朝食にさくらんぼがついていた」と唐突に話題を変えたムスタファ王子。
そうだなと律儀に返事をするフェリクス王子。
「彼女に手ずから食べさせられた」
「何ですかそれっ!」
先輩の言葉に黙っていられなくて、思わず顔を覗き込む。
「お前はあとで」と先輩。
いやいやとツッコミたいが、表では王子と護衛の近衛兵だ。ぐっと我慢をして引き下がる。
「つまり」とフェリクス王子。「髪の担当は諦めて、フルーツを口に運んでもらえと。それもいいな」
「違う」と先輩。「お前相手じゃ警戒してやらないだろうという話」
……先輩が王子の顔でドヤッている。まさか、自慢? マウント? それとも牽制だろうか。
「仲良しアピールか? いいとも、お前が友情に胡座をかいている間に彼女を我が物にしてみせよう」
「あいつは物じゃない」と先輩。
その声は本気で不快そうで、それまでの余裕がある声とは明らかに違った……。




